新野新さん、鶴瓶と深夜ラジオに革命 下町気質、いっちょかみ「ぬかる民」わかせる

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2025年10月02日 20:21  日刊スポーツ

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笑福亭鶴瓶(左)と新野新(10年8月)

放送作家の新野新(しんの・しん、本名同じ)さんが9月25日午後8時2分、老衰のため、大阪市内の病院で亡くなった。2日、門弟が明らかにした。90歳だった。葬儀告別式は近親者のみで行われた。


◇  ◇  


新野新さんといえば「ぬかるみの世界」。笑福亭鶴瓶と組んだ、ラジオ大阪が生んだこの番組は、関西のみならず、全国のファンには忘れられない。番組タイトルどおり、1度耳にしたら抜け出せない、そんな魅力が詰まっていた。


番組スタートは1978年(昭53)4月。鶴瓶27歳、新野さん43歳だった。当時まだ鶴瓶はアフロヘアだったと記憶している。すでに新野さんは舞台演出、放送作家として実績があったため、鶴瓶は「先生(せんせ)」と呼んでいた。


しかし「先生」のイメージから来る重厚感から、新野さんはほど遠かった。おしゃべりは軽快で、時に常識はずれですっとんきょうなことを言いだし、鶴瓶を慌てさせた。番組から流行した「おばん」というキャラクターは、まさに新野さんそのものでもあった。下町気質で、おしゃべり好きで、いっちょかみ…。


「ぬかるみ人気」が爆発した80年には、新世界ツアー事件が起こる。番組リスナーから「新世界に1度、来て」と誘われ、鶴瓶と新野さんが実際に行ってみたら、5000人もの番組ファンが付近に集まり、大騒動になった。それだけリスナーとの距離が近い番組でもあった。


放送が終了する89年には「ぬかるみツアー」でリスナーと鶴瓶、新野さんで三重県鳥羽へ遊びにいった。幸運にも、このツアーに記者は同行取材することができた。抽選で選ばれたツアー参加者とともに鶴瓶、新野さんは電車に乗っていた。参加者の多くが若い女性だったことに驚いたものだ。間近に2人を感じられた「ぬかる民」(熱心な番組ファン)にとっても、至福の時間だった。


どこか人間離れしていて、生活感を感じさせなかった新野さん。永遠に生きているのでは、とさえ思われた。90歳の大往生だが、今も「まだ生きてるでえ」とひょっこり顔を見せてくれるような気がする。【日刊スポーツ 元放送担当 三宅敏】

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