薬害“スモン”事件 薬事法改正にまで発展した損害賠償請求訴訟(1969年〜)【TBSアーカイブ秘録】

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2025年10月08日 20:05  TBS NEWS DIG

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薬害スモンとは、キノホルム剤(整腸剤)服用による薬害事件です。当初、原因不明の奇病やウイルス性の伝染病ではないかと言われ、スモン患者は身体の疾患だけでなく差別や偏見にも苦しみました。(アーカイブマネジメント部 森 菜採)

【写真を見る】透明無色のキノホルムで実験 水溶液を加えると患者の尿や舌は緑色に

スモンの症状

スモン(SMON)は「亜急性脊髄・視神経・末梢神経障害(Subacute myelo-optico-neuropathy)」の頭文字からつけられた疾患です。
患者は1955年(昭和30年)頃から報告され、1969年(昭和44年)頃ピークに達します。
腹痛や下痢の腹部症状に続き、足先から始まるしびれや下肢のつっぱり・脱力、排尿困難などが見られる神経疾患で、約半数の患者に運動機能障害がみられました。視力障害も20〜30%の患者でみられ、重症化すると失明や脳幹障害により死亡に至るケースもありました。

原因判明

当初は新しい感染症かと疑われましたが、実際は整腸剤として摂取したキノホルムが腸管から吸収され、神経組織を侵すことでスモンを発症していたことがわかりました。
スモン患者の舌、便、尿が緑色になることがあり、尿中の緑の結晶の分析によりキノホルムが原因と判明しました。当時、整腸剤として広く使われていたキノホルムをどの患者も服用しており、服用量と発症の相関も確認されました。

これを受け、厚生省は1970年(昭和45年)9月にキノホルム使用の禁止を通達。販売中止と使用見合わせの措置によりスモンの発生は激減し、最終的になくなりました。

訴訟の開始

キノホルムが原因と判明し、長年原因不明の奇病や伝染病とされてきた患者たちの間には怒りが広がりました。
キノホルムを製造販売していた製薬会社3社(日本チバガイギー・武田薬品工業・田辺製薬)と、その使用を許可・承認した国の責任が問われ、1971年(昭和46年)以降、損害賠償請求訴訟が起こされました。

1972年(昭和47年)のTBSアーカイブには、東京地裁原告団結成式の映像が残されていました。
スモン訴訟は全国で相次ぎ、その後も和解確認書調印までに製薬会社と国に対して、全国27の地裁で約4800人が提訴という広がりをみせていきます。

裁判所の判決は

当初製薬会社3社は感染症としての「ウイルス説」を主張し、薬害の事実を否定しようとしました。

しかし裁判所は、キノホルムが原因であると断定し、国と製薬会社の責任を認める判決が次々と出されました。

薬事法成立

1979年(昭和54年)スモンなどの薬害患者救済をもり込んだ薬事2法が国会で成立しました。医薬品の安全対策強化のため、再審査・再評価制度や副作用報告制度の整備、そして緊急時の廃棄・回収命令などに関する法整備が行われました。

和解調印式

同年、スモン訴訟を和解によって一括全面決着させることを目指して続けられていた多くの被害者と国・製薬会社との直接交渉が合意に達し、確認書の調印が行われました。

調印式では当時の橋本龍太郎厚生大臣より「救済に全力を尽す」「長い間みなさん申し訳ありませんでした」との声明文が読まれました。次々と出された患者側勝利の判決が、国と製薬会社を追い込み、全面的に責任を認めさせました。
最初の提訴から8年。スモン患者たちがやっとつかんだ救済の手がかりでした。

最終的にスモン薬害の被害者は1万人以上にものぼりました。
キノホルムの服用を中止するとスモンの症状は徐々に回復しますが、スモン薬害から50年以上が経過した現在、スモン患者は後遺症の完全な消失には至らず、そして加齢による変化も加わり、感覚障害や運動障害が増加しているといいます。転倒につながる下肢の運動症状や異常感覚はスモン特有のものです。患者は今もスモンと闘っているのです。

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