
世界的なスター指揮者のティボ(バンジャマン・ラべルネ)は、突然白血病を宣告され、ドナーを探す中で、生き別れた弟のジミー(ピエール・ロタン)の存在を知り、彼の隠れた音楽的な才能にも気付く。兄弟でありながらも異なる運命を歩んできた2人。ティボはその不公平を正そうと、ジミーを応援することを決意する。運命の再会を果たした兄弟が、さまざまな音楽とともに未来へと歩き出す姿を描いた『ファンファーレ!ふたつの音』が9月19日から全国公開される。本作のエマニュエル・クールコル監督に話を聞いた。

−まず、この映画のユニークなアイデアはどこから浮かんだのでしょうか。
10年以上前にシナリオのコンサルタントとして北フランスに行きました。そこで吹奏楽団をやっている人たちと出会い、彼らがつましい社会環境の中で共に音楽をやっている姿に胸を打たれて、いつかこの話を映画にしたいと思いました。それをどのようにして語ろうかと考えたところ、大衆的な吹奏楽団とエリート的なオーケストラを対立構造として描いてみてはどうか。そこに異なるバックグラウンドでそれぞれが音楽をやっている兄弟のカルチャーショックみたいなものを加えたらどうなるのかというアイデアが浮かび、それを映像化することにとても興味が湧きました。
−ティボとジミーの言葉遣いの違いが印象的でしたが、エリートと労働者との階級差みたいものが表現されているのでしょうか。
2人の学歴や話し方、属する社会階級の違いには意識的にコントラストをつけました。ティボは品のある美しいフランス語を話し、ジミーはちょっと誇張しているところはありますがシンプルなフランス語を話す。2人の社会的、文化的な環境の違いが言葉遣いにおのずと表れてくるようにしました。2人の俳優が醸し出す雰囲気やルックス、彼らの食事の仕方、洋服の着方、まなざしの向け方、そうした違いが、彼らが属している階級を表すように演出をしました。言葉遣いもその一つでした。
−ティボとジミーとの違いはもちろん、一流オーケストラと炭鉱の楽団、ジャズとクラシック、吹奏楽とジャズといった音楽を通した対照の妙がすごく出ていたと思います。最後にラベルが工場の音からヒントを得て作曲した「ボレロ」を持ってきて、その対照が融合するような表現をしていましたが、そうした流れは最初から意図していたのでしょうか。
ジミーがジャズについてすごく詳しいところは、ティボにとっては少し意外に映ったかもしれません。クラシック音楽の偉大なアーティストは大体ジャズも好きなので、ティボがジャズを好むのはそれほど驚くことではないのですが、ジミーのような労働者階級の人でジャズが好きというのはちょっと意外性のあることなのです。それと同時に、有名なクラシックの指揮者のティボがダリダのポピュラーなダンス音楽が好きというのも意外な一面です。つまり、社会的な環境や文化的な背景が違っても、音楽を通して通じ合える領域があるということをそうしたエピソードで示しました。そして、ラストを「ボレロ」を使ってそれらがフュージョンする、一体化するというシーンにしたのは、「ボレロ」は有名なクラシック音楽であるのと同時に、誰もが知っているという意味ではポピュラー音楽でもあるということです。そうした、ひょっとしたら交わることがなかったものが融合しているのが「ボレロ」で、それを使って映画を終えるというアイデアは、最初のプロジェクトからありました。
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−劇中に流れるさまざまな曲は、全て監督のチョイスですか。
音楽は全て私のチョイスです。こういうシーン、こういう状況だったらこの音楽は意味があるかなと考えながら一つ一つ選んでいきましたが、いろんな人たちの意見も聞きましたし、私自身もたくさんの音楽を聞きました。ただ、気に入ったものを全て選べたというわけではありません。例えば、ダリダの歌が流れるシーンがありますが、実はあそこはセリーヌ・ディオンの歌を使いたかったのですが使用料がとても高かったんです。ダリダも決して安くはなかったんですけど(笑)…。でも結果的にはダリダでよかったと思います。つまり第2の選択が実は一番いい選択だったということもあるということです。一番目が駄目な時は想像力を働かせて、より良いものを見つければいいということを今回知りました。
−この映画は、ティボがジミーを通してアイデンティティーを知る物語でもありますね。
ティボは有名な才能ある指揮者として活躍していましたが何かが欠けていると思っていました。それがジミーという生き別れになった弟を通して、欠けていたのはアイデンティティー、自分のオリジン、ルーツだったと気付くわけです。彼は弟が直面している厳しい現実を見て、ひょっとしたらそれが自分自身の現実であったかもしれないという考えに取りつかれます。音楽的な才能も、生まれつきのものではなくて、育ったのが裕福な環境だったから音楽的に優れた遺伝子が全開で活用されたけれども、そうではない環境で育っていたらそれが花開くこともなかったかもしれないと。それはつらい発見ですがティボにとってはとても重要なことで、それを知ったことによって、欠けていたパズルを取り戻して彼の心は豊かになった。完全にアイデンティティーを取り戻して一人の人間になった。そうした一人の人物に起きた奇跡を描いたつもりです。
−不当な扱いを受けた労働者の逆襲や、炭鉱が厳しい状況に追い込まれている状況を描くという点では、イギリスの『フル・モンティ』(97)や『リトル・ダンサー』(00)ととてもよく似ていると思いました。何かインスパイアされたところはありますか。
私自身もフランス人全体もイギリスの炭鉱町を舞台にした社会派コメディーがとても好きです。そこで生きている人たちの境遇はとても過酷で暗いものがありますが、登場するキャラクターは常に夢を抱いていて、厳しい状況に甘んじずに何かをやろうとする。そうした社会派コメディーはイギリス映画の伝統としてありますよね。だから、私の映画をケン・ローチみたいだねと言ってくれる人がいますが、それはすごい褒め言葉だと思っていて、とてもインスパイアされている監督です。今回、北フランスの炭鉱町を舞台に選んだのも、イギリスの社会派コメディーの系譜を踏襲したような舞台背景で、レンガ造りの建物など、イギリスの炭鉱町との共通項があったからかもしれません。とても好きなジャンルなので共通性を思い起こしてもらえてすごくうれしいです。日本にも是枝裕和監督がいますよね。彼の映画もちょっとドキュメンタリーな部分を含んだ社会派のドラマだと思います。
−これから映画を見る日本の観客の皆さんや読者に向けて、見どころも含めて一言お願いします。
この映画はフランスで大ヒットしましたが、見ていただいた人たちに偏りがないんです。属している社会層も違えば、政治的なイデオロギーも違う人たちにこの映画を気に入ってもらえたのは、やっぱり音楽や家族のドラマや兄弟の物語が心に残るからだと思います。というのも、誰にとっても、自分や身近な人たちと重ね合わせるところがあったからだと思います。フランス以外でも大ヒットとなりましたが、日本でも映画館を出た時にはすごく幸せな気分になって、あそこは感動したとか、楽しんだと話し合ってもらえたらうれしいです。
(取材・文/田中雄二)
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