
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『週刊プレイボーイ』について語った。
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★今週のひと言「創刊59周年で思うこと。俺の半生は週プレと共にあった」
週プレがもう創刊59周年か......還暦前のプレイボーイ、まさに人生100年時代を感じるよな。
俺が週プレに出会ったのは、まだ10歳にも満たない小学生のときだった。
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当時30代前半の親父が家に置いてたのを盗み読み(読むっていってもエロいページに目を通してただけだけど)してた頃だから、だいたい35年前ぐらいか。
っていうことは、当時の週プレは、20代半ばのバリバリの青年期だったわけか。
中学に上がると、もっとストレートなエロ本を読む(依然読んではいない)ようになって、週プレから一時的に離れたんだけど、大学生になっていつまでもマンガ雑誌を読んでるのはガキくさい(自意識過剰)ので、完全にカッコつけ目的のだてで週プレを毎週買うようになった。
当然記事などは読まず、グラビアだけを見ていて、そこで出会ったのがグラドルの佐藤和沙さん。
確か表紙とかでもなかったんだけど、彼女のたった一枚の写真に受けた衝撃から、俺のグラビアディグ人生がスタートした。
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俺がラッパーになったのは大学を卒業してからだから、そう思うとラップよりも先にグラビアディグを始めてるんだな。
ちなみにその頃にまだローティーンだった篠崎愛に出会い、あまりの若さにその後数年間、隠れ篠崎愛ファンとして世間の目を欺くきっかけになったのも週プレだったはずだ。
篠崎さんはいまだに押しも押されもせぬグラビア界のリビングレジェンドとして君臨し続けているのだから、すさまじいのなんの。
当時は今みたいにネットでグラドルが自ら発信してくれる時代でもなかったから、よほどの売れっ子以外は週刊誌のグラビアで出会うしかなかった。
ネットが弱かった一方、褒められたことではないが、立ち読みに関しては今よりもずっと寛容だったので、毎週めぼしい写真週刊誌のグラビアをコンビニなどで立ち読みし、サラッとチェックするのが習慣となっていた。
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途中数年抜けてるとはいえ、人生の大半を週プレと共に過ごしてきた俺が感じる週プレの変化としては、やはり圧倒的に健全になった気がする。
それは単純に俺の免疫による感じ方かもしれないが、実際親父の週プレを盗み読みしていた10代の頃はもっとヌードグラビアが多かった。もっとエロかったよおまえ!
これは想像でしかないが、たぶん一時ブームになった袋とじでヌードは一度隠され、その後袋とじブームが過ぎ去ると同時にヌードもフェードアウトしていったような気がする。
これまた個人的な考察だが、今は猫もしゃくしもすぐパイパンにしてしまって具が写っちゃうから、きれいなフルヌード写真が撮りづらくなってるのもあるのではないか。
昔はヘアヌードがはやっていて、写っちゃいけない箇所は毛深く処理して隠すって荒業が見られた。童貞だった俺はその毛深さを真に受けてしまっていたよ。
俺が20代、立ち読みで週プレに付き合っていた頃は、グループアイドルのグラビアが隆盛を極めていて、本職のグラドルたちはかなり隅に追いやられていたものだ。
そんなこんながあり、ここ数年またグラドルたちが生き生きとし出したタイミングで、なんと俺は当コラムを連載することで憧れの週プレの一部となった。
これを運命と言わず、なんと言うのか。
撮影/田中智久