【悼む】橋幸夫さん死去 親の介護、認知症…当時の言葉を今かみしめて

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2025年09月05日 22:25  日刊スポーツ

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介護問題や離婚の危機を書いた著書「宇宙人からの贈りもの」の出版記念サイン会を開いた橋幸夫 (2009年3月21日撮影)

歌手橋幸夫(はし・ゆきお)さん(本名橋幸男=はし・ゆきお)が肺炎のため、都内の病院で4日午後11時48分に亡くなったことが5日、分かった。82歳。所属する夢グループが発表した。


   ◇   ◇   ◇


今月1日に所属する夢グループの石田重廣社長(67)が「私の顔も分からなくなっている」と説明していたが、あまりにも早い訃報に驚いている。


橋さんをインタビューしたのは、今から16年前の09年2月。橋さんは65歳だった。母親の介護のことを書いた「宇宙人からの贈りもの」を出版した時だ。89年に6年に及んだ介護のことを書いた「お母さんは宇宙人」を出版して、親の介護の大変さ、大切さを世に知らしめた橋さんが、あらためて語った本だった。「昭和の時代には認知症という言葉がなかった。有料の施設を探して高いお金を払って親を預けるのは大変だった」と、その葛藤を話してくれた。


インタビューには、橋さんと共に介護にあたった前夫人にも登場してもらった。超大物のおふたりをお迎えするにあたり場所に困った。ホテルのスイートルームを借りるほどの予算はないので、知り合いのすし店を頼った。新宿・富久町にある「吉亀寿司」。芸能界ではちょっと知られた店で、常連には芸能人や芸能関係者がいる。ここの板前さんが「潮来笠」の舞台になった茨城県潮来市出身ということで、すごく喜んでくれたことを覚えている。そこで、ご夫婦とすしを食べながら話を聞いた。


橋さんは、そのすし店を借りるに至るまでの顛末(てんまつ)にすごく興味を持ってくれた。デビューした途端に大スターだから、お店を探したり、予約をするということを面白がってくれた。ホテルのスイートを借りて、忘年会などの飲み会を開くなどということにも「そんなことをやってるんだ」と笑いながら驚いてくれた。


その後も「二代目 橋幸夫」の会見などで顔を合わせた時に元気そうな姿を見せてくれた。一度は引退を決意したが「生涯現役。歌うことが使命」と生きる姿に勇気をもらった。


今年5月、アルツハイマー型認知症の診断を受けたと公表され、あらためてどんなにしっかりした人でも病は襲って来るとの思いを深くしたばかりだった。インタビューした当時は、親の介護も、認知症もひとごとだった。今、当時の橋さんと同年代になって、その時の言葉をかみしめている。


介護だけじゃない。9年前にザ・ぼんちのおふたりをインタビューした時には、橋さんのものまねをするぼんちおさむ師匠から、その温かい人柄を聞いた。


ありがとうございます。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】

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