“奔放な女”の虚像と名前を捨てた70歳女優—更年期を越えて見つけた“本当の自分”

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2025年07月23日 16:01  女子SPA!

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 1970年に主演映画でデビューを飾り、1982年に映画『TATTOO<刺青>あり』をきっかけに知り合った高橋伴明監督と結婚後も、一線で活躍し続けている高橋惠子さん(70歳)。

伴明監督の新作であり、連続企業爆破事件に関与した疑いで指名手配され、49年もの逃亡の末に、2024年1月に死亡した桐島聡をモデルとした、公開中の映画『「桐島です」』では、プロデューサーと出演を兼ねています。

 そんな高橋さんは、かつて伴明監督との結婚を機に改名。当時のことを聞きました。また、現在、映像作品に舞台にとパワフルな高橋さんですが、じつは「大変だった」という更年期の時期を振り返り、「ホルモンバランスのせいなんだから。病院に行ってね」とメッセージをくれました。

◆『「桐島です」』はぜひ女性に観てほしい

――『「桐島です」』には、高橋惠子さんのほうから「出たい」と手をあげたと聞きました。

高橋惠子さん(以下、高橋):そうなんです。桐島聡氏が内田洋と偽名を使った約半世紀の逃亡の末、最期に名乗ったというのは、いろんな思いがあったんだろうと。

『「桐島です」』というタイトルを聞いたとき、直感でしかないんですけど、映画として、フィクションが混ざっていたとしても、何か内部に触れられるようなものになるんじゃないか。きっといいものになると思いました。

――とはいえ、指名手配された容疑者を描いた作品と聞くと、女性読者には二の足を踏む人も多いかもしれません。

高橋:私はぜひ女性に観てほしいと思うんです。これは青春映画なので。きっと何か心が動かされると思います。女性と分けるのもなんですけどね、でも、まず主演の毎熊(克哉)さんがステキですし(笑)。

◆“本当の自分”に近いところから、もう一度やろうと改名

――本作の“桐島”にとって、名前と自分はある意味イコールだったのだと思います。ところで高橋さんは、伴明監督との結婚を機に芸名を改名されましたね。

高橋:自分の意思で変えました。それまでも関根恵子という本名で活動していましたが、結婚したことによって、本名が高橋惠子になりました。そこで、芸名も高橋惠子にしました。いいチャンスだと思って、“本当の自分”に近いところから、もう一度やってみたいと思ったんです。

――本当の自分、ですか?

高橋:関根恵子という名前が、私から離れてどんどん違うイメージで膨れ上がっている気がしていたんです。奔放で恋多き女優。一面から見るとそうかもしれないけれど、それは私のすべてではありません。

そのイメージを抱えながら、結婚生活と芸能生活を両立していくのは難しいと思いました。自分自身が押しつぶされてしまうと。女優としても、もっと本当の自分自身に近いところでの仕事をしようと、改名を機に一切脱ぐのをやめました。名前を変えることで、自分自身でも仕事を切り替えることができました。結構大きな出来事でしたね。

◆「脱ぐ」シーンでも周りは男性ばかりだった

――そんなお話のなか、お伝えしづらいのですが、映画館で観たわけではありませんけれど、私はかなりの数の「日活ロマンポルノ」を観ていまして。

高橋:女性で珍しいですね。

――ロマンポルノは笑える作品も多いですが、高橋さんが関根恵子さん名義で出られた『ラブレター』(1981)は、本当にお美しくて感動ものでした。

高橋:ありがとうございます。あれはショートカットの関根恵子として最後くらいの作品ですね。たしか女性がかなり観てくださったんですよね。

――ただ、当時の現場は『ラブレター』に限らず、おそらくかなりの男性社会だったのではないかと。変化を感じますか?

高橋:全然、違いますね。私が最初に15歳で女優の仕事をはじめたときには、現場のスタッフに女性はほぼいませんでした。ヘアメイクさんも衣装さんも、全部男性。記録係だけが女性でした。

女優の仕事は女にしかできないので、女性がやってましたけど(笑)、本当にそれくらいの感じ。当然、脱ぐシーンでも、記録係以外は男性ばかりです。いまはヘアメイクさんや衣装さんの多くは女性ですし、撮影部や照明部にも女性がたくさんいますね。

――そうですね。

高橋:記者さんもそうです。ひと昔前は、記者さんも女性は本当に少なかったですよ。だから、映画の現場に限らず、社会全体が変わっているのは感じますね。ただ、なんでもかんでも男女を“同じに”というのは、私はまた違う話だと思うんです。だって女性と男性の違いって、実際にあるわけですから。

◆先輩・加賀まりこからの「更年期ってのは必ず来るから」

――特に女性は年齢の変化でも、心身に大きな負担を感じる時期があります。

高橋:ありますね。男性もあるようですが、女性は特に。私は48歳で閉経しましたので、早くに更年期を経験しました。でもそうなる前に、それこそ『ラブレター』でも共演していた加賀まりこさんから「惠子ちゃん、今から言っておくけどね。更年期ってのは、必ず来るからね」と言われていました。それをずっと覚えていたんですけど、本当に来ました。

――その時期、お仕事は。

高橋:もちろんしていました。ただ、その時期、私は人に会いたくなかったんです。なぜかというと、約束していても、体調が優れないと外に出たくないから。そうすると約束もできない。気持ちがふさぎ込んで憂鬱になって。でもそれってホルモンのせいなんです。

――そこから、どうされました?

高橋:病院に行きました。ホルモン補充の注射を打ってみたりしましたが、子宮筋腫があったので、それを大きくしてしまうということで漢方に切り替えたり。加賀さんに言われていたことで、心の準備ができていたことも大きかったと思います。

それで「これか」と思えたので、家族にも言うようにしました。夫にも子どもにも。「これこれこういうことなので、ちょっと人にも会いたくない気持ちになったりするの」と。

――なるほど。

高橋:そうした中でも仕事は続けていたので、それが結果的にはよかった面があるかもしれません。あまりふさぎ込み過ぎないのと、外との接触もできる状態を保てたから。それが2年間、続きましたね。

◆「ホルモンバランスのせい」を受け入れた後は、120歳まで元気に

――最近は、ようやくそうした更年期の話もオープンにできるようになってきました。

高橋:もっとしたほうがいいと思います。個人差はあるけれど、必ず通る道なんだから。私は先輩に言ってもらっていてよかったし、実際になったとき、「ホルモンバランスのせいなんだから、大変なんだ」ということを周りに言ってよかったです。

それから、病院には行ってね。うまく乗り越えていけば、また元気になれることも知っておいたほうがいいですよ。辛くて真っただ中にある人は、「本当?」と思うでしょうけれど、私だってそういう時期がありましたから。

――今年は上演済みのものを含め、舞台も3本ですか。すごいです。

高橋:もう今は元気、元気で。120歳までって話してるんです(笑)。

<取材・文・撮影/望月ふみ ヘアメイク/真知子(エムドルフィン)>

© 北の丸プロダクション
『「桐島です」』は全国順次公開中

【望月ふみ】
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。@mochi_fumi

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