JR塩釜駅(宮城県塩釜市)から徒歩5分ほどの場所にある回転寿司「塩釜港」本店。
【写真】東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である「楽天モバイルパーク宮城」
訪れたのは平日の昼12時半を過ぎた頃で、店の入り口には20人近くの行列ができていた。この日は暑く、強烈な日差しが降り注いでいたが、客は辛抱強く並んでいる。ただし、どちらかというと、表情はにこやかだ。あと少しで寿司を口にできることへの高揚感なのかもしれない。
店のそばをうろうろしていると、「こんにちは」と声をかけられた。振り向くと、スーツ姿の長身の男性。2012年に東北楽天ゴールデンイーグルスのドラフト1位投手として華々しくプロ入りした森雄大さんである。森さんはプロ2年目に初勝利を挙げたものの、その後はけがなどに苦しみ、2022年に28歳で現役を引退。“第二の人生”として彼が選んだのは、塩釜港での挑戦だった。
それから3年。朝3時起きで市場に通い、店舗運営を学び、銀座店の立ち上げに奔走した森さんは、今や会社の中核を担う存在となっている。2025年4月にグループ企業になった水産加工会社ヤママサの広報部長も兼任する。
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野球選手から寿司屋へ――異色のキャリアチェンジを果たした森さんが語る、挫折と成長、そして仕事への向き合い方とは。
●ドラフト1位でプロ野球の世界へ
森さんは幼少期から野球一筋だった。中学時代には地元・福岡県選抜に入り、監督から「プロに行ける逸材」と評価された。
「当時の監督は、他の子たちにはプロという言葉をあまり使わない方でしたが、僕には本気で声をかけてくれました。『雄大は上のレベルで野球ができるものを持っているから、いろんなことがあっても投げやりにならずに頑張れ』と。15歳の自分には半信半疑でしたが、うれしかった記憶があります」
母子家庭で育った森さんは、何かある時には母親に相談するようにしたが、「基本的に僕がやりたいといったことを尊重してくれて、特に反対もされませんでした。あなたがやりたいんだったら頑張りなさい」と、いつも背中を押してくれたそうだ。
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高いレベルで野球を続けるべく、強豪の東福岡高校へと進学した。1年生からベンチ入りし、2年生の夏から秋にかけては球速も向上。左腕から繰り出されるボールは最速148キロを計測した。プロへの道が現実味を帯びてきた。
高校3年間で甲子園出場はかなわなかったものの、2012年のドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスと広島東洋カープから1巡目指名を受ける。抽選の結果、楽天が交渉権を獲得し、ドラフト1位での入団となった。星野仙一監督からの期待も大きかった。
●2年目にプロ初勝利を挙げるも……
プロ入り後、高卒ルーキーでありながら、森さんは決して臆することはなかった。
「同世代のレベルが高かったこともあって、『自分も通用するんじゃないか』と思っていました。全然違う世界に来たという感じはなかったです」
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同学年には大谷翔平選手(現ロサンゼルス・ドジャース)や藤波晋太郎選手(現横浜DeNAベイスターズ)などがいて、彼らも早々に1軍でプレーしていたため、負けてはいられないと奮起した。
1年目は2軍(イースタン・リーグ)が中心だったが、2014年の2年目に1軍での開幕ローテーション入りを果たす。さっそく4月に西武ライオンズ戦で初勝利し、このシーズンは1軍で2勝を挙げた。翌年はイースタン・リーグで優秀選手賞を獲得。再び1軍での活躍を目指した矢先、経験したことのない試練が訪れる。2016年に胸郭出口圧迫症を発症し、2019年には血行障害と診断されたのだ。
「4年目は周囲の期待も大きく、自分でも『今年はローテーションに入る』と意気込んでいました。でも、冬から指先の感覚が鈍り始め、冷たくなりました。痛いわけではないので無理してオープン戦も投げましたが、気持ちと感覚のギャップに苦しみ、精神的に追い詰められました」
2020年には肘の手術(トミー・ジョン手術)に踏み切ったが、再び1軍のマウンドに立つことはなく、2022年秋、28歳で戦力外通告を受けた。クビを告げられた瞬間、森さんの心は既に決まっていたという。
「日本最高峰のプロでやって、最後は他の選手に敵わないというのも分かりました。けがもありましたし、踏ん切りがついたんです。もう野球は辞めようと」
●「明日から来い」
引退後、楽天野球団からは営業職やジュニアチームコーチの打診があり、一般企業からもいくつかのオファーがあった。その中で森さんが選んだのは、意外な道だった。
きっかけは、塩釜港の立花陽三社長にかけた1本の電話。2012年のドラフトで森さんの抽選くじを自ら引き当てたのは、楽天野球団代表に就任して間もない立花社長だった。森さんにとってはプロ入りの恩人の一人である。その立花社長は2022年4月から塩釜港で経営のかじ取りをしていた。
「お世話になった方々に引退を報告していたのですが、立花社長に『お前、どうするの?』と聞かれて、いくつか話をいただいていると答えたら、『会おう』と。翌日、仙台店に来いと言われました」
2022年11月、仙台にオープンして間もない塩釜港の店内で、森さんは立花社長と向き合った。
「社長は『楽天の営業もお前にとっていい勉強になる。でも、俺の人脈もすごく刺激的だと思う』と言って、うち(塩釜港)もオファーすると。金額の話は後で、まずはゆっくり考えろと。30分ほどの面談でしたが、僕の中では『面白そうだな』とワクワクしました」
直感を信じるタイプの森さんは、一晩考え、翌朝も同じ気持ちだったため意思を固めた。
「母親には『ずっと野球をやってきたし、知っている人もいる楽天の方が安心じゃない?』と言われましたが、僕は逆に安心ではないと思っていました。現役時代には球団職員を1年でクビになる人も見ていたので。それに、野球は辞めると決めた以上、新しいことに挑戦したかったんです」
立花社長に連絡すると、「他のところには断りを入れたのか?」と尋ねられた。「はい」と答えると、「よし、明日から来い」と即座に指示された。条件面の話は後回し。スピード感に驚いたが、それが立花社長のスタイルだった。
2022年11月、森さんは塩釜港での仕事をスタートさせた。初日からレジ打ち、接客、皿の片付けなど、飲食店の基本業務を叩き込まれた。アルバイト経験もない森さんにとって、すべてが初めてだった。
「社長との約束が一つありました。『プロ野球選手だったことを鼻にかけるな』と。まずは先入観を持たずに体を動かして、言われたことを素直にやることだけを徹底しました。新鮮でしたし、野球を辞めると決めた以上はやるしかありませんでした」
仙台店では、店舗業務に加え、Uber Eats(ウーバーイーツ)の契約や、店舗のれんのデザイン発注など、予想外の業務も次々に振られるようになった。
戦力外通告から1カ月足らずで新しい世界へ飛び込んだ森さんが、この後どんな成長を遂げるのか――。その続きは【後編】でお伝えする。
著者プロフィール
伏見学(ふしみ まなぶ)
フリーランス記者。1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。
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