修復作業を受けるSUBARU WRX NBR CHALLENGE 2025 2008年は実験的にプローバ・レーシングをサテライトチームとして、2009年から独自のワークスプログラムとしてドイツ、ニュルブルクリンク24時間レースへの挑戦を開始したスバルとSTI(スバルテクニカインターナショナル)。そのプロジェクト開始当初から総監督を務めた辰己英治氏が、2024年の第52回大会を最後に勇退した。後任は氏の“愛弟子”ともいえる存在の沢田拓也監督だ。今季、初めてNBR24プロジェクトの指揮を執った沢田監督に、ニュル24時間への想いを聞いた。
■辰己総監督とは異なるかたちで
――辰己元総監督から世代交代しての初めて迎えたニュル24時間レースは、沢田監督にとってどのようなものだったのでしょうか?
沢田拓也監督「辰己さんは、何年も前から『辞める』と何度もおっしゃっていたので、いつかはそのときが来るのだとずっと覚悟をしてきてはいましたが、そのまま毎年継続してくださっていたので辰己さんと過ごす時間はたっぷりありました」
沢田監督「しかし、実際に辞められると決まった時は、『これから大変になるな』とは思いましたが、事前に想定しているのとはイメージが少し違っていたと感じました」
――事前とはどうイメージが違ったのですか?
沢田監督「私は総監督という立場ではなく、昨年までの監督というポジションのままではあるのですが、さまざまな調整事が多くてその業務の大変さを実感しています。辰己さんの影響力の強さを改めて実感し、社内社外問わずその人気は凄まじいのです。ですから、その後任になり切れるかと言うと、私は多分なり切れないと思いますので、違ったかたちの監督になれれば良いかな、と思っています」
沢田監督「世界中の数多くのファンの方が応援してくださっている活動なので、辰己さんの意志を継いでできるだけ長く続けられるように頑張りたいと思います。辰己さんが長年を掛けてまとまりのある良いチームを作ってくださいました。クルマも人間ももっと強くなれると思っています」
■修復作業は合計7時間以上に
――初監督を務められた2025年のレースを振り返っていかがでしたか?
沢田監督「私は2019年から総監督の辰己さんの下で監督という立場でニュル24時間レースの現場では業務をこなしていました。今年は辰己さん抜きの初めてのレースで、チームがしっかりまとまるかという心配はしていたのですが、実際にニュルを訪れてみると、チーム全員がニュルへの想いが強くて、ひとりひとりがしっかりと頑張ってくれました。本番を迎えるまでには数多くの準備や事前整備の業務があったのですが、どれもしっかりと仕事をこなしてくれて心強かったです」
沢田監督「今回レースでは予期せぬ停電の赤旗中断だったり、途中で他車と接触してからの復旧、そしてその約7時間半後に結構大きな事故が起きるなど、かなり波乱万丈なレースとなりました。ボディを中心に大きなダメージを受けて、しっかり走れるように直るのか心配でした。修復にはかなりの時間を費やし、総合順位としては随分とポジションを落としてしまいましたが、全員で力を合わせてしっかりと修復をして、チームが一丸となって完走がすることができました」
沢田監督「レース終盤の気温は非常に高温でしたが、良いタイムをコンスタントに刻んで順調にどんどんポジションを上げて順位上げていったのは、すごく良かったと思います。一旦は総合119番手まで落ちたのを巻き返して76位、SP4Tクラス2位でレースを終えることができました」
――夜間にティム・シュリックがドライブ中に遭った事故では相当なダメージで、ピット内では板金の物すごい音が鳴り響いていましたね。
沢田監督「修復には5時間以上を要しました。その後、1回試走をしたのですが、やはり異音がして、ドライブしていて変な感じがするというので、ふたたびピットインをしました。その際は確か2時間以上をふたたび修復に時間を費やしたと思います」
沢田監督「リヤデフやそれに関連する部品を交換し、アライメントまでしっかり整えて走り出しました。ピットに留まっていた時間はかなり長かったのですが、事故に起因したトラブルをしっかりと修復してチェッカーフラッグを受けるまでしっかりと走り切れたことを誇りに思っています」
■ドッキリは大成功!
――今季から沢田監督がチームを牽引するお立場になられて、チーム体制も少し手を加えられたのでしょうか?
沢田監督「基本的には変わっていないのですが、研鑽という面も考慮して若いスタッフの入れ替えをしました。事前の予選レースと本戦の24時間も少しメンバーを変えて、より多くのスタッフがこのプロジェクトに関わり、開発する機会があるようにしました」
沢田監督「具体的にいうと、予選レースでは4名の新人を加え、来年以降のチャレンジ研修というカタチにし、24時間レースでは現場に慣れたメンバーで構成しました」
――今年はいろいろ良いことも悪いことも山あり谷ありでしたけれども、ずばり来年の目標は?
沢田監督「リベンジですよ! ニュル24時間レースから車両を航空便で日本に送り返します。前後左右に衝突をしていて、ボディはかなりダメージを受けていますので、そのあたりの修復を早急に進めるつもりです」
沢田監督「車両は当然バージョンアップもしないと意味がありませんので、今年のレースの経験を踏まえて、しっかりと計画を立ててプロジェクトを進めたいと思います。来年のニュル24時間は5月に開催されますので、スケジュール的には結構タイトになると思います」
――ところで、辰己元総監督が突然ニュルに現れて驚きました。それも、ご自身でスバルツアーにお申込みをされて、ファンの方々とご一緒にツアー客として添乗員さんに連れられてニュルにいらしていましたね。沢田監督は辰己元総監督がいらっしゃることをご存知だったのですか?
沢田監督「はい、実は知っていましたが、みんなには言わないでと口止めされていました」
沢田監督「個人でツアーに申し込まれているということでしたので、チームとして公式には事前告知はしていませんでした。突然来られたほうが面白いですからね。ドッキリ大作戦した! 外から違う視点でレースを楽しまれたようです」
[オートスポーツweb 2025年07月30日]