【今週はこれを読め! ミステリー編】七つの試練に挑戦する青春犯罪小説『バッドフレンド・ライク・ミー』

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2025年06月25日 11:30  BOOK STAND

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『バッドフレンド・ライク・ミー』井上 先斗 文藝春秋
 これってさ、『悪党パーカー/汚れた7人』じゃないか、リチャード・スタークの。

 井上先斗『バッドフレンド・ライク・ミー』(文藝春秋)を読みながらそう思ったのだった。話が同じというわけではなくて、趣向の一部が似ているということである。

 急いで説明すると、〈悪党パーカー〉シリーズとは世界最高峰の犯罪小説作家リチャード・スターク、別名ドナルド・E・ウェストレイクの看板作品である。内面が一切描かれない職業犯罪者パーカーを主人公としたシリーズで、ある獲物を狙った主人公が計画を立案し、実行に移し、裏切りなどによって起きた危機を切り抜けつつ、最後には勝利するまでが描かれる。

 もう一度急いで説明すると、『バッドフレンド・ライク・ミー』の主人公である森有馬は、あらゆる意味で職業犯罪者からは遠い存在である。彼は大学を中退してなし崩しにホストになった。ホストといえば売り掛けを借金として背負わせた客に風俗営業勤務を強要する悪質な営業が問題になったことが記憶に新しい。その結果風営法も改正されたのである。以前の客の売り掛けは、ホストの立て替えに変わった。店は傷を負わず、支払い責任が客からホストに移っただけだ。その結果有馬は三百万円の借金を抱えることになり、店を辞めた。今はウーバーイーツで働きながら、なんとなく日々を過ごしている。ほら、職業犯罪者からはほど遠い。

 その有馬が、元いた店の先輩であるケースケさんに紹介されて、ジンという男と会うことから話は始まる。ジンは有馬に七つの試練を与えると言う。一つをこなすごとに報酬がもらえる。それぞれは「どうして、この程度のことをやるだけで、こんなにお金が貰えるのかと思うくらい」ごく簡単な行為なのだという。ずいぶん持って回ったことをさせるものだが、最終地点には何か違法行為が準備されている。それは最初から伝えられる。ジン曰く、「この仕事に限っては強盗や麻薬の売買ではな」く「もっとスマート」で、「上手くいけば誰も傷つけることはない」のだという。

 なんだその違法行為は。

 有馬は淡々とジンから下される指示に従っていく。このやり方が、まわりくどくて面倒くさくておもしろい。読んでいて連想したのは、昭和のこどもが熱中した探偵ごっこである。少年探偵団がBDバッジを撒きながら悪人を尾行したりするやつ。稚気とも感じられる雰囲気がジンの言う試練には漂っている。遊びの要素が強いのである。猫が鼠をいたぶっているように見えなくもないのだけど。

 で、何が『汚れた7人』なのかと言うと、この七つの試練の部分なのだった。といっても原作小説ではなくゴードン・フレミング監督の映画化作品の方だ。この映画でジム・ブラウンが演じた主人公はパーカーではなくマクレインという名前である。マクレインは計画遂行のため人を集めようとするが、各自に割り振りたい役割があるため、適した人材かどうかを見極めようとする。それぞれを罠にはめ、切り抜けられることを確認してから改めて仕事の話を持ちかけるのである。試練である。

 映画はかなりコミカルタッチで描いているので小説とは少し風合いが異なるが、実は原作にかなり忠実な構成である。というのも〈悪党パーカー〉シリーズは常に四部構成で、第一部で計画と準備、第二部でその決行、第三部で裏切りによる逆転が描かれ、第四部でパーカーが勝利するという定型ができている。ケイパー、強奪小説の基本形と見なされることが多いシリーズだが、犯罪計画の顛末をリアリティのある筆致で描いたところに魅力がある。いかに犯罪を遂行するか、という読者の関心を満足させるためには準備段階を見せることも大事なのである。作者はこの〈悪党パーカー〉の第一部にあたる部分を本家にはないやり方で書いてみたかったのではないか。

『バッドフレンド・ライク・ミー』は〈悪党パーカー〉と同じ四部から成る小説である。それぞれの部分で書かれていることは〈悪党パーカー〉とは同じではないが、構成にも作者のオマージュを感じた。とはいえ、主人公が職業犯罪者ではないので、小説の性格はかなり異なる。本作で読者の関心を引くのは、有馬がなぜジンの勧誘に乗って怪しげな計画に参加するのか、ということだろう。

 井上のデビュー作『イッツ・ダ・ボム』はグラフィティ・アートを題材にした作品だった。公共物の破壊行為に当たるので題材そのものがそうだとも言えるのだが、もっと犯罪小説的だと感じさせる要素があった。グラフィティによって主人公が何をしようとしているのかが、最初は読者にわからないような書かれ方になっている。破壊行為、法律的には犯罪と見なされる行為を通じて何かをするということが造形の中核をなしているのだから、これは犯罪小説的主人公なのである。読者に主人公について判断することを求められる作品で、それゆえに内面を容易に見てとれないような距離が置かれていた。

 この距離の取り方が、これまでの井上作品に共通する特徴である。七つの試練に挑戦することによって自分の身に何が起きているのか、を有馬は考えながら行動していく。同じ謎を読者は共有するわけだが、並行して、当の有馬は何を考えているのか、も考えなければならないのである。有馬がなぜ安定した日々を捨てたのかという問いに対しては、物語の終盤で一つの答えが示される。答えというよりは傾向のようなもので、傾いているところに球を置けば転がるよね、窓から身を乗り出している人を押したら落ちるよね、という程度の普遍的なものにすぎない。わかりやすい答えは有馬と読者の間、どこかに漂っている。それを捕まえたつもりになってどうも手が届かない感じが、小説の余韻を作り出しているのである。これは技巧の勝ちだと思う。上手く掴まえることができなかった読者は、有馬の見えない部分に自分を重ねて理解したくなるのではないか。そういう形で読者の気持ちを掴んでいる。

 小説は東京を描いたものとしても優れていて、有馬はあちこちに出かけていく。ウーバーをやっているので俯瞰ではなくて等身大の高さで街を見るし、それぞれの地域の特徴が個性的に描きこまれてもいる。都市小説としても成立するよう、作者は意図して具体的な地名を書き込んでいるのである。固有名詞の使い方に明確な意図を感じた。

 青春小説でもあり、非常に好感を持った。いい出来だということを認めた上であえて苦言を呈すると、犯罪小説としては若干の不満がある。ネタばらしをしない程度に薄めて言うが、最後まで読んで計画の全貌がわかったときに、不可視のまま残される部分があるのだ。回路図の一部がブラックボックスになっているようなもので、通電するのだから安心しろ、と言われても下請けは困ってしまう。視点の置き方からして仕方なかったとは思うし、重度の犯罪小説マニアからの物言いとして無視されても結構である。これに似た犯罪小説を偏愛するものなので、どうしても一言申したかった次第。その犯罪小説とは何か、ということはまた別の機会に。

 いや、いい小説だった。犯罪小説好きなら読んだほうがいい。読んだら映画版の『汚れた7人』もどうぞ。

(杉江松恋)


『バッドフレンド・ライク・ミー』
著者:井上 先斗
出版社:文藝春秋
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