
【観客の度肝を抜いた「しょまりん」】
6月14日、愛知県長久手市の愛・地球博記念公園アイススケート場。プロに転向したフィギュアスケーター・宇野昌磨が初めてプロデュースしたアイスショー『Ice Brave』が行なわれた。2度の世界王者になった宇野の人気、実力もあるが、その初公演は熱気に包まれていた。
なかでも、宇野が本田真凜とカップルを組んだアイスダンスは、観客の度肝を抜いた。
「しょまりん」。ファンの間ではそう呼ばれ親しまれるふたりは、初挑戦のアイスダンスをプログラムとして成立させていた。ツイズルの回転速度を合わせ、ステップの体の傾斜もピッタリ。リフトも呼吸がバツグンで、トランジションも自然だった。ひとつも簡単なことはない。
宇野はアイスダンスに新たに挑むことで、フィギュアスケートの可能性を広げている。それは競技者から表現者として覚醒するため、通るべき道だったのだろう。その気配と重なる影があったーー。
【高橋大輔と重なる気配】
「高橋大輔さんには憧れていたし、尊敬するスケーター。同じくらいの存在になりたいという思いが強いです。でも今は、自分自身がそう思われる存在になれるようにしたいですね」
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今年3月、筆者がインタビューした時、宇野は言葉を選びながら答えていた。
「表現者として、自分がまだまだだってわかっているからこそ、今回の『Ice Brave』に向けては意気込んでいます。大輔さんが、(『氷艶』や『滑走屋』などで)なぜあれだけ魅力的なスケートができるのか......それを自分なりに言語化して、大輔さんに限らず、いろんなものを取り入れたい。その先にある自分の表現というのを見つけたいと思います」
彼らしく敬意を失わず、"表現"への矜持も見せていた。アイスダンスに取り組んだのは、自然な流れだったのだろう。憧れの存在に近づくというよりも、表現を突き詰めるなか、アイスダンスにはその可能性があったということか。
高橋はシングルから転向し、村元哉中とカップルを組んで3年目で全日本選手権優勝、世界選手権では11位とトップテンに迫った。アイスダンスを広め、フィギュアスケート全体の人気を底上げした。それは快挙だったと言える。しかし何より彼自身、アイスダンスを経ることでスケーターとしてグレードアップしていたのだ。
アイスダンスは靴からして違う。ジャンプで大逆転は望めず、減点競技で、完璧性が求められる。たとえばツイズルひとつをとっても、回転が合わないだけで美しさを失う。そこで回転のカウントに夢中になっていると、トランジションが汚くなる。すべてをこなせても、「ボディラインの傾斜」、「つま先を合わせる」、「ホールドの支点」でズレが出ると、ぼんやりとした演技となる。
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しかも、男性はリフトのパワーが必要で、ステップでは乳酸がたまって持久力を試され、肉体改造から始まるほどだ。
「シングルの癖も抜けきらないんです」。新競技に挑み始めた当時の高橋は、現実と対峙していた。
「今までシングルで、ひとりでやってきたので。自分の思いだけでなく、ふたりでやっていく、という気持ちの面でまず違う。人と気持ちをすり合わせるというか、そこから変えていく必要があると思います。お互いをよく知ることが最初の段階で」
アイスダンスは技術、体力、メンタル、すべてが異なる。多くのアイスダンサーがツイズルで苦労するのは象徴的かもしれない。シングルのツイズルはあまり関係ないという。人と動きを合わせようとすることで、回転数や傾斜の角度で混乱し、メンタルコントロールも含めてズレが出る。だからこそ、時間が大事だと言われるのだが......。
宇野はたった数カ月で、格段に進化を遂げている。初公演でみごとなツイズルだった。驚くべきことだが、アイスダンサーになったのだ。
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【気心知れたパートナーの存在】
本田という気心の知れたパートナーがいたことも、大きなアドバンテージになっていた。本田が即興センスバツグンで、半年近く、転向も考えてアイスダンスをやっていたこともあっただろう。ふたりがリスペクトで結びついていたのもあった。
「すごい選手たちと過去にたくさん試合を経験し、今は追われる立場になったうえで自信を持てる精神状態にまで持っていけるのも彼のすごさだと思いますが......」
昨年3月のインタビューで本田は宇野について興味深い話をしていた。
「普通の選手は、練習でできていないと焦りが出て、試合だけでも跳びたいという気持ちになって、だからこそ緊張や不安も出てくるんです。でも、練習でできていなかったら悔しくないっていうのが宇野選手の考え方。長年アスリートとしていろんな場所で戦ってきたからこそ、突き詰めて体得した考え方なのかなと」
本田は、スケートにとことん打ち込める宇野に敬意を表していた。
結果、宇野がリードし、本田が応える構図が自然にできたのかもしれない。それはアイスダンスにとっては理想的な関係性と言える。宇野が本田の可憐さを引き出し、輝かせていた。
誰かと強く結びつくことで、フィギュアスケートの世界はどこまでも広がるーー。宇野自身、ショー全体で「誰かと滑る」というおもしろさを感じていた。彼はもはやシングルスケーターの枠に収まらない。"その先にある表現"に足を踏み入れたのだ。