立花もも新刊レビュー 恩田陸、小川洋子、吉田恵里香 人気作家たちの注目作をピックアップ

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2025年07月04日 15:20  リアルサウンド

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(左から)恩田陸『珈琲怪談』 (幻冬舎) 小川洋子『サイレントシンガー』(新潮社)吉田恵里香『にじゅうよんのひとみ』(ハーパーコリンズ・ジャパン)

 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する連載企画。数多く出版されている新刊小説の中から厳選し、今読むべき注目作を紹介します。(編集部)


恩田陸『珈琲怪談』(幻冬舎)


 〈怪談をしている時の、独特の親密さが好きだな。『怖い』という感覚を共有しているという一体感があるだろ、ビジネス抜きで。怪談くらい、話すこと自体が目的の純粋な話題ってない〉と本作の主人公である塚崎多聞は言う。


 仕事に行き詰まった作曲家の友人・尾上に誘われて、京都の喫茶店を転々としながら階段を語り合う「珈琲怪談」の会に誘われた、記念すべき第一回のときのことである。珈琲怪談といっても、珈琲にまつわる怪談には限らず、飲み物も紅茶だったりビールだったりと自由気まま。そんなゆるりとした空気のなか、50代の男4人が怪談を披露しあう、その淡々とした空気のなかに、ふとすべりこむようにやってくる、ひやりとした瞬間がおもしろい。


 怪談は、語りを誘発する。誰かの体験を聞いているうちに、記憶が刺激されて、そういえばと自分も語りだしたくなる。自分でもいったい何を見たのか、聞いたのか、本当に体験したことだったのかもわからないくらい曖昧で、誰にも告げることのできなかった記憶を、打ち明けたくなってしまう。だから男4人のおしゃべりはいつまでも尽きないのだけれど、不思議なことに、読んでいるこちらもまた「そういえば」と思い出し、語りたくなってしまうのだ。


 誘発されるのは、人間ばかりではない。語れば寄る、とよく言われるように、珈琲怪談が催されるたびに多聞はこの世とあの世の境目に立つような不思議な経験をする。多聞と一緒に会を重ねるごとに、私たちもまたその揺らぎを見る。はたして自分が現実だと信じているものは「本当」なのか。思い出として抱いているものがもし、すべて思い込みのまやかしだったとしたら。そんな、ふわふわとした白昼夢に誘われる本作。語られている内容のほとんどが、著者もしくはその知り合いの実体験をもとにいていると書かれたあとがきが、いちばん怖いかもしれない。



小川洋子『サイレントシンガー』新潮社


 小川洋子さんの小説に静けさと賑やかさが同居している。静謐な文章を読み進めるにつれて、いつもはうるさいくらいに思考がうずまき、あれやこれやと波立っている心の内側が凪いでいき、かわりに物語のなかに生きる人たちの語りがそこかしこから聞こえだす。その声に、世界の音と色に、気づくためにこの静けさはあるのだと、どんな作品を読んでいても思う。


 なかでも本作は、ひときわ「静けさ」を描いた小説だ。「人間のために、神様が耳を二つ作ったのに、舌を一つしか作らなかったのはなぜだか分かるかい?」「お喋りしすぎないためだよ。聴く方が、喋るより二倍大事なんだ」と、主人公・リリカのおばあさんは言う。そんなおばあさんが、ひとりでリリカを育てるために働きだしたのが「アカシアの野辺」と呼ばれる集落だ。そこでは、内気な心を守るため、世俗を離れた人たちが、口から発する言葉ではなく指を動かす指言葉で最低限の意志疎通を行いながら、自給自足の生活を営んでいる。


〈魂を慰めるのは沈黙である〉という彼らにとって、赤ん坊だったリリカの泣き声は、歌うことと同様に〈特別な沈黙〉だった。彼らの静けさを愛するリリカは、森のなかに、大地に溶けこむような歌声を育てていく。誰の心にもするりとすべりこみ、優しく守ってくれるのに、意識しなければ聞き過ごして、忘れてしまう。誰もかれもが自分の存在を主張し、言葉を尽くして語り合わずにはいられない今の時代の逆をいく、リリカと野辺の人たちの生き様を描いた本作は、私たちに在るべきものを取り戻させてくれる、祈りそのものである。


〈野辺の人たちは、完全なる不完全を目指している〉と本作にはある。何もかも満ちているわけではないからこそ、満たされるものもある。そのことを、リリカが証明してくれるのだ。



吉田恵里香『にじゅうよんのひとみ』(ハーパーコリンズ・ジャパン)


 朝ドラ『虎に翼』の脚本家が、はじめて書いたという小説が満を持しての復刊である。24歳の誕生日を迎えた主人公・ひとみの前に、突然見知らぬ赤ん坊が現れ、1時間に1歳ずつ成長していく。その姿に、赤ん坊はかつての自分だということに気づかされ、いやおうなしに過去と向き合わざるを得なくなっていくという、ファンタジックな物語である。


 ひとみは、学生時代に人気者だった丸山くんの恋人であるということ以外に、誇れるものがなにもない。そんな彼と同棲4年目、というのが唯一「成し得た」結果だけど、それもまた順調とは言い難い。このままじゃいけないとうすうすわかっていても、自分の力で現状を打破する根性もなく、うだうだしているひとみにとって、いちばん出会いたくないのは過去の自分。こと十代の、基本的に大人を見下している、全能感にあふれた思春期の自分である。


 読みながら、きっついなあと思った。私だって、14歳の自分になんて、会いたくない。今の自分はそれなりに悪くないと思っているけれど、あのころの自分からしてみたら、なりたい自分に慣れなかった現実にどうにか折り合いをつけつつも穏やかに暮らす自分は、絶対に「大事なものを失って日和った、情けない大人」でしかない。しかし、じゃあ十代の自分がすばらしかったかといえば、青臭くて痛くて、いたたまれないのもまた事実。その一歩一歩の積み重ねで「今」はあるのだ。


 主人公なのに、ひとみはとことん自分本位で、みっともなくて痛い部分をさらけだしてばかり。でも、その痛さごと自分を抱きしめるように、今を見つめ直していくひとみが、読んでいると愛おしくなってくる。やがて自分は自分でしかあれないという現実から、逃げない決意をかためるひとみの姿に励まされもする。傷だらけになって、もみくちゃになりながらも、力強く生きていこうと思える勇気を、もらえる小説である。



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