愛!wanna be with you… (通常盤) 「まだ人生続きます。ゆっくり時間をかけて自分自身も見つめながら、行動を起こしていきたい。もしも皆さんの心に余裕がありましたらどうか見守ってほしい」
報道陣に向け謝罪の言葉を述べ頭を下げた松岡昌宏に、自然と拍手が起こっていた。
国分太一のコンプライアンス違反による個人の無期限の活動休止を経て、グループ解散を発表したTOKIO。
メンバーによる大きな問題を受けての謝罪の場というにもかかわらず、このような反応は極めて異例だろう。この拍手からも、TOKIOはメディアからも愛されるグループであったことがわかる。
◆国民の「気さくな兄ちゃん」だったTOKIO
TOKIOは、とにかく多くの人、特にアイドルファン以外のお茶の間にも強く愛され、親しまれた存在だった。
TOKIOが愛された理由は何だろうか。
それはまずその気さくなキャラクター性にあっただろう。もちろん「LOVE YOU ONLY」「AMBITIOUS JAPAN!」「宙船」などのヒット曲やメンバー出演のドラマによる人気も言うまでもないが、『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)や『メントレ』『TOKIOカケル』(フジテレビ系)といった、バラエティで見せ続けたキャラクター性の浸透によるところは大きい。
バラエティで見せるテンポの良い掛け合いや、迎えたゲストへの絶妙な距離感、そして時には天然ぶりを見せるメンバーがいたりと、親近感を生む要素だらけの気さくなお兄ちゃんたちといったグループだった。
◆もうひとつのパブリックイメージ
そして、「気さく」と並ぶ大きなパブリックイメージは、「真剣に、そして正直であること」ではなかっただろうか。
これは先にあげた『ザ!鉄腕!DASH!!』そのものだ。番組は1995年に深夜枠でスタート、今年で30年目となる人気長寿番組でもあった。
深夜時代にも電車とメンバーのリレーどちらが早いか対決したり、ストリートミュージシャンとしてどのぐらい稼げるかに挑戦したり、アヒルのおもちゃ(アヒル隊長)を川から放流し海までたどり着けるか検証するなど、時には全力で体を張るなどの体当たりの企画が多くみられた番組だった。
人気アイドルである彼らがある意味「くだらないこと」に真剣に挑戦する姿は好感を生み、番組はそのコンセプトをグレードアップさせるようなかたちでゴールデンに昇格。
その後は「DASH村」や「DASH海岸」の開拓や「3000歩でどこまでいけるか」「0円食堂」などさまざまな人気企画への忖度なしでのガチンコ挑戦は、お茶の間に愛される存在を強固なものとしてきた。
◆うっすら体育会系の感じ
そんな「気さく」で「真剣に、そして正直であること」に加え、どこかうっすら体育会的あるいはうっすら武士道精神的なものが、なんだかんだみんな好きなんだろうと思う。
DASH村に端を発する福島のひとびととの交流も、アイドル・芸能人的な壁をつくらず一緒に取り組んでいくという接し方と、テレビ番組の企画ではあったものの、それ以上の真剣さを感じたからである。
5人の青年がさまざまな企画に真剣に向き合い、知恵を出し合い取り組んでいく。その姿を伝え続けてきたことがTOKIOがSMAPや嵐ともまた違う“体育会的”愛されグループであり続けた理由ではないだろうか。
この「真剣に、そして正直であること」は、不祥事にも同様であったこともまた、TOKIOというグループのイメージが今回の松岡謝罪に至るまで愛される存在であり続けている理由のひとつではないだろうか。
◆「TOKIOらしさ」を維持した山口達也脱退時の決断
18年の元メンバー、山口達也による共演者の未成年への強制わいせつ事件。このときの謝罪会見は、大きな注目を集めたことは今も記憶に新しい。
「山口が憔悴しきって、その姿を見ているときに、23年一緒にやってきた仲として、すぐ決断、『そうか辞めてくれ』っていうふうに言えない私たちがいました」とリーダーの城島茂が寄り添うようなやさしさを見せるいっぽうで、松岡は山口が崖っぷちではなくすでに崖の下に落ちていたことに気づいていなかったと厳しく断罪し、涙ながらにこう続けた。
「TOKIOに戻りたい、俺にはTOKIOがある、TOKIOに帰る場所がある。もしそういう気持ちが少しでも彼のなかにあり、その甘えの根源が僕らTOKIOだったとしたら、これはあくまで自分の意見ですけども、そんなTOKIOは一日も早くなくしたほうがいいと思います」
世間の批判的な見方以上に自分たちを責め反省する姿もまた、TOKIOらしさをより強固なものとした謝罪会見だった。
「TOKIOは5人によるバンド」であり、誰かが欠けてその代わりを補充してバンド活動を継続するものではないという考えのもと、この時点でTOKIOの音楽活動に事実上の終止符が打たれた。
不祥事を起こした一人が罰を受ければいいというのではなく、全員で最も大切にしていたであろうグループでの音楽活動を封印するという大きすぎる決断。
その真剣で正直な姿勢もまた、TOKIOが不祥事を起こしても信頼あるグループであり続けた理由のひとつだっただろう。
◆「TOKIOらしさ」を貫いた松岡昌宏の真摯な対応
今回の国分太一の不祥事を受けてのグループ解散という決断は、まさにこの山口の不祥事の際の松岡の「そんなTOKIOは一日も早くなくしたほうがいい」そのものではなかっただろうか。
「福島の皆さんに申し訳ない」という謝罪の言葉の重さ。
そして、
「皆さまの『またかTOKIO』っていう、もうそこがさすがに限界だなと感じて話し合って解散しました」
「TOKIO」という愛され続けてきたグループのイメージは、城島と松岡だけで活動を継続することが逆に白々しくなるという判断だっただろうか。
最後まで真剣、そして正直である「TOKIOらしさ」を貫き、山口のときは音楽活動、そして国分の不祥事でグループそのものを無くすという大きな代償で責任をとった。
これはやはり先にあげたうっすら体育会、うっすら武士道精神にもつながるものである。
そして当の国分不在、松岡一人での直接謝罪ではあったものの、書面などでの謝罪やノーコメントで逃げるのでなく、出来る範囲、分かる範囲で直接、真摯に対応した。
その姿勢もまた、TOKIOに抱かれるイメージからのブレはなく、冒頭の報道陣の拍手を生み、世間からのグループへの批判はほぼ起こらずいったんの終結をみせることにつながったのだと思う。
TOKIOというグループは、31年の歴史に幕をおろした。しかし、鉄腕DASHの番組やさまざまな企画も、それぞれソロタレントとなった城島と松岡によってその歴史はこの先も紡がれていく。それは、それでもTOKIOは今も愛される存在であり続けているからだ。そういうことなんだろう。
<文/太田サトル>
【太田サトル】
ライター・編集・インタビュアー・アイドルウォッチャー(男女とも)。ウェブや雑誌などでエンタメ系記事やインタビューなどを主に執筆。