安田章大「体験したことのない違和感を持ち帰ってくれたら」 アングラ演劇の旗手・唐十郎作品に関西弁で挑む『アリババ』『愛の乞食』【インタビュー】

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2025年07月18日 12:10  エンタメOVO

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安田章大「スタイリスト:袴田能生(juice) ヘアメイク:山崎陽子」(C)エンタメOVO

 2024年に亡くなったアングラ演劇の旗手・唐十郎の初期作品『アリババ』『愛の乞食』が、全編関西弁で、8月31日から9月21日にかけて世田谷パブリックシアターで二作連続上演される。現実と幻想、現在と過去が溶け合うふたつの物語は、叙情的に紡がれる言葉の数々によって普遍的なロマンを呼び起こし、現代を生きる人々に活力と希望を与える作品としてよみがえる。両作品で主演を務めるのは、『少女都市からの呼び声』以来、2年ぶりの唐作品出演となるSUPER EIGHTの安田章大。本公演に懸ける思いや唐作品の魅力などを語ってくれた。




−まずは、今回の出演の経緯を教えてください。

 『少女都市からの呼び声』で初めて唐作品に挑戦した際、演出家の金守珍さんから、「『アリババ』と『愛の乞食』という素晴らしい戯曲がある」と伺ったんです。そこで、金さんから本をいただいて読んでみたら、「これはやらなければ!」という気持ちになり、僕が金さんとBunkamuraの方を口説きました。言ってみれば、今回の公演が実現したのはそんな僕の提案を、人生の先輩方が受け入れてくださったおかげです。

−今回は関西弁で演じることも話題ですが、その理由を教えてください。

 僕は普段から、台本をいただくとまず関西弁で読み、感情を整理するようにしています。一方で唐さんは、レコードを聴きながらリズムに乗せ、マス目のない紙に戯曲を書き上げていたそうなんです。マス目のある紙だと、言葉が萎縮してしまい、好きに暴れられないからだと。それを唐さんは「言葉を音符として書いている」とおっしゃっていましたが、僕も関西弁を音符のように捉えるところがあったので、似たようなことを考えていたんだなと。金さんにそんな話をしたら、打ち合わせのとき、「関西弁でやるのはどうだろう?」と振り切った提案をしてくださって。

−そんな裏話があったのですね。

 時代そのものが血気盛んだった60年代、多感な20代の唐十郎さんが書かれた力強くエネルギッシュで、時代と戦ったような戯曲を関西弁で演じる。初めての挑戦なので、賛否両論あるとは思います。でも、「演劇には賛否両論がなければダメだ」とおっしゃっていた唐さんなら、きっと喜んでくださるはずです。

−ここで改めて、唐作品との出合いについて教えてください。

 11年ほど前、友人の大鶴佐助(唐の息子)くんに誘われ、雑司ヶ谷の鬼子母神で行われた『紙芝居の絵の町で』という劇団唐組のテント公演を見に行ったのが、最初の出合いです。

−その印象はいかがでしたか。

 テント公演は、見るものではなく、体験するものだと僕は思っています。その上で、言葉にするのはすごく難しいんですけど、初めて見たとき、今までの自分とは違うもう一人の自分が生まれたような感覚になりました。新しく生まれた自分が本来の自分で、今までの自分は一生懸命うそをつきながら人生を歩んできたような…。「自分がこれから生きていくのが、本当の世界なんだ」という、研ぎ澄まされた感覚に至りました。

−それから唐作品の魅力に取りつかれ、2023年の『少女都市からの呼び声』で、ついに唐作品初出演に至ったわけですね。

 『少女都市からの呼び声』で初めて唐作品に携わらせていただいたとき、自分の内にある命を大事にする感覚と、とても類似した感覚に至りました。僕の家族は、兄が死産だったこともあり、幼い頃から「命を大事に」と教えられて育ったんです。そういうテーマは、今回の作品にも通じるものがあります。ただ、唐さんの作品はおそらく、僕のファンの皆さんにとっては、今まであまり触れてこなかったタイプの作品だと思います。だから、この機会にぜひ触れてもらいたい。唐作品を体験したら、人生が変わることもあると思うので。

−唐作品は、初心者には難解と感じられる部分もありそうですが…。

 分からない部分は、分からないままでいいと思うんです。ただそのとき湧き上がった感情を持ち帰ってもらえれば。それから時間が経つ中で、人生観が少し変わったな…と振り返ったとき、その分岐点が、唐作品を見たときに芽生えた感情だったのかも、と気付けばいいと思っていて。それは次の日かもしれないし、あさってかもしれない。あるいは1年後かもしれない。そんなふうに、今すぐ必要なものを探さない方がいい、というのが僕の考えです。そういう意味で、体験したことのない、理解できない違和感を持ち帰ってくれたら…と。







−「違和感を持ち帰ってほしい」ということですが、今の世の中、「分からないもの」は何かと切り捨てられがちです。その点については、どのようにお考えでしょうか。

 まず、僕自身は分からないものを提示しているつもりはありません。だから、その人の中で理解が追いつく時がきっとくるはずだし、その理解の仕方は人それぞれでいいと思うんです。そのためにまずは、分からないという違和感を受け止めてもらえれば。違和感があるということは、その人の中に今までなかったページができたということなので、それを異物として捉えることが、自分をもう一度考えるきっかけになるんじゃないかなと。誰もがすんなり理解できるものより、ちょっと頑張らないと、というくらいの方が、人間的な成長や豊かさにつながると思いますし。

−おっしゃる通りですね。

 そういう意味では、女性のおなかに新しい命が宿ったときにも似ているのかなと。その新しい命を異物として受け止めるから、体が色々な訴えを始め、それと共に母親もおなかの子も育っていくわけですから。そんなふうに、ご覧になった方の中に異物が生まれることが、演じる側にとって、唐作品の一番の魅力です。

−「分からない」で切り捨てられない魅力が唐作品にはあるということでしょうか。

 唐さんの作品は、宿っているエネルギーがものすごく強いんです。その点、「名前が売れた、売れない」ではなく、唐さんの言葉を紡げることが、役者として成功の1つだとは僕は思っています。そう言わせるのも、唐さんの築いてきた歴史と実力、つまり“腕力”なんでしょうね。だからといって、決して他の劇団を否定しているわけではありません。ただ、唐さんの戯曲の腕力が少しだけ強かったということなのかなと。僕はそういう唐さんの感情をすべて受け止め、皆さんに伝えていきたいと思っています。

−安田さんは今回の公演について「正解を知っているのは唐さんだけ」とコメントされていますが、正解が分からないものに挑む怖さはありませんか。

 それはありません。答えが分かっているところに飛び込むことほど、白けることはありませんから。分かっているものにすがり、安心できる材料を少しずつつまみながら人生を歩くより、分からない世界を手放しで精いっぱい生きた方が、よほど清々しいと思うんです。たぶん唐さん自身も、自分の作品を「誤読してほしい」と考えていたでしょうし、僕が誤読して演じることで、新しく生まれる答えもあるはずですから。でも、唐さん自身は「本当は僕の中に答えがあるんだけどね」と小さな声で怒っているような人だったんですけど(笑)。それも踏まえて、「唐さん、すいません」と謝りながらやろうと思っています。

−今回は一度に二作品を演じる上に、一日二公演の日もありますが、ご自身の心身の管理についてはいかがでしょうか。

 自分の心身については、何も心配していません。僕は以前、大きな病気で死にかけて以来、今は3回目の人生を過ごしているようなつもりでいます。その中では今が、心身ともに一番元気なんです。何もかも滞ることなく、天地がつながるような気持ちよさがあって。それくらい、自分の中で安定しているので、一日二公演でもまったく問題ありません。だからぜひ、皆さんも劇場に足を運び、唐ワールドに触れてみてください。

(取材・文・写真/井上健一)

『アリババ』『愛の乞食』は7月19日(土) 10時より、チケット一般発売開始。


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