浦和レッズのリーグ初優勝から19年 坪井慶介の後悔「2度目の優勝をもたらせなかった」

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2025年06月17日 07:10  webスポルティーバ

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【新連載】Jリーグ語り草(1)
坪井慶介の2006年
「浦和レッズ初優勝。史上初ホーム無敗の舞台裏」後編

◆坪井慶介・前編>>「小野伸二でさえベンチに回ることも珍しくなかった」
◆坪井慶介・中編>>「2006年の浦和レッズはなぜ強かったのか」

 2006年シーズンのJ1リーグ最終節、2位ガンバ大阪との優勝をかけた直接対決。埼玉スタジアムには当時のJ1リーグ最多記録となる62,241人のサポーターが駆けつけた。

 試合はG大阪に先制を許すも、その後に逆転して終盤へ。左ひざのじん帯を痛めていた坪井慶介は、ベンチから優勝の瞬間を待った。しかしその時、ギド・ブッフバルト監督から、まさかの声がかかる。

 ピッチで優勝の瞬間を味わってから19年、坪井が今の浦和に対する思いを語ってくれた。

   ※   ※   ※   ※   ※

 2006年のリーグ初優勝を振り返ってみると、シーズンを通して「これがターニングポイント」という出来事があったわけではありません。ただ、今あらためて感じるのは、誰が出ても結果をしっかりと出せたことが優勝へとつながったんだと思います。

 たしかに周囲からは「タレント軍団」と思われていたかもしれません。ですが、実は試合にあまり出られなかった選手たちの「ここぞ」という場面での働きが大きかった。

 たとえば、トモちゃん(酒井友之)もそのひとり。(鈴木)啓太が出場停止となった時に代わってピッチに立ち、しっかりと連勝に貢献しました。

 また、トモちゃんだけじゃなく、ウチさん(内舘秀樹)やネネ、相馬(崇人)や黒部(光昭)さん、もちろん岡野(雅行)さんも、ですね。出番が限られたなかでもしっかりと準備を整え、チャンスを与えられたら勝利に貢献するパフォーマンスを見せてくれました。

 だからやっぱり、日常が大事だったんだと思います。日々の紅白戦のハイレベルな争いが、チーム全体の力を押し上げる要因となっていたはずです。毎日の積み重ねが一歩一歩、優勝に向けて歩みを進めていった。そんなシーズンでしたね。

 優勝が現実味を増してきたシーズン終盤になっても、僕らはそんなにプレッシャーを感じていなかったと思います。31節に名古屋に負けて(0-1)、勝てば優勝が決まった33節のFC東京戦では勝ちきれなく(0-0)、結果的に最終節までもつれ込むことになってしまいましたが、初優勝の重圧にさいなまれることはありませんでした。

【優勝を確信したワシントンのゴール】

 そこにはやっぱり、過去の経験があったからだと思います。

 2002年に初めてナビスコカップの決勝に行ったんですが、その時は場の空気に飲まれてしまい、鹿島に完敗を喫しました。勝ち慣れてないチームのもろさを露呈してしまったんですが、次の年にリベンジを果たして優勝できたことが大きかった。翌年のチャンピオンシップではマリノスにPKで負けてしまいましたけど、2005年には天皇杯も獲ることができました。

 そうやって勝ち方を知るなかで、重要な試合でも落ち着いて入っていけるようになった。優勝決定戦となったガンバとの最終節も、それまでの経験が生きたと思います。

 もちろん、僕らが圧倒的に優位な立場だったことも大きかったです。3点差以上で負けなければいいという状況でしたから。ただ、引き分けや、負けても優勝という結末は避けたかった。ホームでもありましたから、最後は気持ちよく勝って、優勝したいというのはチーム全体の思いでしたね。

 僕はケガで離脱していましたが、この試合では久しぶりにベンチに入ったんです。プレーできる状態ではなかったんですが、左ひざにサポーターをぐるぐる巻いて、ベンチから戦況を見守りました。

 21分に先制点を奪われた時は、ちょっとだけ嫌な予感がよぎりましたね。当時のガンバは攻撃力が高かったですから、勢いに乗せたら厄介だなと。

 でも、直後にポンテが同点にしてくれて、前半終了間際にはワシントンが逆転ゴールを決めてくれた。この時に優勝を確信しました。さすがにここから4点も取られることはないですからね。

 僕自身はベンチで優勝の瞬間を見守るつもりでした。でも、3-2で迎えた終盤に、ギドに呼ばれて言われたんです。「お前はやっぱり、ピッチに立っていなくちゃダメだ」って。それで最後の最後に、試合に出ることになりました。

 同じタイミングで岡野さんも交代で入って、その少し前には(田中)達也も出ているんですね。ここまでチームを引っ張ってきた僕らに対する、ギドの計らいだったと思います。

【歴史を塗り替えることができた】

 本音を言えば、とてもプレーできる状態ではなかった。ですが、ピッチに立たせてもらったのはやっぱりうれしかったですね。厳しい状態ではありましたが、立ちたいという思いはありましたから。ギドの思いに応えたかったし、「何かひとつは仕事をしよう」という思いでピッチに入ったことを覚えています。

 でも、僕が出たのはセンターバックじゃなくて、左ウイングバックだったんですよ。優勝のかかる大事な試合で、まさかやったことのないポジションを任されるとは思っていなかったので、正直、焦りましたね(笑)。

 僕ら3人を無理やり入れたことで、システムはめちゃめちゃになりましたけど、そういう大胆な采配を振るえることも、ギドのすごいところだと思います。思いつきというか、ひらめきというか、勝負師の感があるんでしょうね。やっぱり、経験値が違いますよ。ワールドカップの優勝メンバーですからね。

 優勝が決まった瞬間は、とにかくうれしかった。それだけです。しかも、最終節に埼スタで決められたのは最高でした。もっと早く決められる状況ではありましたし、決して引き延ばしたわけではないですけど、これも巡り合わせなのかなって。

 6万人を超える大観衆が詰めかけたホームで、大一番を制して初優勝を成し遂げられたのは、このチームの引きの強さを感じました。ギドがそういう星の下に生まれた存在だったんだなって、今となっては思っています。

 早いもので、あの優勝から19年が経ちました。もちろん、僕の人生においてものすごく大きな経験でしたし、今のところレッズの歴史において、唯一のリーグ優勝なんですよね。その瞬間に立ち会えたことは、かけがえのないものですし、歴史を塗り替えることができたことを誇りに思っています。

 一方で、あれ以来、レッズが優勝できていない現実は寂しいかぎりです。非常に大きなタイトルであったことは間違いないんですけど、それを続けることができなかった。翌年も連覇のチャンスがありながらも、終盤に失速して優勝を逃してしまいました。

【弱小チームから真の強豪クラブへ】

 ACLやルヴァンカップの優勝はあります。だけど、やっぱりリーグ優勝は特別なもの。僕は2014年を最後に浦和から去ることになりましたが、2度目の優勝をもたらせなかったのは、ひとつの後悔として残っています。

 浦和の歴史を振り返った時、Jリーグが開幕した当初から「弱小チーム」と呼ばれ、J2にも降格しました。でも、そこから這い上がり、少しずつ成長を遂げながら、タイトルを獲れるチームに進化していきました。

 そんななかで2006年は、満を持して迎えた1年でした。そこで悲願の優勝を成し遂げ、ここから真の強豪チームになっていく。その一歩を踏み出したシーズンだったと思っています。

 だからこそ、その後にタイトルを積み重ねられていない状況がもどかしいですね。今シーズンはここまでいい戦いができていると思うので、今年こそ2度目の優勝を期待したいです。

<了>


【profile】
坪井慶介(つぼい・けいすけ)
1979年9月16日生まれ、東京都多摩市出身。四日市中央工→福岡大を経て2002年に浦和レッズに加入する。プロ初年度から存在感を示して新人王受賞。2003年には日本代表に初招集され、2006年ワールドカップも経験。浦和では在籍13年間でリーグカップ、天皇杯、J1リーグ、ACLのタイトルを獲得し、2015年に移籍した湘南ベルマーレでもJ2リーグ優勝に貢献した。2019年にレノファ山口で現役引退。現在はサッカー解説者として活躍中。国際Aマッチ出場40試合0得点。ポジション=DF。身長179cm、体重70kg。

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