50機到達に「充実感」=H2A開発の初代責任者

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2025年06月29日 19:31  時事通信社

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時事通信社

H2A初号機打ち上げ成功後に開かれたシンポジウムに登壇した初代プロジェクトマネジャーの渡辺篤太郎さん(中央)=2001年10月、北九州市(本人提供)
 「日本でこれだけ数を打ったロケットはない。満足感や充実感はある」。H2Aの初代プロジェクトマネジャーとして、開発から2号機打ち上げまで携わった宇宙航空研究開発機構(JAXA)OBの渡辺篤太郎さん(78)は、日本の大型ロケットとして最多の50機を打ち上げたH2Aの開発を、こう振り返った。

 1971年に前身の宇宙開発事業団に入った渡辺さんは、小型の技術試験用ロケットの開発、運用に始まり、最新のH3と同じ液体水素・酸素を用いるH1や、純国産を実現した先代H2の開発などに従事。96年に開発が始まったH2Aのプロジェクトマネジャーに就いた。

 H2で世界水準に並ぶ技術力を獲得したものの、他国より2倍近い費用が課題に。渡辺さんは、エンジンの溶接部位を10分の1に減らし、タンクの構造を簡素化するなど、製造や整備が容易な設計に変更。高価な宇宙専用部品を減らし、十分に安全性を確認した上で民生品を用いるなど、H3にもつながる手法でコストと信頼性を両立させた。

 開発終盤にはH2が2機連続で失敗。H2A初号機まで失敗すれば、「日本の大型ロケット開発はなくなるかもしれない」という空気に包まれた。囲碁が趣味の渡辺さんは、「超一流のプロでも体力、気力が尽きかける終盤の『寄せ』でミスが出る」と、打ち上げの半年延期を決断。万全の体制で臨んだ2001年8月の初号機は見事成功を収めた。

 以来24年。03年に6号機が失敗したほかは順調に成功を重ねたH2A。「6号機の後に改良点はあったが、基本的な設計は間違っていなかった」と胸を張る渡辺さん。「一言では言い切れないが、H2Aには『ご苦労さまでした』と声を掛けたい」と目を細めた。 

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