シンガー・ソングライターおかゆができるまで ギャルが港町で演歌“ウギャル”時代/連載4

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2025年07月31日 05:01  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

笑顔でポーズをするシンガー・ソングライターおかゆ(撮影・小島史椰)

うだるような暑さとなった25年6月21日。“ギャルの聖地”渋谷109の店頭イベントスペースには、この日のためだけに自らデザインして作った衣装に身を包み、新曲「ジモンジトウ」を歌う“シンガー・ソングライター”おかゆ(34)がいた。この日、さまざまな思いが交錯し、目を潤ませた。それを紛らわすように明るく努める姿が印象的だった。このミニライブを“第2章の始まり”と位置付け目を潤ませた、その意味に迫った。【川田和博】


   ◇   ◇   ◇


17歳にして母を亡くした。打ちひしがれる中、後悔をバネに、母の夢だった歌手を目指し動き始めるが、さらなる不運に見舞われる。世界中を襲ったリーマン・ショックのあおりを受けた。


「働いていた平和島の貿易会社をリーマン・ショックでリストラされまして…。17歳で全て失うんです」


それでも、心は折れなかった。右も左も分からぬまま、片っ端からオーディションを受けまくった。


「オーディションといっても、それまでギャルをしていたから知識がなくて。しかも、今のようにスマホもなくガラケーの時代。当時、私の携帯にはギャルの情報しかない。『なんか違うな』というのも含めて、とにかく受け続けていました」


100回以上受けたオーディションだが、厳しい現実を突きつけられていた。そんなある日、1本の電話が運命の扉を開く。


「『アジアの歌姫オーディション』というのを受けたことがあって、その1年後くらいに連絡があったんです。『あの時、演歌を歌っていましたよね?』みたいな。『ギャルが演歌を歌うユニットがあるので、1回来てくれませんか?』と言われたんです」


水産庁の魚食普及プロジェクトをPRするためのユニット「ウギャル」のスカウトだった。


「海のウと魚(うお)のウをかけて『ウギャル』。港町を回って漁師さんたちの手伝いをしながら、演歌を歌うというものでした」


ギャルと演歌。点と点が線で結ばれた。


「元々ギャルモデルの高橋景子さんという、私が一番憧れていたギャルの人が立ち上げていたプロジェクトだったんです。私も知っていたし、一番の憧れの人だったので、二つ返事でした。その時取り上げてくださったのは、日刊スポーツだけでした(笑い)」


やっと、母の夢だった歌手に手が届く。そう思ったのもつかの間。ウギャルは活動前から前途多難となった。


「鳥羽一郎さんの『兄弟船』を練習して、すごくいい感じでした。でも『活動します』となったら、リーダーの高橋さんにお子さんができて活動ができなくなったり、ジャケット撮影した次の日に1人失踪しちゃって。メンバー5人で活動するのに3人になってしまいました」


他人の目を気にせず、自分の信じたことを貫く。ウギャルは、良くも悪くもギャルの集まりだった。


「本当にギャルだったんですよね。全員がマジモンのギャルだから、多分みんな自分たちの生き方を貫いているんですよね」


ただ、それはおかゆも同様だった。


「少しでも母の夢にと思っていたので、『3人でも歌います。全国の港町に行って一生懸命やります』って。最初は震災直後の釜石の仮設でした。でもある日、また1人来なくなって2人になってしまいました」


20歳になっていたおかゆにとって、母の夢をかなえることが自分の夢にもなっていた。


「さすがに、これはちょっと大変だなと。夢をかなえたいというか、歌謡曲をちゃんと歌いたかったので、『本気で歌をやりたい』とみんなに相談しました。そうしたら、『おかゆはそっちのほうがいいよ』といってくれて、卒業しました」


こうして、ウギャルを卒業。夢をかなえるためにとった方法が、“流し”だった。(つづく)


◆おかゆ 本名、坂本由佳(さかもと・ゆか)1991年(平3)6月21日、北海道生まれ。19年5月1日、「ヨコハマ・ヘンリー」でビクターからメジャーデビュー。23年5月、5枚目シングル「渋谷のマリア」が発売週のオリコン演歌・歌謡曲ウイークリーランキングで1位を獲得。また、第16回CDショップ大賞2024歌謡曲賞を受賞。167センチ。血液型A。

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