梅宮アンナ「がんの宣告を受けた時は、順番がきたなと」右胸全摘出後の水着姿も話題

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2025年10月01日 19:55  日刊スポーツ

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ピンクリボンフェスティバル2025オープニングナイトに登壇し、思いを語る梅宮アンナ(撮影・小島史椰)

タレント梅宮アンナ(53)が1日、都内で「ピンクリボンフェスティバル2025オープニングナイト」に登壇した。


昨年8月に乳がんを公表。同11月に右胸の全摘出手術を受け、今年3月に抗がん剤治療、4月に放射線治療を終えた。「おかげさまでずっと順調にきてまして、元気です」と現在の体調を明かした。


8月には自身のインスタグラムで沖縄での水着姿を披露し、「右胸なくても水着を着る」と力強いメッセージを発信した。右胸の再建はしておらず「今までの水着は着られないものがほとんど。こういう水着も作らないといけないかなと思ったり。足りないものを形にできないかなとは常に考えています」と話した。


体の異変に気付いたのは昨年5月だった。「シャワーから上がった後に鏡で見て、明らかに右と左の胸のサイズが違ってたんですね。位置も違うし、小さくなっていた」。娘の助言ですぐに検査予約を取り、ステージ3Aの乳がんであると発覚。「あれ? って思った時にすぐに病院に行くのが大事。1分1秒を無駄にできない病気なので」と振り返った。


亡き父・梅宮辰夫さんにも触れ「父も50年ほど前に肺がんで放射線と抗がん剤をやってまして。親戚もけっこうがんがいるんですね。(自身が)宣告を受けたときは、順番が回ってきたなと意外と冷静でしたね。泣いたりうちひしがれたりはなくて、普通に車を運転して帰りました」。情報を世間に残すため、病気を隠さずに公表することも「それが自分の役割」とすぐに決断した。


宣告よりも、抗がん剤治療で髪の毛がなくなることがショックだったという。「髪はこだわりがあったので、なくなるのが想像できなくて、それが一番戸惑ったところです。すぐにウィッグを調べました」。一方で「胸ってそんなに必要? って思って。放射線をやる場合は同時再建ができないんですね。でも、なくてもいいんじゃないって私は思ってます」。


がんになり、自分の役割を考えられるようになった。「病気になってよかったとは全く思いませんが、いろんなことを学ばせてくれる。体が不自由になったり、私の場合は胸が1つなくなりましたけど、そうでなければいろんなことを素通りしていたんではないかなと思います。順風満帆だと感謝もしない。当たり前は何もないと分かった」と話した。

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