渋川清彦(51)が11日、東京・ユーロスペースで行われた主演映画「そういうものに、わたしはなりたい。」公開記念舞台あいさつに登壇。22年「生きている。」、23年「ここにいる。」、24年「すぐにゆく。」の“修行3部作”を製作・再編集した、盟友の豊田利晃監督(56)から、撮影中「死にそう」と漏らしていたと明かされた。
17日公開の豊田監督7年ぶりの長編フィクション作品「次元を超える」にも出演している渋川は、同作の撮影の前半を終えた段階で、体調不良を訴えたという。豊田監督は「『生きている。』の撮影の後に行った『次元を超える』の前半の撮影を終えた段階で、渋川清彦が『体調が悪い。ひょっとしたら死にそう』と言いだし。元気なうちに1本、クソ忙しいけど撮りましょうと」と、3年前に豊田監督が移住した栃木県西方町(現栃木市)で「ここにいる。」を急きょ、撮ったと説明した。
その後「次元を超える」の製作費が底をつき、後半が撮れなくなってしまったという。「落ち込んで飯が食えなくなっちゃった」豊田監督は、体重が65キロから54キロまで落ち「これは、まずいな」と愛好し、いつも携行するホラ貝を持って旅に出たという。そして、山犬(ニホンオオカミ)のこま犬で知られる、岐阜県高山市飛騨一之宮にある飛騨一宮水無神社たどり着き、禰宜(ねぎ)に「今日は冬至。日はまた昇る。あなたも必ず良くなる」と言われたという。すると、映画の資金が集まり「次元を超える」は再撮影できたという。 そうした流れから、豊田監督は「普通のお礼じゃ面白くないから、映画の撮影でお礼に行こう」と思い「すぐにゆく。」をを撮ったという。
“修行3部作”は、狼蘇り信仰を軸にした短編章「狼蘇山シリーズ」として製作。渋川は劇中で修験者の(関屋)鉄平を演じた。「すぐにゆく。」では両手、ひざ、額の・両膝・額の五体を地面に投げ伏して拝む、仏教で最も丁寧な礼拝方法「五体投地」する鉄平を、全編にわたって熱演。「空中浮遊しました」と口にするように空中浮遊のシーンまで飛び出した。豊田監督が「水無神社に五体投地しながら向かう映画を作った。だから、ずっと寝転んで…好きそうなんで」と笑うと、渋川は「やれって、言ったじゃないですか? 五体投地は豊田さんに教えてもらった」と返した。
水無神社では、奉納上映も行ったというが、豊田監督は「渋川さんは、温泉にも入れず、食い物も食えず…ポリープを取ったということです」と、再び暴露。渋川が「ポリープは、前です。その時は痔瘻(じろう)ですよ」と笑いながら返すと、同監督は「治ってないでしょ」とツッコんだ。渋川は「分かんないですけど…多分、大丈夫です」と言い切った。
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豊田監督の1998年(平10)の監督デビュー作「ポルノスター」で渋川は俳優デビューし、以後、豊田組の常連となった。盟友関係の2人のトークは、制限時間さえなければ、どこまでも続きそうなほど、沸いた。
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