『ロータス・エスプリスポーツ300』GT復活元年を彩った英国名門の旗艦マシン【忘れがたき銘車たち】

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2025年07月16日 17:30  AUTOSPORT web

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1993年のル・マン24時間レースを戦ったロータス・エスプリスポーツ300の45号車。ピーター・ハードマン、ソーキルド・ティーリング、寺田陽次郎がステアリングを握った。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1993年のル・マン24時間レースを戦った『ロータス・エスプリスポーツ300』です。

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 1992年シーズンのル・マン24時間レースは出走台数の大幅減少という危機に見舞われていた。その一因には、当時のF1との共通化も狙った3.5リッター自然吸気(NA)エンジンを主軸とした新規定グループCカーの勢いが下火になっていたことが挙げられる。

 スポーツカー世界選手権(SWC)や旧規定車での参戦が認められたル・マン24時間レースに参戦していたジャガーやメルセデス・ベンツが1991年で撤退。ワークス格がプジョーとトヨタだけになった結果、グループCカーのみがエントリー可能となった翌1992年のル・マン24時間では、決勝レースへの出走マシンは28台のみと30台を切る台数となってしまった。

 それから1年後の1993年。ル・マンではそんな状況を危惧し、SWC終了後も新規定グループCカーの参戦を引き続き認めながらも、将来を見据えて新たなカテゴリーの車両を迎え入れるに至った。その新たにル・マンを戦うことになったカテゴリーのひとつが“GTカー”だ。

 GTカーとは、当時でいうとポルシェ911やベンチュリLM500、ジャガーXJ220Cといった市販スーパーカーをベースとしたレーシングマシンたちの総称だ。おおよそ10年ぶりにル・マンで復活した市販GTカテゴリー、GTカークラスの1台として参戦していたのが、今回紹介する『ロータス・エスプリスポーツ300』である。

 このGTマシンは、スポーツカーレースで豊富な経験を持つイギリスのチェンバレン・エンジニアリングとロータスが提携によって製作された。当時、アメリカのIMSAシリーズを戦っていたエスプリX180Rをベースに、ヨーロッパのGTレース出場のためにモディファイが施されてエスプリスポーツ300が生み出された。

 その後、ホモロゲーションを取得し、1993年のル・マン24時間レースへエントリーしたエスプリスポーツ300は、1993年までに13回のル・マン出場を果たしていた寺田陽次郎をはじめ、経験豊富なドライバーらに2台のエスプリスポーツ300が託された。しかし、マシン製作の期間がかなり短かったことも影響し、2台ともにリタイアという結果に終わったのであった。

[オートスポーツweb 2025年07月16日]

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