39年越しに届いた無実の訴え 裁判長「前川さんに幸多からんことを」

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2025年07月18日 20:46  毎日新聞

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報告集会で報道陣からの質問に答える前川彰司さん(中央)=金沢市で2025年7月18日午後7時6分、三村政司撮影

 「(1審の)無罪判決に誤りはありません」。増田啓祐裁判長が判決を言い渡すと、前を向いて数珠を握りしめていた前川さんは少し宙を見つめた。


 約3時間に及んだ言い渡しが終わり、目を真っ赤にして法廷を後にした前川さん。記者会見では「感極まっている。正直、ほっとした」と顔をほころばせた。


 絵に描いたような青年期ではなかった。中学時代はバスケットボール部の活動に打ち込み、1年生から先発メンバーとして試合に出た。しかし、次第に生活が荒れ始め、不良仲間とつるんで遊ぶようになった。


 事件は1986年3月に起きた。女子生徒が殺害されたことはリアルタイムで把握していなかった。被害者と面識はなく、後で知人から聞き「そんなことがあったんや」と受け止めた。


 ところが半年ほどたって「疑われてるよ」と情報が入ってくるようになった。素行の悪さから警察に事情を聴かれたことも確かにあったが、「接点がない」とされていたはずだった。


 殺人容疑で逮捕されたのは事件の1年後。「前川さんが事件の犯人」とする知人の供述が引き金だった。


 当時21歳。「親の育て方が悪かった」「被害者と交際していたらしい」――。根拠のないうわさが独り歩きした。非行歴のある前川さんを信じる人は、ほとんどいなかった。無実の叫びは届かず、懲役7年の逆転有罪が確定し、服役した。


 それでも心は折れなかった。「警察や検察は明らかなうその証拠で殺人という罪を自分に着せた。国家権力がうそを利用していいわけがない」。心に宿った怒りは消えなかった。「無罪が出るまで頑張ろう」と声をかけてくれた父、「絶対に裁判をやり直してもらおう」と強く望んでいた母の存在も支えになった。有罪判決後に洗礼を受けた、キリスト教の信仰も心のよりどころだった。


 第1次の再審請求で一度は開始決定が出たものの、検察側が異議を申し立てた後に取り消された。捜査当局と司法判断に翻弄(ほんろう)された人生を送ってきた。


 そして待ち望んだ18日の再審判決。前川さんは入廷前に「思いのほか、緊張している」と率直な思いを打ち明けていた。何度も深呼吸して言い渡しを待った前川さん。「捜査に行き詰まった捜査機関が(関係者の)供述を誘導した」「犯人であると認めることはできない」。判決は潔白を告げていった。


 言い渡しの最後、増田裁判長は前川さんに言った。「39年もの長期間、ご苦労をおかけして大変申し訳ないです。かけがえのない時間を奪い、非常に重く受け止めています」


 判決後の記者会見。前川さんが冒頭、「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べると、支援者らから拍手がわき起こった。


 前川さんは「無罪を勝ち取ったが、なんでこんなに時間がかかったのだろうとも思う」と語った。再審の扉が開かずに何度もくじけそうになったが、「俺はやっていない」との信念が支えだったと振り返った。


 増田裁判長はこの日、「前川さんの人生に幸多からんことをお祈りしています」とも述べた。前川さんにとっては「裁判所からのエール」と感じたという。


 「多くの人に感謝し、これから皆さんにお返ししていきたい」。そのためには検察側には上告を断念してほしい。取り戻した自らの人生をしっかり歩もうと心に誓っている。【島袋太輔、萱原健一、国本ようこ】



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