写真―[その判決に異議あり!]―
京都市交通局のバス運転士が運賃約1000円を着服したとして懲戒免職となり、退職金約1211万円も全額不支給となった処分を取り消すよう求めた訴訟で、最高裁は4月、退職金全額不支給処分を取り消した高裁判決を破棄。これにより男性側の逆転敗訴が確定した。
ネット上では「さすがに厳しすぎる」という声も多く上がっているが、“白ブリーフ判事”こと元裁判官の岡口基一氏は、この「バス運転士退職金不支給処分訴訟」について、独自の見解を述べる(以下、岡口氏の寄稿)。
◆1000円横領で退職金がパー。処分は妥当か? 重すぎるのか?
魔が刺したとはいえ、乗客が払ったたかだか1000円程度の運賃をネコババしたことで、約1211万円もの退職金を一瞬で失うとは思いもよらなかったのではないか──。
京都市交通局のバス運転士が最高裁まで争った退職金全額不支給の処分取り消し訴訟では、高裁が、懲戒免職処分は適法としたうえで退職金には給与の後払いや生活保障の側面もあり、「全額不支給は社会通念上妥当性を欠く」として処分取り消しの判断を下していた。それを今回、最高裁が土壇場で“ちゃぶ台返し”した格好だ。
俺の場合、裁判官の良心に従って自分なりの正義を貫いたことが裁判所当局の不評を買い、ついには弾劾裁判にかけられ、もらえたはずの退職金もパーになった。だが、それは覚悟のうえでのこと。ある意味、「想定内」のペナルティだったとも言える。
一方、このケースではどうか。そもそも退職金を払うか払わないかの判断はバスの運行を担う市の裁量に委ねられているが、この手の裁量処分は恣意的な判断が入り込みやすい。そのため、自分に非があるのはわかっていても、その代償があまりにも大きいと不満に思ったら、司法の場に訴えるほかないのだ。
裁量処分の適否を判断するために、裁判所は多くの理論と判例に基づき、客観的かつ公平な審査を行う枠組みを築いてきた。しかしその一方で、行政とともに秩序を守ることを重視する「秩序維持派」の裁判官が増殖し、国民の権利を守るという司法本来の役割が後退しつつあるのも事実だ。司法の役割は行政によって侵害されがちな国民の権利を守ることに他ならない。秩序維持派の裁判官らにはそういう発想は皆無で、むしろ行政とともにこの国の秩序を維持することのほうが司法の役割と考えているのだ。
◆司法の意味を理解しない秩序維持派が制度を殺す
秩序維持派は最高裁判事の中にも増え続けている。’23年には、酒気帯び運転をした公立学校教員の退職金不支給処分が最高裁で是認されたが、最高裁はこれまでの裁判実務による理論の蓄積を無視するように、酒気帯び運転の重大性をことさらに強調しただけで結論を出した。反対したのは、5人の最高裁判事のうち「最高裁の良心」と呼ばれた宇賀克也判事のみ。まさに多勢に無勢で押し切られた。
今回の事件は、こうした最高裁判決の流れを決定づけるものと言えよう。確かに1000円の横領も許されることではない。しかし、約1211万円の退職金全額の不支給は行き過ぎである。それなのに、行き過ぎをチェックするはずの裁判所が、細かい司法審査をすることをやめ、横領はけしからんとして行政の判断を簡単に是認してしまった。これでは、もはや司法は機能していないと言われても仕方ない。
裁判は本来、行政でも行えるもので、江戸時代はまさにそうだった。明治維新を経て、江藤新平が西洋の制度を導入し、日本でも司法が裁判を担うようになったが、江藤が目指した理想は根づかなかったということだろう。
令和のいま、裁判に救いを求めたはずのバス運転手の前に現れたのは、なんと江戸町奉行の亡霊だったのだ!?
―[その判決に異議あり!]―
【岡口基一】
おかぐち・きいち◎元裁判官 1966年生まれ、東大法学部卒。1991年に司法試験合格。大阪・東京・仙台高裁などで判事を務める。旧Twitterを通じて実名で情報発信を続けていたが、「これからも、エ ロ エ ロ ツイートがんばるね」といった発言や上半身裸に白ブリーフ一丁の自身の画像を投稿し物議を醸す。その後、あるツイートを巡って弾劾裁判にかけられ、制度開始以来8人目の罷免となった。著書『要件事実マニュアル』は法曹界のロングセラー