シンガー・ソングライターおかゆができるまで “平成女ギター流し”誕生の裏側/連載5

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2025年08月01日 05:01  日刊スポーツ

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笑顔でポーズをするシンガー・ソングライターおかゆ(撮影・小島史椰)

うだるような暑さとなった25年6月21日。“ギャルの聖地”渋谷109の店頭イベントスペースには、この日のためだけに自らデザインして作った衣装に身を包み、新曲「ジモンジトウ」を歌う“シンガー・ソングライター”おかゆ(34)がいた。この日、さまざまな思いが交錯し、目を潤ませた。それを紛らわすように明るく努める姿が印象的だった。このミニライブを“第2章の始まり”と位置付け目を潤ませた、その意味に迫った。【川田和博】


   ◇   ◇   ◇


港町を回ってギャルが演歌を歌う「ウギャル」プロジェクトを卒業。20歳になったおかゆは夢をかなえるための未来ノートを作成。それは、大谷翔平のような行動だった。


「もう20歳になっていたし、最後の賭けだと。これでダメだったらやめるという覚悟で進まなきゃいけないと思って、可視化したんです。『なぜ歌を歌いたいのか?』『誰に届けたいのか?』『何がしたいのか?』などを全てを可視化しました」


可視化によりビジョンが明確化すると、おのずと道が見えてきた。それが幼少期を過ごしたスナックでの“流し”だった。


「とりあえずギターを買って、ウギャルで『兄弟船』を練習していたので、その1曲だけを覚えて、とりあえず回ろうって。Googleで『スナック』『一番多い場所』『東京』で検索したら湯島が出てきたので、ギターを持って一軒一軒回り始めました。22歳の1月でしたね」


世は平成。昭和の名残ともいえる“流し”は受け入れてもらえず初日、32軒連続で断られた。


「33軒目でやっと歌わせてもらえたけどレパートリーが1曲しかないから、リクエストされてもエンドレス『兄弟船』状態。めちゃめちゃ怒られて(笑い) でも、『なんでこんなことをしているのか分からないけど、頑張りな』というお客さんの言葉が、すごくうれしかった」


来る日も来る日も、スナックを回った。徐々にコツをつかんだ。お客さんのリクエストに応えることで曲を覚え、ママやマスター、そしてお客さんが別のスナックを紹介してくれた。ここに1つ、逸話がある。


「実は、お客さんから“流し”って言われても、よく分かっていなかったんです。ずっと台所だと思っていましたから(笑い)」


ある時勇気を出して聞いてみた。


「『北島三郎さんも、五木ひろしさんも、藤圭子さんも、みんな流しをやっていた』と教えてくれたんです。それで“平成の女ギター流し”と“女”を入れたら、圧倒的に受け入れてもらえるようになった。地方にも行くようになって、全国に広がったんです」


元々、目標があった。それは、母の口癖だった「七転び八起き幸せに」を数字に置き換えて、流しで出会った7842人との写真をSNSに載せていくことだ。


「最初に作ったきっかけは、目標を可視化した時に『これ、やめるな』と思ったんです。だったら、歌手になれなかったとしても、これを完結させれば『頑張ってスナック回ったんだよ』と母にも報告できると思ったんです。自分の中で諦めもつくかなと」


20代前半から全てをささげた目標は19年4月に達成した。


「最後はちょっと駆け足しでしたが、なんとか平成が終わる前に達成できたんです。それで、その翌月にビクターからメジャーデビューだったんです」


このメジャーデビューの裏には“流し”でつながった縁があった。(つづく)


◆おかゆ 本名、坂本由佳(さかもと・ゆか)1991年(平3)6月21日、北海道生まれ。19年5月1日、「ヨコハマ・ヘンリー」でビクターからメジャーデビュー。23年5月、5枚目シングル「渋谷のマリア」が発売週のオリコン演歌・歌謡曲ウイークリーランキングで1位を獲得。また、第16回CDショップ大賞2024歌謡曲賞を受賞。167センチ。血液型A。

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