瀬戸さおり「何度も悩み何度ももがき…」井上ひさしさん作「父と暮らせば」を熱演「7・5」開幕

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2025年07月05日 20:49  日刊スポーツ

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「父と暮らせば」に出演する瀬戸さおり

戦後80年となる今年、こまつ座第154回公演「父と暮せば」(作・井上ひさし氏、演出・鵜山仁氏)が5日、東京・紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで開幕した。福吉美津江役で出演した女優瀬戸さおり(35)がコメントを寄せた。


「無事に初日を迎えることができ、とてもうれしく思っています。お稽古では何度も悩み、何度ももがきました。そして今も、もがき続けています。でもそれは、美津江が一歩を踏み出すために、私自身にとって必要な時間だったのだと感じています。この物語が、一人でも多くの方の心に届くように。舞台の上で、誠実に、美津江として生きていきたいと思います」


こまつ座とは1983(昭58)年、作家・劇作家の故井上ひさしさんが座付作家として立ち上げ、翌年「頭痛肩こり樋口一葉」で旗揚げ。以降、井上さんに関わる舞台を専門に作り続けている。


同作は井上さんの代名詞となる戯曲で初演は1994年。それ以降今日までの30年間に何度も再演し、上演を積み重ねてきた。こまつ座初の海外公演(ロシア・エトセトラ劇場)も同作品だった。こまつ座以外の団体でも、もっとも多く上演され、朗読劇に取り上げられた作品でもある。


井上さんは被爆体験のない自分が被爆者を書き、作品にするということに長い時間思い悩みながらも「21世紀に生きる一人の人間、日本人、物書きとしてどうしても書かずにおけない」と意を決して、ペンを握ったという。


自身が長年読み続けていた膨大な数の被爆者の日記・手記を、可能な限り手に入るだけ集め、何度も読み込んだ。原子爆弾そのものの勉強もし、広島弁の手製の辞書を作り、当時の地図を書き、言葉を選びぬいて、原爆で死んだ父親と生き残った娘の物語を書いた。


「あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。あの原爆は人類全体に落とされたのだ」


あのとき、ヒロシマ・ナガサキにいたのは日本人ばかりではなかった。朝鮮人、中国人、イギリス人、オーストラリア人、ニュージーランド人、アメリカ人、インドネシア人、マレーシア人、オランダ人も被爆し一瞬のうちに焼かれた。


そして、井上さんは「芝居を通して世の中を、いかに生きるかを考えよ」と絶えずそう繰り返した。残された私たちは「父と暮せば」を繰り返し上演することで、その言葉に応え続けていく。


▽あらすじ 昭和23年、原爆投下から3年後のヒロシマ。幼いころに母を亡くし、原爆で父を亡くした23歳の福吉美津江は、図書館で働きながら、一人ひっそりと暮らしている。最近、「原爆関係の資料はありますか」と図書館にやってくる青年にほのかな恋心を抱く美津江だが、父親も友達も原爆で失くした美津江は「自分だけが生き残ってしまって申し訳ない、自分はしあわせになる資格はない」と、かたくなに淡いときめきに固くふたをしていた。そんな美津江の前に父・竹造が現れる。美津江の恋の応援団長として出てきたと陽気に話す竹造。「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と美津江は抵抗を試みるが…。

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