
12年ぶりの歴史的白星に、選手、コーチ、そして会場に駆けつけたファンも一体となって、かつてない歓喜を味わった──。
7月5日、ラグビー日本代表(世界ランキング13位)は福岡・ミクニワールドスタジアム北九州で行なわれた「リポビタンDチャレンジカップ2025」で、ヨーロッパの強豪国ウェールズ代表(同12位)を迎えた。
再びエディー・ジョーンズHC体制となって2年目の初戦。昨年のテストマッチは4勝7敗と大きく負け越しており、内容次第では指揮官の手腕が大きく疑問視される試合だった。
2019年のラグビーワールドカップ以来、日本代表はティア1(世界強豪10カ国の総称)相手に一度も勝利を飾っていない。しかも、ウェールズとの通算成績は1勝13敗。12年前の2013年6月、第一期エディージャパンが23-8で破ったのが唯一の勝利だ。
自身の進退もかかった大事な試合で、ジョーンズHCはノンキャップの若手を先発に2名、控えに6名を選んできた。そのなかで目に留まったのは、スターティングメンバーの「14番」に抜擢されたWTB石田吉平(横浜キヤノンイーグルス)だ。
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※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)
ジョーンズHCは石田をこう評価する。
「石田は日本ラグビー界のチェスリン・コルビ(南アフリカ代表WTB)。身長もコルビと同じくらい(石田167cm、コルビ172cm)で、フットワークがすばらしく、空中戦も強く、(ウェールズ代表戦に)選ばないわけにはいかなかった」
ところが試合前日、スタジアムで行なわれた練習に石田は姿を見せなかった。なんと2日前に「人生初」というギックリ腰になってしまったのだ。
試合当日の朝も、まだ痛みはあった。ジョーンズHCに「(出場するかどうかは)最後は自分で決めろ」と言われた。
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「行くしかない」
石田は腰にコルセットを巻いて、ウェールズ戦への強行出場を決断した。
前半は「緊張で体が動かなかった」と振り返る。しかし16分、ラインアウトからのサインプレーでFB松永拓朗(ブレイブルーパス東京)のトライをアシスト。それで緊張が解けると、その後はタックルやランで存在感を示し、さらには空中戦でも体を張った。
その粘り強いプレーによって、ウェールズは次第に勢いを削がれていった。後半は日本がペースをつかみ、2トライで逆転。石田も最後までグラウンドに立ち、24-19の勝利に貢献した。
【超速ラグビーに必要なスピード】
試合後の石田は、晴々とした表情だった。
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「エディーさんに『ウェールズとの試合はラスト10分で決まる』と言われていた。後半、相手の足が止まることはわかっていた。ミスも多かったですが、(2トライ差で)踏ん張れてよかった。一生、記憶に残るファーストキャップやった」
15人制では初キャップだが、石田はスピードとステップを武器に高校(常翔学園)時代からセブンズ(7人制ラグビー)で世界の舞台を数多く踏んでいた。明治大3年時には大学生で唯一、東京オリンピックにも出場している。
キャプテンとなった明治大4年時は15人制に専念したが、大学選手権は準々決勝で敗退。その後2年間はセブンズに専念し、昨年のパリオリンピックではキャプテンとして2度目の出場を果たした。
そして2024-25シーズン、石田は所属する横浜キヤノンイーグルスで社会人となって初めて15人制の試合に出場し続けた。チームはリーグワン8位と低迷したが、石田は18試合中17試合で先発し、エースとして11トライを挙げて気を吐いた。
昨年から「超速ラグビー」というスローガンを掲げ、スピードのある選手を探していたジョーンズHCが、石田の存在を放っておくはずはなかった。ただ、石田は初めて15人制の日本代表の招集に応じるか、再びセブンズの日本代表に戻るか、悩んだという。
最終的に、石田は15人制で世界と戦う道を選んだ。
「せっかくの機会なので、チャレンジしようと思った。15人制でのテーマは、自分のサイズに抗って、尖って、世界と戦えるか。このサイズでどれだけできるか、世界で証明できるか、それを考えて15人制を選びました。
今までやってきたパフォーマンスを評価していただいたので、いけるところまでいきたい。僕が15人制で活躍したら見ている人も面白いし、勇気を与えるプレイヤーになれたらいいな。与えられたチャンスを100パーセントでやったら、新しい扉は開けてくる。今を大切にがんばりたい」
【史上4人目の選手になれるか】
1週間後の7月12日には、ウェールズとの第2戦がある。舞台はノエビアスタジアム神戸。兵庫県尼崎市出身の石田にとって、大金星を掲げての地元凱旋だ。
「(第1戦に)勝ったのはうれしいですが、個人のパフォーマンス的にはすごく悔しい。来週は生まれ育った街で成長した姿を見せられるようにがんばりたい。いい形でボールもらって、どんどんランしていきたい」
オリンピックとワールドカップの両方に出た日本代表選手は、過去に3人しかいない。WTB福岡堅樹、WTBレメキ ロマノ ラヴァ、FB藤田慶和だ。
史上4人目の選手となるべく、「和製コルビ」石田吉平は15人制の新エースランナーとして研鑽を重ねていく。