アンパンマンはかっこよくてはいけない。朝ドラ『あんぱん』で描かれた「逆転しない正義」とは?

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2025年09月26日 18:10  CINRA.NET

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Text by 家中美思

戦後80年、NHK放送100周年となる2025年上期に放送された連続テレビ小説『あんぱん』。

誰もが幼少期に親しんでいたであろう『それいけ!アンパンマン』を生み出したやなせたかしと妻・のぶが、アンパンマンを生み出すまでの物語を描いた。やなせたかしがモデルとなった柳井崇を北村匠海が、妻・小松暢をモデルにしたのぶを今田美桜が演じている。

いまでは多くの人に知られるやなせたかしだが、漫画家としては遅咲きで、代表作『それいけ!アンパンマン』がアニメ化されたときはすでに69歳だった。同時期にやなせより年下ながら活躍していた手塚治虫などの漫画家たちを前に自信をもてない様子など、等身大の姿が『あんぱん』では描かれている。

作中では、戦争を経験した夫婦が生涯をかけて探す「逆転しない正義」が『アンパンマン』につながる重要なキーワードとなっている。脚本の中園ミホも「やなせたかしの世界を描くことは、戦争を描くこと」と語ったほど、作品が生み出される過程には戦争の記憶が強く反映されている。『あんぱん』は戦争をどのように描いたのか? そして、2人はアンパンマンを通してどんな「逆転しない正義」を導き出したのか?

3月31日に放送された第1回は、柳井崇が漫画を描く姿と、「正義は逆転する。信じられないことだけど、正義は簡単にひっくり返ってしまうことがある。じゃあ、決してひっくり返らない正義って何だろう。おなかをすかせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」というナレーションから始まる。

崇とのぶが人生をかけて探し求めた「逆転しない正義」が、ドラマのはじまりから終わりまで一貫したキーワードとなっているのだ。

脚本の中園ミホは「やなせたかしの世界を描くことは、戦争を描くこと」だと語っている。実際に『あんぱん』では、崇とのぶの物語を通して、その時代に生きた多くの人が体験したであろう戦争のリアルが描かれていた。

幼馴染としてともに育った二人だが、戦争が始まると、のぶは「愛国の鑑」として新聞に取り上げられるほどの軍国少女になり、卒業後は小学校教師として子どもたちに軍国主義的な教育をおこなった。しかし戦争が終わり、信じていた「お国のために命を落とす」という正義が逆転すると、「子どもたちに間違ったことを教えてしまった」と教師を辞めてしまう。

中園ミホはモデルプレスのインタビューで「戦時、きちんと教育を受けたほとんどの女性が軍国少女でした」と語っており、のぶのような存在は当時珍しくなかったことがわかる。

一方で崇は、東京で美術学生として学び、戦争に対して否定的な気持ちを抱きつつも、学徒出陣によって戦地に赴くことになる。そして、中国の福建省に派遣されると、占領した土地に住む現地の人々の敵対心を和らげるため、紙芝居を作ることを命じられる。

そこで崇は、ターニングポイントとなるような出来事を経験する。

同時期に福建省に派遣された崇の幼馴染である岩男は、現地の少年と親子のように仲良くしていた。しかし、ある日、岩男は少年に銃殺されてしまう。少年の両親は、日本兵によるゲリラ討伐で岩男に殺されており、少年にとって岩男は日本語を教えてくれる先生であると同時に、親の仇でもあったからだった。

さらに、戦地で食糧が不足してくると、崇の仲間たちは現地の民家に押し入って、食料を奪い取ろうとする。。そのとき出会った現地の女性は、崇たちのためにゆで卵を作り、彼らに分け与えたのだ。崇たちが殻ごと卵を頬張るシーンは放送当時、大きな反響を呼んだ。空腹は人を変えてしまうこと、そして、「敵」であった日本兵に「人」として向き合い、極限状態でも尊厳を失わない女性の姿は、崇の記憶の中に強く刻まれることになった。

このように、軍国少女だった経験、占領地での価値観が覆る体験を経て、2人は絶対的な正しさが存在しないことを知る。だからこそ探し求めたのが、「逆転しない正義」だった。

戦争が終わり、崇は新聞記者、百貨店のデザイナーを経て専業の漫画家を目指すが、作詞やデザインの仕事も引き受けていく。

漫画家として代表作がないことに劣等感を抱え、漫画家仲間が自分抜きで世界旅行に行ってしまったことにショックを受け、「これで受賞しなければ漫画家を諦める」と決意し制作したのが『ボオ氏』だった。この作品は『週刊朝日漫画賞』を受賞し、崇が漫画家を諦めず続けていくきっかけとなった。

『ボオ氏』より「鳩とトビウオ」1967年

(C)やなせたかし (公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団蔵

物語では、ラジオ番組『やさしいライオン』や楽曲“手のひらを太陽に”など、やなせたかしが手がけた多くの作品が登場。クリエイターとしての彼の歩みが丁寧に描かれていった。

そして、最終週から2週間前となった第24週、ついに「アンパンマン」が私たちが知るかたちで登場する。それまでもアンパンマンのもととなるキャラクターは構想されていたが、貧しくて太っている「あんぱんを配るおじさん」として描かれており、なかなか人気が出なかった。

「あんぱんを配るおじさん」から「顔そのものがあんぱん」であるキャラクターに姿を変えたアンパンマン。彼は、敵を倒して世界を救うのではなく、お腹をすかせて困っている人に自分の顔を差し出す。悪者をやっつける痛快な物語が多く描かれていた当時、アンパンマンのようなヒーローは珍しかった。

実際に、周囲から「もっと痩せさせたほうがいい」「せめて手に武器を持たせるべきでは」と言われるシーンもあったが、崇は決して聞き入れることはなかった。それは、アンパンマンのような、自らを犠牲にしてでも困った人に手を差し伸べることこそ「逆転しない正義」で、「アンパンマンはかっこよくてはいけない」からなのだった。

月刊絵本「キンダーおはなしえほん」1973年10月号『あんぱんまん』 
フレーベル館刊 (C)やなせたかし

そして、アンパンマンの「敵役」としてばいきんまんも誕生するが、アンパンマンとばいきんまんはお互いにとどめをささず、つねに戦い続けている。その理由について、崇は「人体には良い細菌とバイ菌のどちらもあって、バランスが取れていて、バイ菌がなくなると人間も生きていけない」「悪い菌と良い菌、どちらも共存して、きっ抗して戦っているのが健康な世の中だと思うんだ」と語り、のぶは「みんなが同じ方向を向いている社会は危険」だと表現する。

崇の言葉からは、戦争の体験で身をもって感じた「正義は『悪者の命を奪うこと』ではない」という強い思いが感じられるし、のぶの言葉からは戦時中の全体主義に自分も流されてしまったことへの後悔が滲んでいた。

「かっこ悪い」「顔を食べさせるなんて残酷だ」と言われながらも誕生した新しいヒーローのアンパンマンは、「かっこよくない、敵を倒さない」という信念を貫き続け、1988年にアニメ化を迎え、多くの人に受け入れられる物語に成長していく。

自分の犠牲を払ってでも他者を助け、力で悪を制圧しないアンパンマンこそが、2人の探し求めた、どんなときも変わることのない、「逆転しない正義」だったのだろう。

自分が信じて疑わなかった正義はある日突然逆転してしまうかもしれないし、悪を懲らしめるという強い正義感が誰かの命や尊厳を奪うことにつながっているかもしれない。二人は、かれらなりの「逆転しない正義」を導き出した。けれど、それが本当に「正しい」正義と言えるのかはわからない。「逆転しない正義」とは何なのか。そもそも、「逆転しない正義」なんてあるのだろうか―。戦後80年の今年放送された『あんぱん』は、そんなことを慎重に考えたくなる作品だった。
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