田原俊彦 LIFE IS A CARNIVAL [通常盤]/ユニバーサル ミュージック ◆ラジオでセクハラ…『うたコン』出演もキャンセルに
6月15日放送の『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)でのセクハラが批判を招いている、歌手の田原俊彦。女性アナウンサーを相手に「真ん中の足はもっと上がる」などの下ネタ発言や、アナウンサーの手に触れたりするなどの行為を連発したのです。
TBSラジオは番組内で問題行動があったと明らかにし、田原のマネジメント担当に再発防止を申し入れたと発表しました。その後、田原は「調子に乗りすぎた」と謝罪し、爆笑問題も「(田原をそのような下ネタに)誘導してしまった部分も大きかった」と釈明し、騒動は収束しました―――。
かと思いきや、6月24日に出演予定だった『うたコン』(NHK)が突如田原の出演キャンセルを発表し、各方面に影響が広がっています。
ネット上では、“アイドル時代の感覚がそのままなのでは?”とか、“時代に合わせてアップデートしないといけない”といったコメントが多く見受けられます。確かに、このご時世にどストレートな下ネタを繰り出す感覚は昭和です。
◆セクハラを“ユーモア”として認識してしまうのはなぜか?
しかし、爆笑問題もそれを良しとして煽っていたのですから、それがエンターテイメント的に正解だという共通理解があったように思います。田原、爆笑問題にとって「真ん中の足」とは悪ノリではなく、むしろ定着した文化としての下ネタである。つまりトーク芸におけるポジティブなユーモアだと認識していたことが、この件の根っこにあるのだと思います。
彼らを育んできた“文化”こそが考え違いのもとなのですから、単に時代感覚をアップデートすることによって修正できるものではありません。
では、その“文化”とは一体何なのでしょうか?
◆今回の件は、田原俊彦個人の問題ではない
それは、女性が嫌がることをわざと言うことによって快感を得る笑いです。男の幼児性をあえてオープンにすることで、他者(女性)からの批判を封じ込めてしまう。そのためのガキっぽさですね。80年代以降のバラエティ、お笑いは、全てこの論法のもとに発展してきたと言っても過言ではありません。
こうしたガキっぽさが幅を利かせてしまった結果、トークとは名ばかりで独りよがりの言葉が横行するようになってしまいました。よくバラエティ番組で使う“爪痕を残す”という言い方からもわかるように、言葉は双方向ではなく、単発のギャグやキャッチフレーズが脈絡なく羅列するような状況が生まれてしまったのです。
出演者だけでなく、視聴者にもそうした“文化”が刷り込まれています。それは家庭や学校、会社などにおけるコミュニケーションにも伝播し、回り回って番組制作に反映されていく。
だから、田原俊彦の下ネタは、彼個人の問題ではなく、社会に染み付いた“爪痕を残す文化”のあらわれとして認識すべき事柄なのですね。
◆「時代に合わせて考えをアップデートすべき」という意見は無責任?
本来ユーモアとは、話者が自分を一段下げて相手をリラックスさせ、もてなす中で生まれる笑いのことを言います。
けれども、現代の日本では学校にも家庭にも社会にも、そうした技術を学ぶ機会がほとんどありません。一生懸命に自分の存在を訴えることにこそ意義があるという価値観だからです。残念ながら、メディアも、その風潮を後押しする役割を果たしています。
そう考えると、田原俊彦の下ネタ連発は彼のタレントとしての価値を訴える手段だったのだから、一概に否定できるものではないはずです。
同時に、“時代に合わせて考えをアップデートすべき”などと、無責任にアドバイスできるものでもない。
ここには、もっと深い教育の問題があると思うのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4