
今季も驚異的な活躍を続けるドジャースの大谷翔平。しかし、その打席には昨年までとは違う"変化"が見え隠れする。メジャーの投手たちによるシビアな攻め、打球方向の変化、そして二刀流復活の影響とは──。近鉄、ヤクルトなどでコーチを務め、多くの強打者を育てた伊勢孝夫氏が今シーズンの大谷のバッティングを読み解く。
【6月に入り本塁打数激減】
さすがに去年、あれだけの成績を残したから、今季、相手チームがどんな攻め方をしてくるのか興味を持って見ていたけど、やはりというか明らかに厳しくなっている。5月にホームランを15本放ったが、6月はここまで(現地時間6月21日現在)3本塁打。その理由は、相手の攻め方がシビアになってきているからだ。
目立つのは足元への攻めだ。特に右ピッチャーは、足元へのスライダー、カットボールが多くなっている。カージナルス戦、パドレス戦とデッドボールを食うシーンがあったが、相手バッテリーからすれば内角を厳しく攻めるというのはセオリーだし、スイングを狂わせるために足元を崩しにかかってきている証拠でもある。
それに昨年は多かった外の甘めの球が少なくなり、球種もほとんどがチェンジアップか外へ逃げていくツーシーム系で、ストレート系は極端に減った。
左ピッチャーはインハイに投げて、外のカットボール、スライダー系で仕留めるパターン。まあこれは左バッターに共通した攻め方だが、とにかくどのピッチャーも球が速い。
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いずれにしても、昨季に比べてホームランになるボールは明らかに減った印象だ。
それでもホームランを打てているのは、数少ない甘く入ってきた球に対して、ミスショットが少なくなっているためだ。昨年までだったら打ち損じてファウルにしていた球を、今年はしっかりミートしている。言うなれば、限られたホームランにできるボールをミスなくしっかり叩けているというわけだ。口で言うのは簡単だが、これはとんでもなくすごいことである。
【ライト方向への強い意識】
そんな今シーズンの大谷だが、彼のバッティングを見て感じることがある。それはレフトへの打球が減ったということだ。
打者の好不調を計るバロメーターのひとつに打球方向がある。たとえば、ヤクルトの村上宗隆はセンターからレフト方向に打球がいく時は、体が開かず飛距離も出る。
大谷の場合、センターからライト方向が彼の打球と言えるのだが、昨年はレフト方向への打球も多かった。それが今年は、これまで以上にライト方向へ強い打球を打とうという意識が強くなっている気がする。誤解してほしくないのは、「強く打つこと=引っ張ること」ではないということだ。
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あくまで映像で見た印象だが、昨年までと比べて、気持ち投手寄りの位置でボールを捉えている感じがする。ボール1個分ぐらいだろうか。そのため引っ張る意識がなくても、打球はライト方向に飛ぶというわけだ。
大谷はノーステップに近いフォームだ。このスタイルでは、なかなかボールを呼び込んで打つのが難しい。ましてや、前述したようにメジャーのピッチャーのボールは速くて、球質も重い。その球をホームランにするため、大谷は始動を早めて、ボール1個分前で捉えようとしているのではないか。そう考えれば、レフト方向へのホームランが少ないのも納得できる。
少なくとも今季の大谷は、昨年までとは違う意識で打席に入っているような気がする。これまでよりインコースへの攻めが厳しくなり、甘いボールもなかなか投げてくれない。そうした状況のなかでホームランを量産するには、三振を恐れず、数少ない打てる球をフルスイングしよう......あくまで想像に過ぎないが、そんな決意が打席から感じられるのだ。
【二刀流復活の影響は?】
そしてもうひとつ、これも本人に直接聞かないことにはわからないが、"二刀流復活"も影響しているのではないか。
もともと7月のオールスター前後に投手復帰するのではないかと報じられていたが、意外と早く、6月16日(現地時間)にマウンドに上がった。本人が投げたくて仕方なかったのだろう。
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それはそれとして、懸念されるのが疲労だ。これからピッチャーとしてどんな起用法になっていくのかはわからないが、指名打者だけで出場していた昨年と比べて、バッティングに何らかの影響が出ることは間違いない。
それでも大谷にしてみれば、「二刀流が復活したからといって、ホームラン数は減らしたくない」という思いがあるのだろう。今季の大谷のパワフルなスイングは、そんな彼の意地とプライドが透けて見える。
それにしても、今季の大谷のバッティングを見ながら、あらためて彼のすごさを感じている。ふつうの人間じゃ考えられないことを、当たり前のようにやっているんだから......。もはや、我々のような評論家が良し悪しを言える次元のバッターではないことだけは間違いない。
伊勢孝夫(いせ・たかお)/1944年12月18日、兵庫県出身。63年に近鉄に投手として入団し、66年に野手に転向した。現役時代は勝負強い打撃で「伊勢大明神」と呼ばれ、近鉄、ヤクルトで活躍。現役引退後はヤクルトで野村克也監督の下、打撃コーチを務め、92、93、95年と3度の優勝に貢献。その後、近鉄や巨人でもリーグを制覇し優勝請負人の異名をとるなど、半世紀にわたりプロ野球に人生を捧げた伝説の名コーチ。現在はプロ野球解説者として活躍する傍ら、大阪観光大学の特別アドバイザーを務めるなど、指導者としても活躍している