『セツと八雲 (朝日新書)』小泉 凡 朝日新聞出版 1890年、40歳のときに来日して以来、『怪談』など数々の名作を生み出した作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。彼とその妻・セツをモデルとしたNHK朝の連続テレビ小説『ばけばけ』が始まったことで、ふたたび脚光が集まっています。二人はどのような夫婦だったのか、八雲は日本をどう見ていたのか、あの豊かな作品の世界はどのように紡ぎ出されたのか――。そうした秘話の数々を、夫妻のひ孫で小泉八雲記念館館長の小泉 凡さんが語り尽くしたのが、今回ご紹介する『セツと八雲』です。
代々、松江藩をおさめた松平家に仕えてきた小泉家の次女として生まれたセツ。本書では彼女について、「幼い頃からないないづくしの時が長かった」と記されています。貧しい暮らしのために進学を諦めて働きに出たセツは、18歳で結婚するものの、1年ほどで夫が出奔し離婚となります。
いっぽう、ギリシャで生まれアイルランドで育った八雲は、幼い頃から家庭環境に恵まれず、少年期には事故で隻眼となり、アメリカに渡ってからも結婚生活が3年ほどで破綻するなど、波乱の人生を送っていました。極貧の中で育ったことや最初の結婚に失敗していることなど、育った国は違えど二人の境遇には重なるものがあり、心に傷を抱えた孤独な者同士、互いに通じ合うものがあったようです。
縁あって夫婦となった二人は、やがて八雲の仕事においても互いを支え合う関係を築いていきました。『怪談』の執筆では、まずセツが「語り部」として出雲の言葉で怪談を話し、それを聴いた八雲が伝承者として物語を紡いでいったそうです。知っている怪談にとどまらず、後に浅草や神田の古書店を巡って素材を探すのもセツの役割となりました。
勉強が好きで成績も優れていたのに進学できなかったセツは、引け目に感じることもあったそうですが、八雲は息子の一雄に「この本みなあなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼうよきママさん。世界で一番良きママさんです」(本書より)と言ったといいます。セツの「リテラリー・アシスタント」としてのサポートがなければ、「雪女」も「耳なし芳一」も「むじな」も生まれていなかったかもしれません。
また、外国人同士の二人は「ヘルン言葉」と言われる独特な言葉で意志の疎通を図っていたというのも興味深い話です。これは朝ドラ「ばけばけ」の主人公「松野トキ」の名前にも関係しており、「まさかそんな由来があったなんて......!」と驚くことでしょう。
ほかにも小泉八雲・セツ夫妻の珠玉のエピソードが紹介されている本書。目に見えぬものの声に耳を澄まし、力を合わせて作品を世に送り出した夫婦の軌跡は、読む人を引き込む内容です。
[文・鷺ノ宮やよい]
『セツと八雲 (朝日新書)』
著者:小泉 凡
出版社:朝日新聞出版
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