山崎照朝さんは「静かに旅立ちました」息子倍実氏が報告「一切弱音吐かず毅然とした姿勢貫いた」

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2025年06月23日 19:09  日刊スポーツ

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1人で稽古に励む“極真の龍”の異名を取った山崎照朝さん(2020年4月19日撮影)

極真空手の初代全日本王者で“極真の龍”の異名を取った山崎照朝(やまざき・てるとも)さんが22日、胆管がんで亡くなった。77歳。山梨県出身。23日に家族がSNSで発表した。現役時代はキックボクシングでも活躍し、人気漫画「あしたのジョー」に登場する力石徹のモデルになった。引退後はボランティアで空手の指導を続けながら、格闘技評論家として健筆を振るっていた。葬儀・告別式は26日午前9時半から埼玉県の越谷市斎場で。喪主は妻せつ子(せつこ)さん。


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山崎さんは、東京中日スポーツで1月までコラム「山崎照朝 撃戦記」を連載するなどボクシングの現場に足を運んでいた。その後は闘病していたという。息子の倍実氏はSNSで「胆管がんとの闘病の末、静かに旅立ちました」と報告して「最後まで一切弱音を吐くことなく(中略)毅然(きぜん)とした姿勢を貫いてくれました」と記した。


山梨・都留高2年時に極真会館に入門。日大進学後に頭角を現した。69年に大山倍達館長の勧めで当時人気のキックボクシングのリング上がり、8連続KO勝利の快進撃で一躍スターになった。同年9月の、極真会館の第1回全日本選手権でも一撃必殺の上段回し蹴りを武器に優勝。“極真の龍”と呼ばれ、漫画「あしたのジョー」に登場する力石徹のモデルになった。


73年の全日本選手権準優勝を最後に引退した後は、ボクシング記者、格闘技評論家に転身。さらに女子プロレスのコーチとしてクラッシュ・ギャルズなどを指導した。また、地元さいたま市内に空手道場「逆真会館」を創設。長年、週末にボランティアで指導を続けていた。

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