家族4人で行ったクルーズ旅にて 新卒から18年半、テレビ朝日のアナウンサーとして、報道、スポーツ、バラエティなど多岐にわたる番組を担当してきた大木優紀さん(44歳)。
40歳を超えてから、スタートアップ企業である「令和トラベル」に転職。現在は、令和トラベルが運営する旅行アプリ『NEWT(ニュート)』の広報、まさに「会社の顔」として活躍中です。プライベートでは、2人のお子さんを育てる母として、仕事と子育ての両立にも奮闘中。
第6回となる本連載では、大木さんがパートナーとの日常のなかで感じた“夫婦のモヤモヤ”や、すれ違い、そして一緒に子育てを歩んできたからこそ抱く想いについて、率直に綴ってもらいました。
◆夫は最高のパートナー。でも、モヤッとする!
私たち夫婦は、ありがたいことにとてもいい関係で子育てに向き合えています。夫は家事も育児も積極的で、学校のことにも関わってくれるし、パパ友とも交流しながら、まさに「子どもを一緒に育てている」感覚が強いんです。
第一子が生まれた頃は、まだまだ「手伝う」レベルで「イクメン」顔をしていたこともありましたが(笑)、今ではすっかり「手伝う」を脱却し、本当に力を合わせて、子育てをしています。
教育の面でも、勉強は私が、スポーツや課外活動は夫が担当するなど、それぞれ得意な部分を活かしながら、うまくバランスを取ってきました。悩みや失敗も多いのが子育てではありますが、夫はパートナーとして本当に心強い存在です。
……しかし。そんな夫に、先日、久しぶりにモヤモヤすることがありました。今まで積み上げてきた信頼があるからこそ、余計に引っかかったのかもしれません。今日は、そのときのことを少し書いてみたいと思います。
◆「俺、もういつ死んでもいい」——夫の一言にモヤモヤした夜
ある夜、子どもたちが寝静まった後、夫婦だけのゆっくりとした時間を過ごしていたときのことでした。
ふと、夫が、
「俺、やりたいこともできたし、もういつ死んでもいいや」
と、ちょっと満足そうな顔をしながらポロッと言ったんです。その瞬間、私、なーんか妙にモヤーっとしてしまったんです。
「ここまで仕事も頑張って、いろんな経験ができた。幸せな家庭も築けたし、もう満足なんだ。だから、もう、いつ死んでもいい」と。
……うん。ありきたりな自己満足と、もしかしたら、幸福感すら滲ませた、なんてことない言葉。こんなことで、いちいちモヤっとする私を面倒な妻だと思うかもしれない。でも、なんだろうこの引っかかる感じ。
40代や50代の男性が、キャリアのひと区切りを迎え人生を振り返って満足感を覚える。そして、ありがちな「これからは若い後輩たちを応援する側に回りたい」と続く、自己満足トーク。これは私の周りでも、本当によく聞くパターンではあり、50代の夫にとっては自然なことなのかもしれません。
でも「もう死んでもいい」という言葉には納得がいかない。まだ、私たちにはやり切らなきゃいけないことがあるんじゃない? そういうふうに思ったわけです。
◆「死ねない」と思った日。母になって変わった、生きる覚悟
振り返ると私には、壮絶な出産を経て、長女を抱いたときにすごく強く持った感情がありました。
「ああ、私は、もう絶対死ねないな」って。
それまでも「親が悲しむから」とか「周囲に迷惑をかけるから」といった理由で、「死んじゃいけない」という意識はどこかにありました。でも、このときに芽生えた感情は、それとはまったく別の次元のものでした。
この子が自分の足で歩き、そして社会で生きていけるようになるまで、なんとしてでも、生きて育て上げなければならない。「死ねない覚悟」と「生きることへの責任」が、心の奥底から湧き上がってきたのです。
それはもう、人生の価値観がガラッと変わるほどの感覚でした。
その後、もう一人子どもが生まれ、この「死ねない覚悟」は母として、ますます強くなっています。
正直、仕事での私の代わりはすぐ見つかると思います。ちょっとだけ寂しいけれど。しかし、母親という役割に代わりはいない。だからこそ、私は「絶対に生きなければ」という重圧を、毎日どこかで感じながら生きています。
それに比べて、「いつ死んでもいい」と、軽々しく口にできる夫を見たとき、「ああ、これは父親と母親の覚悟の違いなんだな」と感じてしまったんですよね。
きっと夫が言いたかったのは、そんなことではなかったと思うんです。
それでも、私はちょっとモヤっとしてしまったんです。「そんな寂しいこと言わないで」というしおらしい妻にはなれず、「軽々しく死ぬとか言うなー! 子どもたち、まだ小学生だぞー!!」という感じで(笑)。
◆「子どもの予定を優先する上司は頼れない?」夫婦の価値観のズレ
実は、もうひとつ夫とのやりとりのなかで、モヤモヤしたことがありました。
最近、子どもの学校の面談があり、そのために仕事のスケジュールを調整したんです。
幸い、私の職場は比較的フレキシブルに働ける環境なので、Googleカレンダーに「私用ブロック」と入れておいて、近しいメンバーには「子どもの学校行事があるので」と事前に伝えておけば、理解してもらえます。
一方で、今度は夫も一緒に面談にいかなればならない状況があったとき、私が夫に「時間を作ってほしい」とお願いすると、「平日のその時間は無理だよ」とあっさり言われてしまったんです。
まあ、職場によって、事情が違うのはわかる。でも、「私も同じ状況のなかで、周りに理解してもらっている」と返したら、こんな言葉が返ってきました。
「でもさ、子どもの予定を優先していなくなる上司って、部下からしたら頼れなくない?」
……ちょっと待って、と。これまでほとんどの面談を私ひとりで行っていました。だから、夫が行かなくてはならない状況はあまりなかったので、この価値観の違いが浮き彫りにはなってこなかったんです。
夫の言葉を借りるなら、私は今までずっと“頼りない上司”として企業に居続け、働いてきたワケです。ずっとハンデのある状態でやってきているんだよなと思ってしまって。それでも、どうしたって、私にとっては、「子ども」が最優先であるのは、揺るぎない価値観で、そのために「頼りない上司」であることは、やむなしで、やってきました。
夫とはそもそも人生の優先順位が違うのかもしれないと。そんなふうに思ってしまいました。
◆夫よ、「死ぬ」なんて軽く言わないで。一緒に生き抜いていこう
夫婦間の意見の違いで、モヤモヤすることは、たぶんどの家庭でもあることだと思います。私自身も子育てを通して、夫とのいろんな価値観の違いを感じながらやってきました。
でも、もしこれまで、子育てにおける困難や葛藤を、すべてひとりで乗り越えなければならなかったとしたら。それは考えるだけで、ぞっとするほど怖いことだと思うんです。
そういう意味で、泣きたいときも、喜びたいときも、どんな瞬間も共にいてくれるパートナーがいるということは、本当に貴重でありがたいことだと、私は心から痛感しています。
だからこそ、夫よ、「死ぬ」とか、軽々しく言わないでほしい。
子どもたちが巣立ち、お茶でもすすりながら「私たちやりきったね」と心から言えるその日まで、どうか一緒に、生き抜いていこうよ。
母親の覚悟と、父親の覚悟の違いなのか。
働く母親はいつだってハンデ戦なのか。
働きながら子ども育てるということは、理解ある職場だけがあってもダメで。学校、職場、親世代、地域……そして、パートナー。すべての要素が絡みあって、絶妙なバランスの上に成り立つ、難易度の高い格闘技です。
最近、そのバランスが、ちょっと揺らいでしまった…というよもやま話でした。
<文/大木優紀>
【大木優紀】
1980年生まれ。2003年にテレビ朝日に入社し、アナウンサーとして報道情報、スポーツ、バラエティーと幅広く担当。21年末に退社し、令和トラベルに転職。旅行アプリ『NEWT(ニュート)』のPRに奮闘中。2児の母