東映最後の直営館「丸の内TOEI」が2025年7月25日に閉館。最後の舞台あいさつに駆けつけた吉永小百合 俳優・吉永小百合が27日、この日をもって閉館した東京・銀座の老舗映画館「丸の内TOEI(1)」にて、最終上映作品『動乱 第1部 海峡を渡る愛/第2部 雪降り止まず』(1980年公開)の上映前にサプライズで登壇。自身にとっても思い出深い劇場の最後の一日に花を添えた。
【画像】65年の歴史に幕を下ろした「丸の内TOEI」営業終了の瞬間 1960年9月20日に開業した「丸の内TOEI」は、東映本社の入る東映会館の再開発に伴い、7月27日をもって閉館。東映最後の直営館として、また長年にわたり映画ファンに愛されてきた劇場が、65年の歴史に幕を下ろした。
この日、東映・吉村文雄社長が観客に向けて最後のあいさつを終えたあと、吉永が壇上に姿を現すと、客席からは驚きと歓声が上がった。1980年の『動乱』以来、昭和・平成・令和の三時代にわたり東映映画を支え続けてきた吉永。自身も深い思い入れを込めて、劇場への感謝をこう語った。
「皆様、今日は丸の内TOEIの最後の日にこんなにたくさんいらしていただきまして本当にありがとうございます。お世話になったこの劇場で、この劇場のいろいろなセクションで働かれた方々に心からお礼を申し上げます。そして、このような形でごあいさつできることをうれしく思います。私は恵まれております。少しの時間ではありますが、皆さんと映画のことをお話しできればと思って参りました」
上映作品『動乱』は、昭和史の転換点となった二つのクーデターを背景に、青年将校とその妻の愛と生きざまを描いた超大作。高倉健と吉永の共演に加え、『戦争と人間』『華麗なる一族』などを手がけた山田信夫による脚本を、『日本沈没』『八甲田山』の森谷司郎が監督。日本各地で一年をかけて撮影された、当時の日本映画界を代表する一本だった。
吉永は「私が初めてここでごあいさつしたのは、1980年1月15日。この『動乱』の初日でした。私は、この『動乱』という映画で、映画づくりのすばらしさを心から感じました。1979年の冬からの1年間の撮影は、本当に素晴らしかった。スタッフの方たちも一生懸命で、高倉さんとのラストシーンを撮り終えたとき、真夜中ではありましたが、スタッフの方や高倉さんと皆さんで食事をして、健闘を称えあいました。もう一度、映画俳優として頑張ってみようと思えた、大切な大切な作品です」と、当時を懐かしむように振り返った。
さらに、コロナ禍の影響で公開延期となった『いのちの停車場』(2021年)についても触れ、「(そのときは)本当に悔しかったです。その後状況が落ち着いて、(これまで)約20本もの映画のごあいさつをここ丸の内TOEIで行わせていただいたことを覚えています。窓口で切符を買って、後ろの方に座って皆様がどのような反応をしてくださるのか、笑ってくださるかしら、それともしんみりしてくださるかしら、と思いながらこの劇場で観たことは、忘れられません。素敵な劇場でしたし、なくなってしまうことはつらいです」と、劇場との思い出を噛みしめた。
最後に、映画館で作品を観ることの価値を改めて語りかけた。
「今日はこの空の上で、高倉さんも、森谷司郎 監督も、岡田裕介プロデューサーも見守ってくださっていると思います。映画館で映画を見るすばらしさを私は忘れたくないですし、皆様にも、この劇場ではないですが、また映画館に足をお運びいただければと思っております」。客席からは惜しみない拍手が沸き起こっていた。
■吉永小百合出演(アニメーション作品・ナレーション等含む)の東映映画20作品
『龍の子太郎』(1979年)監督:浦山桐郎
『動乱 第1部 海峡を渡る愛/第2部 雪降り止まず』(1980年)監督:森谷司郎
『天国の駅』(1984年)監督:出目昌伸
『夢千代日記』(1985年)監督:浦山桐郎
『玄海つれづれ節』(1986年)監督:出目昌伸
『華の乱』(1988年)監督:深作欣二
『天国の大罪』(1992年)監督:舛田利雄
『霧の子午線』(1996年)監督:出目昌伸
『蓮如物語』(1998年)監督:葛西治
『時雨の記』(1998年)監督:澤井信一郎
『長崎ぶらぶら節』(2000年)監督:深町幸男
『千年の恋 ひかる源氏物語』(2001年)監督:堀川とんこう
『北の零年』(2005年)監督:行定勲
『まぼろしの邪馬台国』(2008年)監督:堤幸彦
『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-』(2011年)監督:森下孝三
『北のカナリアたち』(2012年)監督:阪本順治
『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ-終わりなき旅-』(2014年)監督:小村敏明
『ふしぎな岬の物語』(2014年)監督:成島出
『北の桜守』(2018年)監督:滝田洋二郎
『いのちの停車場』(2020年)監督:成島出