「オペラグラス使用禁止」発言 丸山隆平の出演舞台の公式HPで謝罪 演出家は真意説明の長文

8

2025年07月24日 13:02  日刊スポーツ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊スポーツ

赤堀雅秋氏=2012年12月7日

荒川良々、丸山隆平、上白石萌歌らが出演する「震度3」(赤堀雅秋氏演出)の公式サイトが24日までに更新され、赤堀氏が一部インタビューで「オペラグラスの使用禁止」と発言したことについて謝罪し、釈明する文面が掲載された。


また、赤堀氏も舞台の公式Xに長文の声明を公開し、発言の真意を説明した。


「震度3」は東京では8月21日〜9月7日に本多劇場での上演を予定し、大阪、福岡でも上演される。赤堀氏このほどウェブメディア「推し学」で公開された、荒川、丸山、上白石と4人による合同インタビューで、丸山の熱烈なファンを念頭に、「オペラグラスの使用は禁止」と柔らかい口調で呼びかけ、丸山もファンに伝える意向を示していた。この内容が、一部ファンの間で話題となっていた。


舞台の公式サイトでは「インタビュー記事に関するお詫びとお知らせ」と題した文面をアップ。「このたびのインタビュー記事に関連し、観劇に際してのルールや方針についてご心配の声を多数頂戴しております。あらためて、下記の通りご案内申し上げます。本公演では、オペラグラスのご使用や服装に関する制限は一切設けておりません。東京・大阪・福岡、全会場において、お客様がどのようなスタイルで観劇されるかは自由であり、それを妨げるようなルールもございません」と説明された上で「インタビュー内での発言は、『本多劇場ほどの空間であれば、肉眼でも俳優の表情や空気感をじかに味わっていただけるのではないか』といった趣旨に基づく一見解として述べたものであり、観劇スタイルやファンの皆さまを制限する意図は一切ございません」とし、「本件により、ご不安やご不快な思いをおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。お客様それぞれのご判断にて、安心して自由にご観劇いただけますと幸いです。皆さまのご来場を、心よりお待ち申し上げております」と謝罪の言葉が記された。


赤堀氏も舞台の公式Xで「オペラグラスについて」と題した長文を公開。「まずは大前提として、観客がどのように観劇を楽しむかは自由です」と切り出すと「オペラグラスを使用して細部(役者の表情の機微、美術のディテールなど)を堪能したい方もいるでしょうし、もしかしたら目を瞑って音だけで想像力を喚起する方もいるかもしれません。それの楽しみ方について一介の演出家ごときが強制できることではありません」とコメント。「ここまで記事の一言が敏感に反応されることは自分の想像力では足りませんでしたし、『オペラグラス禁止ね』という言葉だけでは暴論と取られても仕方ないかもしれません」と、反省の弁も述べた。


その上で「ただこのままでは『推しの俳優ばっかり見るな』という皮肉を吐いたと誤解されそうなので、一応、その言葉の真意について語らせて下さい。そしてこれはあくまで自分の勝手な思いであって、演劇全般の話ではありません。あくまで一介の演出家の私見です」と前置きして、以下の様に説明した。


◇  ◇  ◇


例えば映像なら、この物語において、今何を見てもらいたいか、演出家はカット割りというものをします。


ただセリフを喋っている人を見てもらいたいのではなく、その話を聴いている人の表情、感情を見て欲しい時がたぶんにあります。


もしかしたら人物ではなく、仏壇の中の遺影を映し出す時もありますし、窓の外の景色を映し出す時もあります。それはその画を見て、観客の想像力を促します。


例えば、熱弁している主人公Aがいる。その人の表情だけを見ていたら、おそらく情に厚い善人に見えるかもしれない。しかしカメラはその話を聴いている周囲の人物を映す。その周囲の人物も同じ熱量で聴いていると思いきや、物凄く冷めた顔で見ている、あくびをする者もいる、もしかしたら熱弁の最中ドアから出て行く人もいるかもしれない。


そのようにして周囲を見せることによって、主人公の人格は蓄積されていく。


これは演劇でも同じで(あくまで自分の演出においてですが)、舞台上でもカット割りをしています。


主人公の熱弁から、周囲の人Bに目を移したい時、もしかしたらその座っていたBを立たせるかもしれない。


観客の視線が集中している(客席方向を見て熱弁している)Aが、ふと周囲の聴いている者たちに視線をずらす。すると観客もつられてその方を見る。そこで初めて観客は知る−−誰もまともに話を聴いてない。


演劇において、観客の目は、映像におけるカメラだと思ってます。


映像の場合は編集室で意図的にそのカット割り通り(観客に何を見てもらいたいか)を出来るが、演劇の場合はそう簡単ではありません。


そこに演出家(もしくは理解のある役者)の創意工夫によって、観客の目(カメラ)をどこに向けるか、稽古場にて四苦八苦します。


それは例えば先程言った、セリフを喋っている人の視線の移動(それはカメラをパンする意図)や、視線の移動ではなく思い切って観客に背を向けてしまうこともありますし(必然的に観客は周囲を見る)、もっと明解にするなら照明の変化(周囲の者C)にスポットライト的なものを当て「ここを見てくれ」と強引に誘導する場合もあります。


そのカット割りの蓄積の上に、作り手としては、この物語の白とも黒とも言えない抒情を楽しんでもらいたいと(あくまで勝手にですが)思ってます。


◇  ◇  ◇


赤堀氏はさらに「これもあくまで主観ですが、本多劇場という劇場は、本当に奇跡的な空間だと思ってます。それは舞台上にいても、観客として客席にいても。舞台上で作り上げた空気感が客席の隅々まで伝わります。だからこそ作り手としては恐ろしい空間とも言えますが(全てが見透かされてしまう)そしてこのプロデュース公演については、本多劇場以外の劇場も、なるべく舞台上で作り上げた空気感が客席に届くような劇場をセレクトしたつもりです」と、劇場の構造についても持論を述べた。。


また「演劇というのは、舞台上にいる生身の人間と、客席にいる生身の人間が放つ空気が混然一体となって作り上げられるものだと思ってます。たまに話題になる事もありますが『客席のくしゃみ一つ』『携帯の着信音一つ』でその稽古場から大切に構築した空気感が壊れてしまうのも事実です」とも言及。「『そんなヤワなこと言うな』『そうじゃない作り方をしろ』と叱責されそうですが、あくまで作り手はそれぐらい神経をすり減らして作っています。もちろん生理現象ですし、季節によっては仕方ない時もあります。だからこれも『絶対やめてくれ』と言ってるのではなく、『一緒に作り上げて行く上でなるべく協力してくれたら有り難い』ということだけです」と呼びかけた。


赤堀氏は「本多劇場のような劇場なら、今回はオペラグラスを外して、五感を駆使して、想像力を駆使して、生身の人間の発する空気感に溺れてしまうのも、楽しみ方の一つですよ、という話です。長年演劇に携わってきた人間の単なる思いでしかありません」とまとめると、「改めて言いますが、どのように観劇されるかは、もちろん観客の自由です。本来なら、演出家としてこのような言及は、実際の作品を観る前に絶対にしたくはないし、普段SNSをやっていないのも同様の理由ですが、ただ純粋に作品に没入してもらいたい、ただそれだけの理由です」と説明。「もちろん自分の発言が発端なので『申し訳ない』としか言えませんが、何とか純粋に劇場に足を運んでいただけたら幸いです」と謝罪もした上で「ま、基本くだらないことばかりの作品ですが(笑)。想像力を駆使し、そのくだらない生身の人間たちを愛してくれたら幸いです」と呼びかけた。

このニュースに関するつぶやき

  • とくに球技とか格闘技など見るときは持っていきますよ。 何万何千出してモニター観戦とか冗談じゃない
    • イイネ!3
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(6件)

ニュース設定