豊永阿紀、地頭江音々 福岡を拠点に活動するアイドルグループ・HKT48の19枚目シングル「半袖天使」が、7月23日に発売された。HKT48は、前々作と前作の表題曲に次世代メンバーとして期待されている“いぶくる”(石橋颯・竹本くるみ)コンビを中心に据えて活動してきた。そのなかで今作のセンターに抜擢されたのは、先日卒業を発表したHKT48の4期生・地頭江音々だ。2016年7月に加入以来、約9年を経て、初めてのポジションをつかんだ彼女だが「卒業を決めたなかで複雑な思いだった」と語る。
今回は、1番近くで支え合いながら苦楽を共にしてきた同期の豊永阿紀を交えて、センターの意味や来年迎える結成15周年への思い、そしてHKT48を卒業後に別のアイドルグループで世界へと躍進する同期にたいする本音などを語ってもらった。
――おふたりはHKT4期生の同期なんですよね。
豊永阿紀(以下、豊永):2人になりましたが、生き残り組です(笑)。
地頭江音々(以下、地頭江):ほんとしぶとくやってきたよね。
――お互いの第一印象って覚えてます?
地頭江:私はオーディションのときから覚えていて、阿紀ちゃんは入る前から名が知れていたんですよ。当時は珍しいオーディション番組に出ていて、それがYouTubeで見れたんですよね。私は宮崎出身なんですけど、そういう番組を見たことはないから学校中で社会現象みたいになっていて、阿紀ちゃんはその番組内でも注目株だった。
豊永:確かに、輝いてた(笑)。
地頭江:で、オーディション会場に行ったら、一人だけ電卓を叩いてる子がいて。「変な子……って、豊永阿紀ちゃんがおるー!!」って心の中で叫んでました。私にとっては、今でいう(ガールズグループの)ME:Iぐらいの感じだった。
豊永:今、彼女は宮崎の中での話をしてます!(笑)。そんなことを思われてるとはつゆ知らず、タ行なんでオーディションのグループ分けが一緒だったんですよ。私たちに審査員が質問していく時間があったんですけど、そのときに音々ちゃんは指原(莉乃)さんから質問を受けてたんですよ。「前髪が短いけど、どうしたの?って指原さんに聞かれてる! この子、絶対受かったわ」って思ってました。。
地頭江:その当時、学校で眉上のパッツンの髪型が流行ってたんですよ。その当時、HKT48にオン眉の髪型でキャラクラーを確立していた村川緋杏さんがいたから、指原さんに「憧れてるの?」と聞かれたんですけど、「あ、違います……」って。
豊永:その「違います」って答えられるのもカリスマに見えてました(笑)。
――地頭江さんはSKE48のオーディションも受けられてたんですよね?
地頭江:はい。SKE48の7期生のオーディションで3次審査まで進めたんですが、両親から『中学生だけで名古屋に行かせるわけにはいかないから』と言われて、最終審査は辞退しました。そのときに、ママと「HKT48のオーディションがあったら受けていい」と約束していて。その半年後ぐらいにHKT48の4期生募集が始まって、これは運命だと思いました。
――合格してから仲良くなれたきっかけはあったんですか。
地頭江:わりと一緒にいたので自然に仲良くなったのかな。元HKT48の武田智加ちゃんと3人のライングループを加入直後ぐらいに作っていて、それが9年目の今もちゃんと動いてます。
豊永:長年連れ添った夫婦みたいな感じじゃないかなって思います(笑)。どこかに行くとしても、当たり前のように「この日は何してる?」って誘い合うし。
地頭江:お互いに興味のあること、ないこともわかっているので。熟知したからこその良い関係性になってます。
――今年3月、その仲良し3人組で別府に弾丸旅行に行ったともインスタグラムに書かれてましたね。
豊永:そうなんですよ。武田が仕事で福岡に来ていて、「延泊するから温泉とか行かない?」って誘ってきて。最初は黒川温泉を予約したんですけど、集合できる時間から現地に行く交通手段がないことが前日に判明して、キャンセル料も取られて……。
地頭江:3か月前ぐらいから決まってたのに(笑)。現地に行くバスの最終が15時なんですけど、私たちが集まれるのが15時で「え、これ無理じゃない」って(笑)。「別府だったら電車で行ける!」という判明して。性格がバラバラの私たちらしい。
豊永:ただまあ、最終的には泊まれたところがめっちゃよかったよね。温泉も2〜3か所も入れてラッキーだった。
――夜はお酒とかも飲まれるんですか?
地頭江:お酒は強くないのでたくさん飲むわけじゃないんですけど、おいしい食べ物とお酒を楽しむのが好き。酔ってもあんまり変わらないけど。
豊永:そうだね。前は音々ちゃんと二人で、「ここの焼酎はこういう感じ」っていうのを2人でメモしてた時期もあったよね。
――九州の女性はお酒が強いとは言いますが。
豊永:比較対象が九州の女だから(笑)。
地頭江:ただ、智加ちゃんは横浜の女なので、飲む種類が違うんですよ。
豊永:私たちがコンビニで「ご当地ビールのあとは芋焼酎いっちゃう〜?」って盛り上がってるなかで、オシャレなお酒を取ってました(笑)
◆卒業発表、そしてセンター
――地頭江さんは7月に卒業発表をされましたが、豊永さんにはどのような形に伝えたんですか?
地頭江:同期は2人だけですし、阿紀ちゃんがキャプテンということもあって、自分の気持ちは以前から話していたんです。先輩には事前にお伝えしていたんですが、後輩には誰も言っていなかったので、みんなの前で卒業することを話したときにそんなに泣いてくれると思わなくて驚きました。
豊永:同期や先輩の卒業を見送るなかで、同じようなことを考えているのが分かっていたので、将来の話はお互いにしていました。なので、どこかで音々ちゃんが先に旅立って、私が同期のなかで最後に卒業するということを2人で決めた感覚はありました。
――卒業が決まっているなかで、センターに使命されたときは「私じゃないほうがいい」と複雑な思いも語っていましたね。
地頭江:本当にいろんなことを一瞬で考えすぎて、正直あまり記憶がないです。スタッフの方から、「卒業のタイミングでもあるかもしれないけど、それ以前にファンの方と地頭江のことをしっかり形として評価したい」という言葉をいただいて、頑張ろうと決めました。
――卒業とセンター抜擢、家族に伝えたときの反応は?
地頭江:LINEで報告したので最初は「そっかー」って感じだったんですけど、そのあとに父から「いろいろなことを思い出して涙が止まらない」と言われて、私も泣いちゃいました。母は卒業発表をする日の朝に「ちゃんと寝れてないんじゃないか」と心配して電話をかけてきてくれたんですけど、寝起きの私の声を聞いて、「なんで寝れてるの!?」ってびっくりしていました(笑)。
――改めてセンターへの思いを聞かせてください。
地頭江:私は自ら先頭に立つのが得意なタイプではなくて、センターの子やこれから中心に立ちたいと頑張っている子にたいして、「私がいるから大丈夫だよ」っていう距離感でいるのが居心地いいというか。
豊永:その気持ちもわかる。音々ちゃんは参謀のポジションが似合うんですよ。大事なときに進言もできるし、その子はしんどいときは代わりに前に立つこともするけど、ステージを用意されて最初から「ここです!」って言われると焦っちゃうっていう。
地頭江:ファンの方は発表のときから歓声が上がって、帰り際に涙してくれる人もいたりしたんです。やっぱり9年という時間は長いですし、それはグッときました。
豊永:苦しかった時期もあったし、ファンの方から「いつかシングルのセンターになってね」という期待を私と音々ちゃんはもらってきていたから。なので、私的には時期が整ったなと思えるタイミングだったと思う。音々ちゃんが腹括ったら強いけど、虚勢で無理しちゃう部分があるのもわかっているので、隣りに立って支えるぐらいの気持ちでいますね。
――今回の楽曲「半袖天使」の印象はどうですか。
地頭江:自分たちでも思っているんですけど、HKT48 は夏との相性が抜群なので、久しぶりの夏曲ですし、「やっときたか!」っていう。私が今年25歳なんですけど、テーマが「制服の天使」で、それにはビビッています(笑)。
豊永:どっちもキャラ的にね(笑)。
地頭江:歌詞は学生の内容なんですけど、曲調が大人っぽいんですよ。太陽が降り注ぐ昼間の夏っていうより、落ち着いた夕暮れの夏っていうイメージ。だから、私がセンターでもよかったのかなって思えましたね。
――最後のミュージックビデオは大分県にある遊園地で撮影されたんですよね。
地頭江:まさかの別府にまた戻ってきました(笑)。
豊永:音々ちゃんにとってこのMVの時間が特別いいものになればいいなと思っていました。私たちは面と向かって感傷に浸ることが苦手というか、照れ臭いのであまり寂しさも共有したりはしてなかったんですよ。だから、撮影中は自分が後悔しないようにそばにいたいと思っていたので、冒頭の3人の海のシーンにもカメラマンとして帯同して撮らせてもらっていました。そのときの写真を発表の前にSNSに載せたんですが、今までで一番というくらい反響があって、思いは写るんだなと思いました。あと、私が乗る予定ではなかったメリーゴーランドに音々ちゃんが呼んでくれて2人のシーンが出来たことが嬉しかったです。
地頭江:今回の曲には、3期生の山内祐奈ちゃんが活動12年目で初選抜したので、それもすごいことじゃないですか。祐奈ちゃんと私で長年頑張り続ける意味を証明できた気がするので、本当に今のHKT48 がそのまま写されている気がします。
――最近は先輩、後輩を含めてセンター経験者の卒業が相次いでいると思うんですが、どんなことを感じていましたか。
地頭江:そうですね。あの頃は立て続けすぎて1回1回の衝撃が大きかったです。それによって、次世代を担う6期生たちがすごく成長した気がします。まだ加入して3年目ぐらいなんですけど、その吸収しようとする姿勢や責任感も感じますし、今後の伸びしろにも期待してます。
豊永:音々ちゃんは年下との関わりがめっちゃうまいんですよ、長女だから。後輩からの慕われ度もすごいし。それでいて、喝を入れるときはちゃんと入れる。やっぱり在籍が長くなるほど、後輩との関わりも難しくなると思うんですけど、先輩と後輩の中継地点に音々ちゃんがいる気がします。
――後輩と接するときに地頭江さんが意識してるマイルールは?
地頭江:平等ですね。私がすごい人見知りでしゃべるのが苦手なので、7期生の江浦とか龍頭だと緊張しないでしゃべれるっていうのはあります(笑)。私はわかりやすいキャラクターがなくて、ひとりで自主練することが多かったので、なかなか先輩と関わりをもつことが少なかった。それは今でも後悔していることなんです。先輩が私のことを拒絶していたわけじゃなくて、私からいけば楽しい世界が広がっていたのに、「1期生さんとかももっと連絡を取っておけばよかったな」って。だから、後輩たちとはみんな平等に楽しい時間を過ごしたいなと思ってます。
◆今が一番輝いていると思えるようになった
――今作で地頭江さんがセンターを務める意味はどう感じますか。
地頭江:私は才能型じゃなくて地道にコツコツやってきました。選抜復帰するまでに4年ぐらいかかっているし、握手会でたくさんの方が来てくださるまで何年もかかっているし、本当に1つ1つに時間がかかってきました。だけど、たとえ時間がかかっても周りに認めてもらったからこそ、こういう未来があるっていうことを示せたんだなっていう達成感があるので。私がセンターでいる期間に、メンバーたちにも何か特別なものが生まれたらいいなって思っています。
――豊永さんはHKT48 でもまとめ役だと思いますが、グループの現状に満足していますか?
豊永:どっちもあります。満足していない部分は、私たちはアリーナコンサートやホールツアーも経験させてもらって、あのときの景色を知っているからもう1回立ちたい。あの素晴らしい景色を今のHKT48 の全員で見たいんです。「HKT48は変わった」と言われることはあるけど、ちゃんとHKT48 イズムは継承している自負はあるからこそ、離れてしまった人にも一度ライブを見に来てほしいです。今の世代にしか出せない違う輝き方を感じてもらえるはずなので。
――おふたりと同期の話でいうと、月足天音さんは卒業後、アイドルグループ・FRUITS ZIPPERのメンバーとして飛躍していて、HKT48 はなかなかテレビなどの露出が減っている現状があります。そういう部分にたいして悔しさとかはないですか?
豊永:単純にすごいとは思うけど、取り囲むものの大きさが違うので単純に比べて悔しいとかはないですね。もちろんパワーアップもしてるし、磨かれているけど、私たちが知ってる天音の部分も残っているから。これだけ戦える素材がHKT48にいたということは私たちも同じように戦えるはずで、どうしたらそのレールを今のメンバーで作れるかなっていうことに、考え方をシフトするほうがいいかなと思います。
地頭江:そうですね、私もあんまり特別視したことはないですね。ただ、天音とは別れ方が独特で。コロナ禍で無観客の卒業公演も初めてだったんです。だから送り出すすときに「もっといい形があったんじゃないかな」って考えることも多かったから。HKT48のファンの方も天音のことを見に行ってる方もいると思うし、向こうのグループからHKT48の現場に来てくれるファンの方もいると思うので。今はお互いに幸せでよかったという想いですね。
――では最後に、来年迎える15周年に向けて、HKT48に期待することを教えてください。
地頭江:先輩たちが卒業されてから、あの頃を越えたいとか、自分たちに足りないものとかばかりを考えて過ごしていたけれど、いつの日から今のHKT48は誰にも負けていないし、1番輝いていると思えるようになりました。グループの未来を楽しみにできるようになったのは、自分たちに自信が持てるようになったときからだったので、私が活動している間に、あらためてHKT48 の良さや強みを後輩たちにも伝えられたらいいなと思います。
豊永:卒業後は喪失感も大きいと思うけど、私と音々ちゃんがここまで結束できたのも、強くなれたのも、たくさんの大きな背中を見送ってきたからなので、そういう存在が出てきてくれると思います。それがグループにとってまたひとつの大きな成長の機会になると確信しています。音々ちゃんが「HKT48はいつだって最高のグループ、今のHKT48が最強」という言葉をちゃんとみんなが信じられるように、自分自身も強くなって、最高と最強を更新できるグループにしたいと思いますね。
――そういえば、2人のペア名ってないんですか?
豊永:9年間も活動してるけど、公式なのはないんですよ。ファンの人たちからは「風神雷神」とか言われるけど(笑)
地頭江:強い(笑)。それがしぶとく生き残ってこれた理由かもしれないね。
取材・文/吉岡 俊 撮影/後藤 巧