
今年、ソロデビュー55周年を迎えた、松崎しげるさん。
長年の友人であった西田敏行さんを亡くした松崎さんが、これまでの芸能生活や西田さんとの50年以上にわたる友情について、語ってくれました。
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松崎さんは、今年ソロデビュー55周年を迎え、この長い年月を振り返り、「数字だけのことになっちゃってて、昨日が今日に変わったぐらいしか感じてないんですよ」と、いつもの笑顔。
しかし、「ここのところ、やっぱり友達が亡くなったり、様々なことがあって、何年前を思い出さなくちゃいけないとか」と、時の流れを実感していることも明かしました。
松崎さんが芸能界に入ったきっかけは、高校時代。「高校野球ずっとやってて、2年の夏で大怪我をして、そっからバンド生活に入った」と、話します。
バンド活動から半年もしないうちに、宇崎竜童さんからプロへの誘いがかかった松崎さん。バンド解散後、ソロ歌手としてデビューしますが、「顔も名前も出ない影武者生活」だと言い、主に、コマーシャルソングを歌っていた松崎さんは「シャウトするコマーシャルって少なくて、ひと声で商品名を言うのが僕のパターンでした」と、当時を振り返りました。
ところが、松崎さんが歌が使われているCMを見た人々が、画面に映っている俳優が歌っていると勘違い。「近藤正臣さんのレコードください」「志垣太郎さんのレコードください」「三浦友和さんのレコードください」と、店頭で問い合わせする人が続出したといいます。「ちょっと悔しいけど、まあでもなんかしょうがねえよな。画面に彼らが出てて、そのイメージで俺が歌ってるんだからな」と、当時の心境を話しました。
そんな松崎さんを表舞台へ導いたのが、1977年の『愛のメモリー』です。この曲は当初、「フェスティバルソングが売れない、難しい曲だからダメだ」と、レコード会社に断られていました。しかし大阪の広告代理店で、この曲を聴いてもらったところ、採用され、それが大ブレイクにつながりました。
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「ガーンと売れた時ってどんなお気持ちでしたか?」と、いう取材ディレクターの質問に、松崎さんは「もう狂気乱舞でしたよ」と、回答。「西田と僕がもう毎日のように一緒にいましたんで、レコード大賞が決まった時には、西田が俺にもうハグしてもう両方かゆくなるほどキスしたのを覚えてますよ」と、西田さんとの喜びを分かち合った思い出を語りました。
松崎さんと西田さんの出会いを繋いだのは、先輩俳優である柴俊夫さん。初めて会った日から意気投合し、「学生時代の友だちがそのまんま同居生活しているみたいなもんで、毎日一緒だった」と、親密な関係だったことを明かしました。
西田さんの人柄について、松崎さんは「喜怒哀楽がそのまんまよく出た男」だったと話し、「2時間も経てばアウトレイジになって、5時間も飲めばボロボロボロボロボロボロもう涙止まんなくなるまで泣いて」と、情に厚い西田さんの姿を描写しました。
2024年に亡くなった西田さんについて、「亡くなる10日前にちょうど会った」と明かし、体調の変化がありながらも、「痛いとか苦しいとか、やめたいとか、もうだめだよって、この言葉ね、俺51年付き合ってたけど1回も聞いたことない」と、最後まで弱音を吐かなかった西田さんの強さを讃えました。
西田さんを失った今の心境について、「寂しいですね。もうめちゃめちゃ寂しいんですよ」と率直に語り、去年の紅白歌合戦で「もしもピアノが弾けたなら」を歌った際、西田さんの画像が映し出されると「歌おうと思ったら西田の画像がパッパッパ出てきた途端にもうだめ」と、歌えなくなってしまったことを告白。
最後に松崎さんは、「やっぱり歌い継いで行かなくちゃいけない」と、友人の遺志を継ぐ決意を語りました。二人で歌っている映像が残っていることを喜び、これからも西田さんの思いを胸に活動を続けていく姿勢を示しています。
【担当:芸能情報ステーション】
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