「いかに僕らが大本営に騙されていたか」89歳の北村総一朗が語る本土空襲の夜と反戦への思い

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2025年07月27日 09:30  日刊SPA!

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俳優・北村総一朗
 この夏は太平洋戦争の終戦から80年となる節目の年。戦争体験者が年々減少し、記憶が風化していくなかで、次世代に戦争の悲惨さを語り継ぐべく精力的に活動しているのは俳優の北村総一朗氏だ。89歳のベテラン俳優が幼少に見た戦争の姿とは——。
◆米軍機が超低空飛行で一般市民を襲ってくる

 太平洋戦争末期の1945年7月4日、高知は大規模な空襲に見舞われた。それを9歳の時に体験したのが、俳優の北村総一朗氏だ。

 戦争をテーマにした舞台の演出を最近手がけた北村氏に、自身の体験や反戦への思いを聞いた。

——高知大空襲の体験を聞かせてください。

北村総一朗氏(以下、北村):僕の家は中心部から離れた高台にあったので、幸い直接の被害は免れたけど、市内を見下ろすと、真っ赤な火の海。

 焼夷弾が“ヒュッ”と音を立てながら落ちてきて、それがとにかく綺麗だった。でも、すぐに恐怖が襲ってきて、親父が掘った防空壕へ走り込んだね。

 そこで寝るんだけど、むしろの上にせんべい布団を敷いているだけだから、土とカビの臭さでひと晩を明かすのが本当に辛かった。

 空襲直後は、阿鼻叫喚で死体がゴロゴロしている状態でしたので、街中に子供が入ることは許されませんでした。

 しばらくしてから見に行くと、行ったことのある建物はすべて破壊されて何もなく、街から遠くを一望できてしまう。その光景が子供ながらショックでした。

 大空襲の前にも、ときどき数十機のグラマン戦闘機が飛んできて、操縦士の顔が見えるぐらいの低空飛行でバババ……と一般市民を狙って機銃掃射する。それはもう恐怖でした。

 数か月後、学校が再開すると、空いている席がいくつかありました。空襲で命を落としたんですね。

◆“鬼畜米英”だった彼らに手を振る大人に驚いた

——当時の社会は、どのような空気だったのでしょうか。

北村:周囲の大人は日本が勝つと思っていたので、僕たちもそう思っていました。大本営は嘘ばっかり言っていて、みんながそれを信じていた。

 東京が空襲に遭い、広島に原爆が落とされているのに大本営は「敵が焦っている証拠だ」「日本にはまだ余裕があるから戦いを続ける」と宣言しているわけで、恐ろしいですよね。

 いかに僕らが騙されていたか。あの戦争で、なぜ日本人があれだけ団結した要因はなんだったのか。今でも考えます。

——戦争が終わり、世の中はどう変わったのでしょうか。

北村:担任の先生の言葉は今でも忘れません。「これから進駐軍が上陸してくる。あいつらは怖いから、見つかったら耳から耳に針金を通して、数珠つなぎにして連行される。絶対に見に行くな」と。

 でも、怖いもの見たさで行くわけです。すると、沿道には日本人がたくさんいて、進駐軍に向かってにこやかに手を振っている。

 鬼畜米英と叫んでいたのに、負けるや否や、手のひらを返すように大人が変わった。子供心にも不思議でしょうがなかったです。

 街では、進駐軍の兵隊と「パンパン(街娼)」と呼ばれる女性が腕を組んで歩いているところを見かけました。生活のためやむを得ない理由はあったのだろうけど、家族や親戚が殺されても親密になれることが不思議でした。

 公園などの暗い場所に行くと、ちり紙やサック(避妊具)が落ちている。当時の僕は性に目覚める頃だったので、相当ショックでしたね。

◆原爆の悲惨さを描いた舞台を演出

——5月に、原爆の悲惨さを描いた舞台『フツーの生活 長崎編』(作:中島淳彦)を演出しましたよね。

北村:僕が経験した太平洋戦争以降も、朝鮮戦争から今日のウクライナ戦争まで、対岸の火事でありつつも、ずっと戦争と共に生きてきました。

 大国がいまだに戦争をすることに愕然とし、それが今回の舞台を演出するきっかけになりました。

 長崎の原爆資料館に行きましたが、その悲惨さは僕の想像以上でした。上空に“2つ目の太陽”が現れたかと思うとそれが落ちてきて、半径2000mにわたって一瞬にして建物をなぎ倒し、人間を吹き飛ばしてしまった。

 本当にショックで、「あの戦争が自分の中でだいぶ風化されているのではないか」と思い知らされました。戦争体験者である自分ですらそうなのですから、若い人の間で戦争が風化するのは当たり前です。

 だからこそこの舞台を上演しなければならないと、改めて意を強くしました。

◆「普通の生活」をどうすれば続けられるのか考えてほしい

——戦争が起きないためにはどうしたらいいでしょうか。

北村:それを考えると無力でしかありませんが、演劇や文学などさまざまなジャンルで戦争反対ののろしを上げ、マスメディアが発信していくしかない。

 でも最後は、政治がその仕事を負わなければならないと思います。だから右も左も関係なく、政治家が一流でなければダメです。戦争を止めるのは外交。

 今はアメリカもロシアも中国も、大国がすべて寡頭政治になっている。でも、ただ大国に媚びへつらうだけの政治家では、戦争を止められない。

 堂々と言うことを主張して外交ができる、本物の政治家の登場を待つしかないと思います。

——戦争体験者として最後に伝えたいことは何でしょう。

北村:今回の作品では病室を舞台に登場人物たちが懸命に生きる姿が描かれています。

 入院患者は「明日のために寝ますか」と周りに呼びかけるセリフがありますが、みんなが明日を信じて生きていたから言える言葉です。

 現代では、なかなか明日のために寝ようとは思わないですよね。戦争中は明日のことはわからない。それでも明日を信じて、寝ていたんです。

 普通の生活を続けていくことは大事なテーマです。それがどんなに幸せなことであるかを噛み締め、この幸せをどうすれば続けられるのか、読者の皆さんにも考えてほしいと思います。

*戦時中の長崎の病院で希望を持って生きる人たちを描いた、北村氏演出の舞台『フツーの生活 長崎編』はチケットサイト「カンフェティ」で8月22日まで配信中

【北村総一朗】
1935年、高知市生まれ。89歳。24歳で上京し、1961年に文学座の研究生になり俳優活動をスタート。1963年、劇団雲の創立に参加し、1976年より劇団昴に所属。今年6月に同劇団を退団。ドラマ・映画『踊る大捜査線』シリーズでの神田署長役で一躍人気に

取材・文/大橋史彦 撮影/後藤秀二

―[俳優・北村総一朗が語る本土空襲の夜]―

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