
連載・平成の名力士列伝50:旭鷲山
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、モンゴル出身初の幕内力士として、後輩に道を切り拓いた旭鷲山を紹介する。
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【決まり手認定拡大に影響を与えた「技のデパート モンゴル支店」】
横綱輩出は北海道の最多8人に次ぐ、青森県とともに6人を数え、出身地別優勝回数も北海道の120回に続く103回を誇るモンゴル勢だが、そのパイオニアが旭鷲山であり、母国の多くの後輩たちを角界に送り込んでもいる。この男の活躍がなければ、数々の大記録を樹立した横綱・白鵬も、力士になっていなかったかもしれない。
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平成3(1991)年秋、元大関・旭國の大島親方が人材を求めるためにモンゴルへ出向き、現地でオーディションを行なって6人の若者を日本へ連れて帰った。彼らは平成4(1992)年3月場所で初土俵を踏んだが、ほどなくして3人が廃業。残った3人のなかに旭鷲山と旭天鵬がいた。
豊富な稽古量を誇っていた旭鷲山は、入門から4年半の平成8(1996)年9月場所で新入幕。モンゴル出身初の幕内力士となったが、関脇・若の里、隆乃若らを含む同期生151人の中でも先陣を切った。
来日前はモンゴル相撲に取り組んでいたこともあり、左右の投げや無双、足技、捻り技など変幻自在の取り口は、舞の海の「技のデパート」に因み、「技のデパート モンゴル支店」と言われた。
入幕3場所目の平成9(1997)年1月場所には早くも本領が発揮された。初日は関脇・琴錦を内無双で仕留めると、2日目も関脇・魁皇を足取りで横転させて連勝発進。7日目の大関・貴ノ浪戦では、左から下手投げを打つと同時に右手で相手の左膝を払う"技あり"の相撲で大関を撃破した。さらに14日目は北勝鬨に、幕内では16年ぶりとなる外無双の珍手を決めるなど業師ぶりが炸裂し、9勝6敗で初の三賞となる技能賞を獲得した。
翌3月場所は新小結に昇進したが4勝11敗と大きく負け越し、1場所でその座を明け渡すことになるが、この場所が唯一となる三役としての場所となった。
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その後は平幕下位で大きく勝ち越しては上位で負け越すことの繰り返しに終始したが、しばしば持ち前の多芸な技で土俵を沸かせ、5月場所初日の横綱・曙戦では上手投げ、小股掬い、ちょん掛け、足取りと目まぐるしく珍手、奇手を連発して巨漢横綱を翻弄。最後は左からの上手投げを決め、初の金星を挙げた。上位陣には厄介な存在で、若乃花からは2個、武蔵丸からも1個、それぞれ金星を獲得している。
平成13(2001)年1月場所から決まり手が従来の70手から、小褄取り、伝え反り、小手捻り、後ろもたれなど新たに12手が加えられ、現行の82手になったのは、旭鷲山の存在も大きかったと言われている。モンゴル出身の業師が繰り出す技に、それまでの決まり手を当てはめるのに無理が生じてきたからだ。
前頭10枚目で迎えた平成14(2002)年5月場所は無傷の8連勝で勝ち越しを決めたが、初日の外小股から始まり、引き落とし、上手投げ、首投げ、上手捻り、肩透かし、送り出し、送り引き落としとすべて違う決まり手で相手を仕留め、10勝5敗で2度目の技能賞を獲得している。
【朝青龍との遺恨とモンゴル勢に切り拓いた道】
一方で、モンゴルの後輩である朝青龍とは、遺恨が勃発してしまった。平成15(2003)年5月場所9日目は立ち合いで散々じらされた朝青龍の顔面に、旭鷲山のもろ手突きがヒット。これで冷静さを欠いて上体だけで前に突っ込んできた横綱をモンゴルの先輩が、土俵際でジャンプしながら引き落とし。同郷の後輩から初めて金星を奪い、この1勝が大きくモノを言い、8勝7敗で初の殊勲賞を獲得した。
敗れた朝青龍は東の入場口に戻る際、すれ違いざまにさがりを振り回し、旭鷲山にぶつけてきた。目に余る横暴ぶりに「横綱がさがりを当ててきたのは許せない。一人のせいで優しくて我慢強いというモンゴル人のイメージが悪くなるよ」と同じ母国の兄弟子として苦言を呈した。
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両者は翌7月場所5日目にも顔が合い、朝青龍が叩いた際に髷を掴んで反則負け。平幕力士が反則で横綱に勝った初めてのケースだったため、記録の扱いに苦慮した協会からの金星不適用の発表は後日となった。勝負後、風呂場で鉢合わせた両者はつかみ合い寸前になったが、大関・魁皇の仲裁により、その場は何とか収まった。しかし、怒りが収まらない朝青龍は帰り際、旭鷲山の車のサイドミラーを破壊する暴挙に出た。結局、周囲のとりなしもあり、直後の夏巡業で握手を交わした両者は、ひとまず"和解"した。
平成18(2006)年3月場所は11勝で2度目の敢闘賞を受賞したが、関脇・白鵬が殊勲、技能の両賞に輝き、安馬も技能賞を獲得。三賞をモンゴル勢が独占し「安馬と白鵬は俺がモンゴルから連れてきた力士。3人で一緒に(三賞を)獲りたかったんだよ。2人に囲まれて敢闘賞をもらえるなんて最高だ!」と満面の笑み。自身にとっては最後の2ケタ勝ち星と三賞となり、同年11月場所、58場所連続平幕在位という史上1位の記録を残し、土俵を去った。
旭鷲山が切り拓いた道を朝青龍、白鵬、日馬富士ら、モンゴルの後輩たちが歩んでいき、平成以降の角界に一大勢力をもたらした。自身は引退後、母国で実業家に転身。国会議員として大統領補佐官も務めるなど、多方面で活躍している。
【Profile】
旭鷲山昇(きょくしゅうざん・のぼる)/昭和48(1973)年3月8日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身/本名:ダヴァー・バトバヤル/所属:大島部屋/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成18(2006)年11月場所/最高位:小結
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