小堺一機、コットンクラブでライブ開催「勝アカデミーは勝新太郎、森繁久弥、津川雅彦とか…」

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2025年10月22日 05:00  日刊スポーツ

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インタビューに臨む小堺一機

タレント小堺一機(69)が、30、31日に東京・丸の内のコットンクラブで「Kazuki Kosakai Sing,Sing,Sing&Talk!!」を開催する。スタンダードナンバーから昭和歌謡、オリジナルソングまで歌って、まねして、タップを踏んで笑わせる70分間を2日間で4公演。1977年(昭52)にTBS「銀座NOW!」の素人コメディアン道場の第17代チャンピオンに輝いた。公演への思い、そして芸能界での軌跡について聞いた。【小谷野俊哉】


   ◇  ◇  ◇   


上品なコットンクラブで、先に食事をしてからショーを見る。去年に続く公演だ。


「照明も落としているし、丸の内っていうのもあるからか、お客さんも緊張してるみたいなところがありますね。昔、関根(勤)さんと一緒にやってたりしたころは、最初はもう3時間、4時間やってたんで、勝手に(笑い)。だから70分で、きちんと収まるというのは結構難しいですけど、構成作家の舘川(範雄)君が、ちゃんと考えてくれてて。1曲ごとの感じと、ここはちょっとしゃべる、ここはちょっと間を作ってもらってと。前半はわりと短めのトークが多いんですけどね。あと、トークにも含まれるんですけど、面白い音楽みたいになるんで、ここはちょっとネタっぽくしゃべって静かに終わるみたいな感じでね」


日本でも貴重な洗練された芸を見せる。ニューヨークの香りが漂って来る。


「多分ね、昔はあったんですよね。『シャボン玉ホリデー』とか。僕が子供の時はダニー・ケイとかあったんですよ。で、父親が見てたから、この人は何って聞いたら、アメリカのコメディアンなんだって。その頃は僕も、コメディアンというのは芸人かと思ってるから。でも、アメリカだからトークがあったりで、ゲストの人が歌手なら一緒に歌うし、タップがあったりして、そういうのがすごいなと思ってたんです」


ウイットに富んだおしゃれな芸風。日本だと、その系譜の先人は堺正章(79)がいる。


「やっぱりマチャアキさん(堺)が、そういう方の突破になったと思うんですけど、そういうのが好きでした。あと、クレージー・キャッツさんというのは、わりと洗練されていましたよね。元々はジャズじゃないですか。そういうのが好きだったんです」


小学5年の時にNHK児童合唱団に入団した。


「受けたら合格しちゃったんで、それで音楽を勉強しました。楽譜は読めませんけど、音楽っていうものへの入り方は教われたかなと。ボイストレーニングになると、もう厳しいんでね。要するにトークの周りの面白いものがタップだったりとか、歌だったりとか。笑いは絶対欲しいなというのはあるんですね」


専大3年在学中の1977年(昭52)にTBS「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」で第17代チャンピオンとなった。卒業後に俳優勝新太郎が主宰する勝アカデミーの1期生として入学した。


「純粋に勉強をしたいからというのもあったんですけど、それはまぁ、ある種の言い訳で。要するに大学も3年だったんで、就職とかあるじゃないですか。でも、小学校の時に児童合唱団でテレビに出たりした時に、芸能界は厳しいっていうのを現場で見ていたんでね。そうは思ってたんですけど、やっぱり『ぎんざNOW!』に出ちゃったら、やっぱり好きだったものに、また火がついちゃって。それでやってみたら、やっぱり何もないわけですよ」


心構えができないまま、踏み出した芸能界への道。


「泥縄で、実家を出るほどの体力もないから、そのまま住んでいたしね。それでバイトみたいな感じで、たまに来るイベントの司会なんかをやっていたんです。でも、それだけじゃ親も納得しないだろうしと思っていたんです。それと同時に、出てみたらやっぱり僕は何もないんだっていうのが分かったと。それで江戸川橋の本屋さんで、雑誌の『明星』を読んだら、勝アカデミーをやるにあたって、後継者を育てたいので学校を作るって出てたんですよ。勝さんだと面白そうだしね。文学座、俳優座っていう柄じゃないから、こういうところに入って勉強できたら、それはそれでいいなと思ったんですね」


1997年(平9)に67歳で亡くなった天才、勝新太郎。役者としても、人間としても豪快だった。


「そこでは勝さんも講師に入って、まぁ雑談する。それでいろいろ習ったり、演技のメソッドの勉強です。勝アカデミーは、先生もすごかったですから。もちろん勝さんも先生としていらっしゃいますし、早々たる面々が、森繁久弥、津川雅彦さんとか。担任が岸田森さんですから。すごい濃いんですよね。僕にとっては、大学5年目に行ったみたいな感じですね」(続く)


◆小堺一機(こさかい・かずき)1956年(昭31)1月3日、千葉県生まれ。77年5月TBS「ぎんざNOW!」の素人コメディアン道場第17代チャンピオン。専大卒業後、79年4月に勝新太郎主宰の「勝アカデミー」に1期生として入学、日本テレビ系「紅白歌のベストテン」の前説を務める。80年3月浅井企画所属。80年4月〜81年3月「紅白歌のベストテン」。81〜86年日本テレビ系「ザ・トップテン」。81年映画「の・ようなもの」。82〜86年テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!」。84年10月〜90年(平2)12月フジテレビ系「ライオンのいただきます/−−2」。91年1月〜16年3月フジテレビ系「ライオンのごきげんよう」。81〜09、20年TBSラジオ「コサキン」シリーズ。86年TBS系「痛快!OL通り」。89〜90年日本テレビ系「さんま・一機のイッチョカミでやんす」。93年日本テレビ系「ゴールデンボーイズ」。13年NHK大河「八重の桜」。06年からJFN系「小堺一機のおうちで〜CINEMA〜」パーソナリティー。165センチ。血液型A。

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