秋吉久美子「ババアだけ余計。デヴィ夫人に言えるの?」音楽劇「僕と君とピアフ」出演

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2025年09月09日 05:01  日刊スポーツ

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舞台「僕と君とピアフ」への意気込みを語る秋吉久美子(撮影・中島郁夫)

女優秋吉久美子(71)が9、10日に東京・南青山マンダラで上演される、セミョーノフ座の旗揚げ公演となる音楽劇「僕と君とピアフ 〜あなたはエディット・ピアフを知っていますか?〜」に出演する。舞台は現代のバー。バーテンダーをしながらミュージシャンとして生きる青年(聖児セミョーノフ=41)が1冊の本から、20世紀最大のシャンソン歌手でありフランスの国民的歌手だった、1963年(昭38)に47歳で死去したエディット・ピアフのことを知る。訪れた客たちとピアフの魂を感じ合い、話し合う一夜の物語。秋吉は客の1人を演じる。秋吉と、プロデュース、脚本も担当するセミョーノフに聞いた。【小谷野俊哉】


   ◇   ◇   ◇


秋吉にとって、2年前に上演された舞台「あなたはエディット・ピアフを知っていますか?」に次ぐ出演となる。


秋吉「2年前までは、歌いに対するトラウマがあったんです。でも、やっと私も最近大人になりました(笑い)。それまではミュージカルは、ずっと封印していて、そういうのはカラオケも行かないっていう感じでした。ただ、2年前にセミョーノフさんから『ちょっと歌ってくれませんか』ってオファーがあったんです。指導してくれるんだったら1曲ぐらいなら歌いますよって引き受けたんです。非常に素晴らしいご指導をいただいて『秋吉さん、歌う時に目つぶってます。それだと、器官が閉じてしまう。歌う時には目を開いて歌ってください』って。まあそれが、本当かどうか分かりませんよ。でも、なんか自分の中でこれだっていう感じがしたんです」


1972年(昭47)、18歳、高校3年の時に映画「旅の重さ」で女優デビュー。74年に映画「あかちょうちん」「妹」「バージンブルース」に出演して、その存在感と言動で“シラケ世代”の寵児(ちょうじ)となる。


秋吉「当時は、音楽はあまり聞かなかったですね。自分のことで忙しくて。歌手とか歌謡曲とかは、ジャンルがマラソンと100メートル走ぐらい違うわけですよね。歌とか、演劇とか、映画とか全て違うんですよ、ジャンルが同じ芸能って言われてもね。だから、あまり興味もなかったんですけど、最近は自分も歌うようになってきて、カラオケに行って歌える曲が増えたらいいなと思って一生懸命聞いてるんですね。(中森)明菜ちゃんとか(山口)百恵ちゃんとか」


10代でデビューして、すぐスターになり、半世紀以上がたった。


秋吉「ちょうど今から、あと5年ぐらいは時代が変わっていく変動の時代だと思います。この中で移民の方たちもいっぱい入って来たり、いろんな文化の中で日本も変わっていくと思うんです。だけど、ユーモアの感覚って大事だなと思います。ユーモアの感覚があれば戦争も起きないと思います。本気になっちゃうところで、戦争になっちゃったりするんじゃないでしょうか。なんか急に社会的なすごい言葉が出ちゃう(笑い)」


セミョーノフ「秋吉さんのしゃべりは、バラエティーに出演したのを見て面白いと思っていたんです。あと以前、僕が所属していた事務所の社長が秋吉さんのレコードに関わっていたことがあって、歌える人だっていうのも知っていた」


秋吉「過去にバラエティーに出演したのを見ていたんですよ。女芸人に『うるせぇ、トリッキー・ババア』みたいなことを言われて、『ババアだけ余計だよ』って私が返したの。それで『あんた、デヴィ夫人に言えんの』って言ったんですけどね。だからトリッキーは自分でも認めるけど、ババアだけ余計だよって言った」


セミョーノフ「どっちかというと、やっぱりセクシー、妖艶な感じだと思っていたけど、ものすごく知的でユーモアのある人なんじゃないかと思って。それこそフランスの女優さんとか、そういう知的なユーモアがある」


客が目の前にいる劇場で、芝居をして歌う。


秋吉「まだ、緊張感が強いですね。まあ、ピアフの役ではないんですよね。ピアフの役は誰もいなくて、現代のオマージュっていうか、こういう人だったんだ、ああいう人だったんだ、この時にはこういう歌を歌ったんだみたいなことをね。お芝居の中で、ピアフっていう人はこういう人だったんだねってことを学べる上に、歌も聴けて、お芝居も見られる。青山に来て、帰りに表参道でご飯を食べられる。まあ、そういうことです」


セミョーノフ「そこのバーに、その日に集った4人が本を通して。エディット・ピアフの存在を知っていく。今年は生誕110年なんですけど、その伝説の人を彼女の本を読みながら、それぞれ共感していく部分がある。ピアフの経験した悲しみ、喜びをみんなで共有し合っていく。要は伝説の人ってなっちゃうんですけど、本を通してピアフの魂と出会うと、自分たちと重なり合うところがある」


女優という仕事は、アスリートと重なるところがあるという。


秋吉「私たち、役者もアスリートです。本当の運動という意味では彼らがアスリートなんだけど、私たちもアスリートで常に自分を磨くとか、それから裏にいろんな物語を背負ってだけど、その競技をやるときは純粋に1人のアスリートになって、孤独の中で戦っていくっていう意味では同じだなって思っています」


子供の頃は女優になる気持ちはみじんもなかった。


秋吉「全くないです。二十歳ぐらいになって、やっと(笑い)。子供の頃は頭良かったの。弁護士か精神科医になりたいなと思ってた。不器用なんで切ったり縫ったりするのはいけないなと思って、精神科医だったらできるかなと思って。でも女優は、弁護士と精神科医の両方兼ね備える仕事なんですよ。自分のやる役の1人、1人に弁護をつけてあげる、それから精神分析をして深める。そういう意味では両方兼ね備えた仕事になったんだなっていうふうに思ってます」


(続く)


◆秋吉久美子(あきよし・くみこ)1954年(昭29)7月29日、静岡県富士宮市生まれ。高校卒業まで福島県いわきですごし、72年に映画「旅の重さ」で女優デビュー。74年、藤田敏八監督の日活青春映画「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」でトップスターに。76年映画「さらば夏の光よ」「あにいもうと」でブルーリボン賞主演女優賞。80年NHK「夢千代日記」。81年映画「の、ようなもの」。82年映画「さらば愛しき大地」。87年映画「男はつらいよ 寅次郎物語」でマドンナ。88年映画「異人たちとの夏」。95年(平7)映画「深い河」。趣味は動物調教、料理。162センチ。血液型O。

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