
Text by 南麻理江
Text by 石原大輔
日本では昨年10月に公開され、いま現在は韓国で上映中の映画『HAPPYEND』。韓国では公開から1か月で10万人以上を動員するヒットとなり、話題を集めている。同作は、空音央監督の長編映画のデビュー作だ。
今年はじめて開催した『CINRA Inspiring Awards』では、同作がコムアイ賞を受賞した。この機にあらためて、空音央監督にインタビュー。『HAPPYEND』制作裏話はもちろん、映画制作をしていないときは何をしているのか、またアイデアの種を記録する「ミソ帳」のこと、さらに、終わらないガザ侵攻を目の当たりにして考えていることなど、たっぷりと語ってもらった。
—2024年10月、空音央監督の長編劇映画デビュー作となる『HAPPYEND』が公開されました。国内外で評判を呼んだほか、いまは韓国で話題で、公開1か月で観客動員10万人以上のヒットということですね。
空音央(以下、空):韓国の興行収入ランキングの上位が、『マインクラフト/ザ・ムービー』と『鬼滅の刃』と、『HAPPYEND』、その並びに入ってるんですよね(笑)。驚きますね。
—どのように受け止められているのでしょうね。
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—なるほど。たしかに韓国は、若い人が積極的にデモをしたり、声を上げたりする印象があります。そんな状況と『HAPPYEND』がつながってくるんですね。
空:韓国って、社会運動やデモもそうですけど、それがポップカルチャーとうまい具合に共存してる感じがします。最近のデモでは、アーティストが演奏しているのを動画でも見ましたし。日本だと真面目な人が参加するイメージが先行する人が多いと思うんですけど(実際は違いますが)、韓国は全然違って、それが面白いです。
空音央 (そら ねお)
米国生まれ、日米育ち。ニューヨークと東京をベースに映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動している。これまでに短編映画、ドキュメンタリー、PV、アート作品、コンサートフィルムなどを監督。個人での活動と並行してアーティストグループZakkubalanの一人として、写真と映画を交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。2020年、志賀直哉の短編小説をベースにした監督短編作品『The Chicken』が『ロカルノ国際映画祭』で世界初上映したのち、『ニューヨーク映画祭』など、名だたる映画祭で上映される。2024年公開の坂本龍一のコンサートドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』では、ピアノ演奏のみのシンプルかつストイックな演出ながら『ヴェネツィア国際映画祭』でのワールドプレミア以降、山形、釜山、ニューヨーク、 ロンドン、東京と世界中の映画祭で上映、絶賛された。2024年10月、長編劇映画デビュー作となる『HAPPYEND』が公開。
—さきほどもデモ、社会運動というキーワードが出ましたが、『HAPPYEND』は近未来の日本を舞台とした作品で、大震災の予感をはじめ、AIによる監視など、ある種のディストピア的な雰囲気がありますね。日本の近未来というのを舞台設定にするなか、高校生の男の子たち、女の子たちの友情の変化やアイデンティティの揺れ動きを描いています。あらためてこの作品は、空監督としてはどういう気持ちでつくられたんでしょうか。
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空:僕は小学校から高校まで同じ学校で、5人の友達グループと一緒にいた。『HAPPYEND』のユウタの家にみんな集まる描写がありますけれども、僕の家がそういう感じだった。いつもうちに集まって、夜な夜なジェンガをして——20代までずっとジェンガしてた。そうすると、その友情がすべて、みたいになっていく。
その5人とは大学ではバラバラになりましたが、似たようなアプローチで、似たように近しい友人ができた。そんなとき、大学2年生のときかな、東日本大震災が起きた。僕にとって自分の政治性が目覚めるきっかけになった出来事でもあって、そこから社会のことをいろいろ調べ始めて、そうしてはじめて見えてくるものがあるんですよね。
当時2010年代、トランプ大統領の就任やブラック・ライヴズ・マター、ノースダコタのパイプライン運動などなど、アメリカでもさまざまな出来事があった。友人たちと議論し合うんですが、どんどん友情がこじれていく。反対に、そういう時代にできた友人って大事で、自分の支柱みたいなやつらで、それでも離れていってしまうんですよね。理由はよくわかるんですよ。自分のアイデンティティを模索するなかで付き合いが悪くなっていったり、考えが合わなくて僕から離れていくこともあるし、単純に差別的なことを言われたこともあるし。
でも、やっぱり、そういうときって悲しいじゃないですか。
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—映画を拝見して、空さんって本当にユーモアを大事にされている方なんだなって思うんです。
空:はい、ユーモア大好きですね。
作品の脚本を書いたあと、さあどうやって撮るのかっていうとき、監督によるんですけど、絵コンテを書く人もいれば、まったく何も用意せずに現場で俳優たちとやる人もいる。僕の場合は、かなり綿密にスプレッドシートに書き込むんです。それももちろん、現場でどんどん変わったりはするんだけれども。
そこですごく大事にしていたのが、3つの要素がなければいけないっていう考え方でした。まず1つは、シーンやショットの機能的な部分。2つ目は、キャラクターたちの行動、つまり物語の理由。で、3つ目には必ず、何かしら映画的な喜びを入れるということ。
その映画的な喜びは、美しい音でも音楽でもいいし、コメディでもいいし、あとはカメラの動きも——すべてのショットにちょっとした面白みを入れることを、チャレンジとしてやってみたんですよね。
—映画をもう1回見て、自分でスプシに埋めていきたいですね。
—まだ見ぬ次回作に向けて、空さんはいま、いろいろなものを吸ったり吐いたりしているんだろうなというふうに考えていて。そういったタイミングで映画監督の方に何をしているのかお聞きできる機会もないのでぜひ聞いてみたいのですが——。
空:仕事を探してます。
—そうなんですか。
空:インディペンデントの映画をつくることって、驚くほどお金にならないんですよ。いろいろアイデアがあるので次の映画も考えてはいるんですけど、数年ぐらい練って、それなりに集中して書く必要がある。でも、その期間も家賃も払わなきゃいけないし。
『HAPPYEND』のときは貯金をして、制作だけに集中していました。いまは、友達がバイトを振ってくれたり、「ちょっと撮影してよ」もあるし、前までは翻訳もやっていて、字幕をつくったり。撮影現場の通訳で入ったりもしていましたね。
—映画監督以外のお仕事をされつつ、生活をするなかでそれこそ、何か創作の種だったり、インスピレーションになりそうな活動だったりもされているのでしょうか。
空:そうですね。仕事以外の話だと、20代中盤ぐらいから始めた自分の習慣の1つとして、「ミソ帳」をつけています。「映画のミソになりうるアイデア」を書き留めていくんです。1950年代ぐらいの日本の脚本家や監督がつけていて。
なんでもいいんです。ちょっとした物語の種だったり、それこそ、さきほど言った「映画的な喜び」だったり。(インタビュアーの)南さんと石原さんの後ろで、エアコンの風に揺れている植物が、2人に合わせておしゃべりしているみたいに揺れていることだったり。
日々生活して、街を歩いたり、人の話を聞いたりしてると「これ面白いんじゃないか」ということに遭遇する。スマホのメモ帳アプリに、そういうのが何千個も記録してあります。
あとになると絶対忘れちゃうので、水に濡れないメモ帳を買っておいて、シャワーやお風呂でいいアイデアを書けるようにしています。
—すごい!
空:映画はある意味、バケツみたいなもので、どのバケツにも入らないメモはミソ帳に入っています。生活をしていると、これはこれに合うんじゃないかっていうのが直感的にわかるときがあって。
いまは例えば、葬式のコメディを書こうとしていて。最近、葬式や三回忌に行く機会があって。そのときお寺で、たぶんみんなに聞こえやすくするために、お坊さんがマイクをつけてお経を読んでいたんですよね。だけど、マイクにノイズが入って、ノイズミュージックみたいなお経になった。そういうのって、なんだか面白い。
でも、いま一番時間を割いてるのは、やっぱりデモなど、そういう「社会運動」ですね。
—デモはどんな頻度で参加されているんですか?
空:最近ちょっと忙しくて以前に比べて行けてないんですけれども、デモは毎週のようにあるので、行けるものには行きたいなと思っていて。2、3か月前は、週1ほど参加していました。
—今日も、空さんのキャップには「フリーパレスチナ」のワッペンが縫い付けてありますね。空さんを初めてメディアで見たのがたしか『ヴェネチア国際映画祭』で、そのときもフリーパレスチナのパッチをつけてらして。日本では身につけるもので抗議の声を表明する人はそう多くないと感じているので、とても印象に残っています。
空:映画監督は、映画を公開したあとはそれなりにメディアに出る職業でもある、特権的な立場。10月7日は『HAPPYEND』を編集していたときで、だから、これは映画どころではないのではないかと思いながらも、作業を進めていました。
日本の場合、社会運動やデモが(主流メディアに)取り上げられなくて。だったら、メディアに出る機会があるなら必ずパレスチナの話をして、パレスチナへの連帯を表明するパッチやアイテムなどをつけるようにしようって決めてたんですよね。
—海外の俳優の方々が、例えば映画祭でそういうふうに態度を表明しているシーンはよく目にします。それこそ日本でもよりカジュアルに、声を上げられるようになるといいですよね。
空:そうですね。同僚とカルチャーやスポーツのことを話すぐらいの感覚で、政治のことも話ができるといいんじゃないかなって、いつも思います。
空:いま、ある意味で、毎日の生活や仕事にモラルが人質に取られているようなところがあるなっていうふうに感じていて。
自分が気づかないところで、いろんなシステムが回っているじゃないですか。例えば、日本の年金資産については、増やすために積立金を運用しています。いまの世界経済システムのなかで最も投資で利益が出るものの一つに武器産業があるわけですが、日本の積立金も武器産業に投資されている現実があって——それは許せない。すぐには変わらないかもしれないけど、声を上げ、行動していくことが大事なんじゃないかなって思うんです。
そういうことを考えすぎていて、なんだか映画どころじゃなくて……。
—すごくわかります。
空:あんまり映画も見られなくなってきていて。というのも、現実世界で起きてることが想像を遥かに超えてくるから。
フィクションの脚本を書くと「こんなのあり得ないよ」というツッコミが入るんですよ。これは現実的じゃない、かけ離れすぎていて誰も信じない、って。いやいや、ちょっと待って。ニュースを見たら映画よりすごいことが起きているんだけれども、フィクションに入れ込んだ途端に度が過ぎた感じに思えてしまう。だから、塩梅がどんどん難しくなっている。
—現実があまりにも酷いと。そういうときはもう、ミソ帳は捗らないんでしょうか。
空:なんでしょうね。いくつか「バケツ」はあって——『HAPPYEND』もそのひとつですが——僕のなかでは、何かしら曖昧な感情を記録する装置として、映画という存在があって。でも、どのバケツにコミットしたらいいのか、まだわからないんです。
—世の中で映画ができること……意味や立ち位置みたいなことも、影響するのかもしれないですよね。
空:タイミングもあります。いまガザで起きていることにクイックにレスポンスするのはちょっと難しいし、本当にしていいのかっていう気持ちもある。例えばガザ出身の監督が、自分たちのために映画をつくる場合はまた話が違ってくるけれど。映画って一つの商品としても存在するので、ビジネスとしての側面もある。
映画祭の多くは「こんないいものがあります」という見本市。こんなに気持ちを入れた映画が、こういうふうにビジネスライクに取引されるんだ、みたいな現実も目の当たりにして、気持ちが削がれることもありました。また映画祭によっては、武器産業企業やそれに投資する銀行がスポンサーについているものもあったりして。映画というものと真逆じゃないかって、思ったりもして。
いや、だから、もうね、削られてます。だんだん悲しくなってしまう。
—このセンシティブな国際情勢で、日々、刻一刻と状況が変わり、死者数が増えていって。完全にキャッチアップできてないから、なかなか自分の意見を言えないって思っちゃう人、私も含めて多いんじゃないかと思います。空さんは、そういう人に対してはどう思いますか。
空:できることからするのがいいんじゃないかと思うのと、物事をそんなに複雑に捉えなくてもいいような気もしていて。
さまざまなナラティブをいろいろな視点から、毎日浴びていますけれども、結局のところ、例えばガザでは食料の運搬が一方的に断たれているとか、子どもが何万人も殺されている、それはダメでしょって、別に言っていいと思うんですよね、ダメなんだから。
小学生ですらわかること、むしろ子どものほうがモラルに対して敏感なのかもしれない。人を殺しちゃいけない、とか教わるじゃないですか。そういうレベルのことでいいと思うんです。こんなに人間が爆撃されているのはダメに決まっているじゃないかって、それだけ。
自分のなかに「越えられない一線」を持っておくのがいいと思います。例えば、ジェノサイドであるとか。そこを越えたら声を上げる。で、同じように声を上げている人たちとのアクションにつながって、どんどん発展していく。だから、すごくシンプルに考えていいんじゃないかなって、思います。