旧陸軍西部軍が処刑した米兵の捕虜らを慰霊する法要で、米国側関係者とともに祈る冬至克也さん(右から4人目)=20日午後、福岡市城南区の油山観音 太平洋戦争末期に旧陸軍西部軍(福岡市)が処刑した米兵の捕虜らを慰霊する法要が20日、油山観音(同市)で営まれた。処刑に関わりBC級戦犯として裁かれた元陸軍主計大尉の三男、冬至克也さん(71)=同市=は「恒久平和へとつながるよう、私たちは努めなければならない」とあいさつ。戦後80年の節目となる中、日米の関係者は冥福を祈り、平和への思いを新たにした。
在福岡米国領事館の領事や在日米軍の従軍牧師も参列した。おじが処刑されたティモシー・ラングさん(61)はオンラインで参加。「私の心には怒りも恨みもない。悲しみだけが残っている」と述べた上で、「共に平和に故人をしのぶことができることをうれしく思う」と話した。
冬至さんは、父親が獄中で詠んだ短歌「わが子らとわが処刑せし米兵の子が相あはむこともあらむか」を紹介。「子どもたちの時代の平和を願ってのこと」と話し、法要によって願いが現実となったことに「世代を超えた平和の証しだ」と訴えた。
油山観音には、処刑された米兵になぞらえた地蔵4体が安置されている。空襲で母親を亡くした直後にB29搭乗員の捕虜4人を処刑した冬至さんの父親が、生前に自宅に置いていたもので、冬至さんは「戦争は勝者にも敗者にも大きな傷を残す」と述べた。
西部軍は1945年6月20日、司令部で米兵捕虜8人を斬首したほか、8月にも油山で捕虜を処刑した。法要では、一連の「西部軍事件」で犠牲になった捕虜と、西部軍が九州帝国大(現九州大)と共に行った生体解剖で死亡させた捕虜8人らの遺影が並べられた。
45年8月の処刑で油山に連行される捕虜を目撃した元通信隊員の福田コウさん(100)=福岡市=も参列。トラックに乗せられ、足を縛られていた姿を今も夢で見ることがあるといい、「助けたかったが、当時の私にはどうすることもできなかった」と話した。

油山観音で行われた太平洋戦争末期に旧陸軍西部軍が処刑した米兵の捕虜らを慰霊する法要=20日午前、福岡市城南区

旧陸軍西部軍が処刑した米兵捕虜になぞらえた地蔵に手を合わせる福田コウさん=20日午前、福岡市城南区の油山観音