「僕はちゃんとした目的持って生きてる人間じゃない」渡辺哲ひとり芝居「カクエイはかく語りき」

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2025年08月01日 05:01  日刊スポーツ

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照れながらポーズをしてくれた渡辺哲(撮影・小島史椰)

俳優渡辺哲(75)がひとり芝居「カクエイはかく語りき」(8月23、24日に新潟・柏崎市文化会館、9月9〜15日に東京・下北沢ザ・スズナリ)を上演する。今太閤と呼ばれ国民的人気を博しながら、ロッキード事件で刑事被告人となり、1993年(平5)に75歳で亡くなった田中角栄元総理の生きざまを演じる。2018年(平30)の上演作に、角栄元総理が亡くなった75歳になって7年ぶりに挑む心境を聞いてみた。【小谷野俊哉】


   ◇   ◇   ◇


高校卒業後、1浪で東工大工学部に入学した。


「浪人していたんですけど、たまたま東大の入試が大学紛争でやらなかったんですよ。一応、東大を狙ってたんですよ。勉強できたっていうか、高3で野球をやめてからはむちゃくちゃ勉強したんです。僕は早稲田(早大)に行きたかったから、それで浪人して勉強しているうちに、世の中が70年安保になってしまったんです。で、浪人してたから国立はどこでもいいやと思って、東工大を受けたんです。それで、受かっちゃった」


理系を選んだのも、特に強い思いがあったわけではない。


「理系というか、兄弟3人で上が文科系で、真ん中が医学部だったんです。僕は医学部に行きたかったんだけど、医者の兄貴が『手を見せろ』って言うから見せたんです。そうしたら『あぁ、お前ダメだ。これは医者の手じゃない』って。じゃあ、やめるわって簡単にやめました。だから上から文科系で、医学系だから、じゃあ俺は理系でも行くかって。今もそうですけど、僕はあんまりちゃんとした目的を持って生きてる人間じゃないんでね。だから、そういう意味では適当でしたね。でも、入っちゃったんですよ。それが間違いということではないけど、受かっちゃったからいいや、と。それで、今も一番付き合ってるのは、東工大の人ばっかりですけど」


なんとなく受かった東工大だが、中退する。


「だんだん映画の方に入って来て、中退してプー太郎して、シェークスピアの劇団でシェークスピアでやるようになったんです。きっかけは友達がシェークスピアの研究所にいまして『お前、ちょっと来いよ』って言われて、演出家に紹介されました。その時は芝居も何も知らなかったんです。僕は数学が一番好きで、今も一番好きなんです。数学が好きですから、いろいろなのをまとめたり、お金を使ったりする、制作を僕はやりますって言ったんです」


演出家に芝居の裏方の制作を志願して、認められた。


「それで翌日、研究所へ来いって言うから、行ったらいきなり本読みをやらされて、立ち稽古をやらされて、それでその日に飲んでみんなでオーッとやってね。じゃあ、明後日も来いよとか言われて、行くようになりました。劇団でやってたから責任を果たさなきゃ行けないんで、2年目ぐらいに劇団を会社組織にして税金とかの関係を全部やりました。それで、なんかシェークスピアをやれって言われて、途中でやめるわけにはいけないから最後までやりました。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって、それが僕の基本なんでね。だから、そういう点では楽しかったですね。今じゃ、もう無理ですよね。毎月5日間ずつ舞台をやるなんて。でも、やれて良かったですね。まあお金の方が大変でしたけど」


舞台役者の道に進みながら、バイトをして生活費を稼ぐ生活が続いた。


「バイトを辞めたのは40歳ですね。結婚は29歳です。その頃、シェークスピアを見に来てた中に塾の先生で、経営者だった人がいたんです。その人に一緒にやろうって言われて、やったんですよ。そしたら一緒にやり始めて2年後ぐらいに亡くなっちゃうんですよ。その時の生徒が40人くらいいたんですけど、それを僕が引き継いでやったんです。だから、塾の方で稼いでお金は持ってたんです」(続く)


◆渡辺哲(わたなべ・てつ)1950年(昭25)3月11日、愛知県常滑市生まれ。東京工大中退。75年「劇団シェイクスピア・シアター」旗揚げに参加。85年「乱」で映画デビュー。91年(平3)に映画「アンボンで何が裁かれたか」。双子の息子は俳優本多英一郎(47)とプロレスラーのアントーニオ本多(47)。181センチ。血液型A。

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