画像:フジテレビ系『続・続・最後から二番目の恋』TVer配信ページより 毎週、多くの人たちが感想をつぶやきたくなるドラマ『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系、月曜よる9時〜)が終了した。
鎌倉という歴史あるおしゃれな町を舞台に、長倉和平と、その隣に越してきた吉野千明がおりなす、ハートフルなホームドラマとして最初は2012年に放送された。そこから13年、前シリーズから11年がたち、テレビ局のドラマプロデューサー・吉野千明(小泉今日子)も定年間際。長倉家の長男で鎌倉市役所に勤めている和平(中井貴一)は定年後も嘱託として市役所勤めを続けている。
一時は男女の関係になりかけたり、酔ってはいたがプロポーズされたりと、千明と和平の距離が縮まったこともある。だが結局、ふたりは男女の関係にはならないままで、基本的に「吉野さん」「長倉和平」と呼び合い、代名詞は「あなた」である。言いたいことを言い合い、千明につられて和平も毒を吐きながらも、「ですます」調で話しているのが、ふたりの距離感を表していて興味深い。
◆13年前にやってきた千明は「新しい風」だった
13年というスパンで考えると、千明が鎌倉に越してきてから、実にいろいろなことがあった。最初は長倉家の次男(内田有紀演じる万里子と双子)である若い真平(坂口憲二)と恋人関係になったものの、それが真平の「寂しい女性を見放すことができない」天使としての使命感からだったとわかり、ふたりは破局。だがいい関係は続く。真平のはからいで千明は毎朝、長倉家で和平、典子(飯島直子)、万里子、真平、そして和平の娘えりな(白本彩菜)らと食事をとる。
和平は妻を亡くし、きょうだいの助けを借りつつ、ひとり娘のえりなを育ててきた。親を早くに亡くしたきょうだいたちにとって、13年前にやってきた千明は「新しい風」だったのだ。そしていつでも違う風を吹き込んでくれる存在となってきた。
◆隣の家の話を見るような、あるいは中に入り込んだような気分で
妻とは違うタイプの千明と丁々発止、やりあうことで和平は「説教臭く、責任感の強い長男」の頑固さが少しずつ柔らかくなっていく。千明もまた、ひとりで突っ張ってしまうところを和平に何度も救われる。ふたりはぶつかりながら、お互いのよさを引き出し合っている。
ぶつかりあってお互いの負の部分を引き出し合う関係は長くは続かない。千明と和平は、言いたいことを言い合って、ときにはディスりあうことで長所を認め合う。それこそが「馬が合う」ということなのだろう。
13年間、きょうだいそれぞれ、いろいろなことがあった。視聴者は、まるで隣の家の話を見るような、あるいはその家族の中に入り込んだような気になりながら観ることができた。
長倉家4人きょうだいと千明の人物描写が、それぞれの演者のキャラクターとあいまってリアルな躍動感をもって迫ってくるのが、このドラマの最大の魅力かもしれない。
◆この年になって誰かと別れるのはもう嫌だ
今シリーズは特に主役ふたりがアラ還とあって、仕事でも「年齢」を意識せざるを得なかったり、この先どうやって生きようかと悩んだり。それでも千明は、最終的にはいつでも未来に希望をもち、未来の自分に恋をする姿勢を変えない。
最終回、それぞれの登場人物たちはそれぞれにおさまるところにおさまり、大団円として千明の還暦祝いパーティが催される。千明は定年退職をし、小さなドラマ制作会社を作る準備を始めている。和平は愛する鎌倉市の副市長となった。まだまだふたりは現役だ。
パーティのあと、長倉家のテラスで、和平と千明がふたりでしみじみと語り合っている。
「私たちは結局、このままなんでしょうかねえ」
和平がつぶやくと、千明は昔のプロポーズの件を持ち出す。ふたりともそれを覚えていたとわかり、ほっとするが、千明は「怖い」と心のうちを白状する。
「この年になって誰かと別れるのはもう嫌だ」と。それは和平も同じだった。一緒に暮らしてぴったりくっついて生きるより、隣人でいたほうがふたりにとってベストな距離感なのではないかと千明は提案する。賛同しながらも、和平は「朝起きたら、すっぴんのあなたが隣にいる暮らしをしてみたい」と言う。女性にとってはうれしい話だが、仕事最優先で生きてきた千明にとっては、それも怖いのかもしれない。
「約束しません? いつか怖さが薄れたら、そのときは一緒に暮らしましょう」
和平の出した小指を、千明は小指ではなく手でしっかりと握る。そこに和平を信頼する千明の気持ちが透けて見える。
◆尊重しあっていたら、恋愛より重いものを手に入れてしまった
ふたりはいつも互いの心を読みあってきた。相手の顔を見れば「何かありました?」と言葉をかける。わかってしまうのだ、顔色や表情で、その日にいいことがあったのか悪いことがあったのか。それを互いに話し、ジャッジを下すことなく耳を傾けてきた。その時間の積み重ねが固い信頼関係を育ててきたのだろう。
恋愛至上主義ともいえる彼らの世代だが、恋愛感情より先に人間同士の考えや価値観を尊重しあっていたら、恋愛より重いものを手に入れてしまった。もはやいつ男女の関係になってもかまわないはずなのに、逆にその重い人間関係を失うのが怖くなった。それでもふたりはいつも隣にいる。しっかりそれを確認しあった最終回だ。
すっかり大人になった和平の娘が、恋人に「おとうさんとおかあさんは仲がよかった」と話す。「おかあさんを見るおとうさんの目の優しさ」を語り、母を失った父がどれほどしょげていたかを振り返る。
「でもおとうさん、千明さんといるとき、ときどきあの頃の目になるんだよね」
心から相手をいとおしみ慈しむまなざしを、和平は取り戻した。
◆自分が自分らしく生きているか、人生の永遠のテーマ
このドラマ、誰もが「自分らしく」生きるためにもがき続けている。誰かと比べているわけではなく、あくまでも“自分比”である。自分が自分らしく生きているか。それは人生の永遠のテーマなのではないだろうか。
最初のシリーズから一貫して「さびしくない大人なんていない」と千明のナレーションが入っていた。年齢を重ねれば重ねるほど、その「さびしさ」は深く濃くなる。それでも、いや、それだからこそ人は人を求める。水に浮かぶ白鳥のごとく、他人には笑顔で、だが水面下で必死にもがく。かっこ悪いことはしたくない。だが、親しい人にだけは、ときにもがいている姿をさらけ出す。誰もが生きづらいが、誰もが必死なのだ。そしてそうやって少しでも前に進む「人という生き物」に、脚本家・岡田惠和の温かい目が注がれている。
<文/亀山早苗>
【亀山早苗】
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio