【今週はこれを読め! エンタメ編】世界を転々とする「わたし」〜柴崎友香『帰れない探偵』

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2025年07月01日 11:40  BOOK STAND

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 二度と目にすることのできない景色を、多くの人は心の中に持っているのではないだろうか。なくなってしまった店や建物、開発されて変わってしまった街並み、災害などによって失われてしまった風景......。読みながら、今は記憶の中だけにある場所で過ごした時間のこと、帰ることのできない大切な場所を思い続けているであろう人たちのことを考えていた。

 主人公の「わたし」は、「世界探偵委員会連盟」の学校を卒業したフリーの探偵である。恩師の紹介でやってきた街で開業したばかりだ。事務所兼自宅はすぐに決まり気に入っていたのだが、街に来て七日目に起きた停電の直後から、どういうわけか見つからず帰れなくなった。不動産屋とも連絡が取れず、依頼者の家に泊めてもらう日々だ。

 なぜ家が見つからなくなったのか。その謎を追うミステリなのかと思ったが、そうではない。「わたし」は先輩の誘いや世界探偵委員会連盟からの紹介により、次々に住む街を変える。大きな事件を解決するわけではない。手がけるのは、街で暮らす人々に依頼される過去探しのような仕事と、目的のわからないどこか不穏な匂いのする調査である。それぞれの街や国に具体的な名前はないが、実在する場所を思い起こさせる特徴や歴史を持っている。依頼される調査には、私たちが生きる世界で起きているさまざまな出来事と、無関係ではない問題が絡んでいるようだ。

「今から十年くらいあとの話。」

 全ての章は、この一文から始まっている。主人公が、住んでいた国の空港から探偵学校に留学するために飛び立とうとしている「今」からしばらく後に、大きな災害が起きる。その後国の統治体制が変わったことから、主人公は帰国できなくなり、探偵として働きながら移動し続けているのだ。故郷の友人たちとは連絡を取り合うこともできず、SNSで動向を確認している。自分の国の空港で出発を待っている「今」は、想像もしなかった十年後が、主人公には訪れるのだ。

 今、私が暮らしているこの場所は、十年後どうなっているのだろう。ほとんど変わらずここにあるのかもしれない。大きく変わっているのかもしれない。帰れない(もしくは帰りたくない)場所になっているのかもしれない。見慣れない風景にも、ありえない現実にも、受け入れがたい何かにも、いつしか慣れてしまって当たり前になっていく。そこには恐ろしさもあることに気づいているはずなのに、見ないふりをしてしまう現実を、私は知っている。小説によって心がいろいろな方向に動いている「今」を、十年後にきっと思い出そう。

(高頭佐和子)


『帰れない探偵』
著者:柴崎 友香
出版社:講談社
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