
【写真】ファンもにっこり 戻ってきた武田玲奈、市原隼人との“お似合い”2ショット ソロ写真も
■最重要人物(1)甘利田幸男という人
『おいしい給食』の主人公は、給食を愛する教師だ。給食を食べるために学校に通っていると言っても過言ではないほど、毎日の給食を楽しみにし、行動にもだだ洩れているが、本人だけはそのことを悟られていないと思い込んでいる。
そんなちょっと風変わりな人物設定が一気に身近なものになるのが、なぜ給食が好きなのかを明かす彼のモノローグにある。
「私は給食が好きだ。給食のため学校に通っていると言っても過言ではない。なぜなら、母の作る料理がまずいからだ」。
最近のシリーズではあまり言われなくなってきたが、私の中では今でもこの一文が鮮明に残っている。ここで示された「母の料理がまずい」という事実よって、がぜん甘利田幸男という人の立体像が浮かび上がる。その後に続くモノローグによれば、「家族は母を傷つけないように“おいしい”と言って食べ、たまの出前のとき、父は泣いて喜ぶ」という。料理がまずいことを面と向かって指摘することはせず、まずくても母が作ってくれたご飯を家族みんなで食べ続けてきた姿が浮かんでくる。だからこそ甘利田にとって幼少期から最も充実した食事が給食だったということに、急にリアリティが増してくる。
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市原は甘利田という奇天烈な人物を、絶妙な塩梅でシリアスとコメディを使い分けて表現する。ポイントは「不格好だけど一生懸命」ではなく「一生懸命な結果が不格好」であることだ。好きなものの前で夢中になり、我を失う甘利田の姿に笑わされ、元気をもらう。給食に一喜一憂する姿からは、勇気さえもらっている。一生懸命の結果、例えかっこ悪くても、人々はその姿に心を動かされる。そんなことを教えてくれるのが、甘利田幸男という人である。
■最重要人物(2)どちらが給食をよりおいしく食べられるか――甘利田のライバルたち
甘利田は「教師たるものこうあるべきだ」とか「大人はそんなことしない」など、型にはまった理屈をよく口にする。そんな甘利田の前に現れるのが、給食を極めんとするライバル生徒である。season1、season2では神野ゴウ(佐藤大志)が、season3では粒来ケン(田澤大粋)が、甘利田には予想もつかない食のアレンジを次々と見せつけ、躍動した。
彼らのアイデアに驚嘆するたび、自分の型にはまった思い込みを反省する甘利田。もっとも、給食の範囲内で正当に食すことを極めんとする甘利田と、例え外的要素を使用してでも、いかにおいしく食べられるかを自由に試す彼らとでは、給食道において別々の道を歩んでいると言っても過言ではない。それでも、無邪気な瞳でアレンジメニューをドヤ顔でアピールされると、甘利田の心はかき乱されずにはいられない。「うまそげじゃないかあ!」「うますぎるに決まってるだろコノヤロー!」と叫び、暴れ、自由な発想で給食道を謳歌する相手を前に「今日も負けた…」と倒れ込む。
配膳室からタルタルソースをこっそり持ち出し揚げ物にかけたり、教室のストーブで勝手にパンを焼いたりする彼らに、甘利田は教師として厳しい言葉を投げかける。それでも「給食は、もっと自由でいいと思います」(神野ゴウ)という真っすぐな言葉には、心を揺さぶられる。給食を前に教師と生徒という立場はなくなり、給食道を極める対等な同志としての絆を感じ始める。「大人だから」という型にとらわれていたことに気づき、相手の努力を素直に認められる甘利田は、実はかなり柔軟な心の持ち主である。
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ゴウを追って駆けつけた甘利田は、手荒な真似をした教師に断固とした態度で、ゴウは間違ったことは言っていないと指摘。それに「だからって…」と反論する教師に、甘利田はいよいよ怒りを爆発させ「子どもの真剣な姿に触れた時、大人はたとえ相手が子どもであっても、負けを認めなければならない」と訴える。大人の間違いを正しに来たゴウに対して、体裁でごまかそうとした教師の態度を見過ごさなかった甘利田。真剣に給食の勝負に向き合うからこそ、潔く認められる「負け」。甘利田が生徒と心で向き合っている証がそこにある。
■最重要人物(3)もうひとりの“ヒロイン”給食のおばさんと、愛すべき駄菓子屋のおばちゃん
このシリーズにおける一服の清涼剤であり、甘利田の愛する給食を支える重要人物が給食のおばさんだ。シーズンごとにヒロインが交代しても、給食のおばさんこと牧野文枝は一貫していとうまい子が演じてきた。甘利田の給食愛を肌で見抜きながらも、ほどよい距離感で見守り、時におちゃめで、甘利田にとって聖域ともいえる配膳室にいつもいてくれる、安心と癒しの存在。
甘利田を除いて、『おいしい給食』唯一のシリーズ皆勤賞を誇る給食のおばさんは、まるでバランスよく考えられた給食のメニューのように、『おいしい給食』の世界を整える役割を担っている。
そしてseason2以降、給食のおばさんに似た立ち位置とも言える、駄菓子屋のおばちゃんが登場。甘利田にとって、日々を彩る新たな楽しみが放課後の駄菓子屋での買い食いだ。season2では木野花が、season3では高畑淳子が、持ち前の円熟味溢れる独特の芝居で演じており、毎話数分間とは思えない存在感を見せてきた。甘利田の“好き”を支える脇役的キャラクターたちも生き生きと描かれていることが、このドラマの強度をさらに強めている。
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『おいしい給食』には大きな謎がある。給食の時間における甘利田の異常行動は、周りにどう見られているのか――という問題だ。あまりに誰も反応しないため、もしかするとライバル生徒とヒロインの先生、そして視聴者にしか見えていないのではないかと思ってしまう。その謎が明らかになる回が、season2に存在する。
第7話、迫る合唱コンクールの練習にいまいち熱が入らない生徒たちに、音楽教師が「給食前に校歌を歌う甘利田先生を見てください」と伝える。給食の前に必ず流れる校歌斉唱のシーンでは、甘利田は給食への期待を胸にノリノリで歌い、その動きは回を重ねるごとに激しさを増していく。それを見ていた生徒たちは、甘利田のように腕をブンブンさせて合唱をし始める。彼らにも甘利田の行動が見えているということが、ここで明らかになった。
さらにseason3には、甘利田に淡い恋心を抱く生徒マルヨネ(藤戸野絵)が、校歌斉唱でささやかに甘利田の動きを真似する姿が映し出され、視聴者の反響を呼んだ。また、甘利田の不可解な行動をいぶかしむ家庭科の教師が、調理実習を通してその異常さを周りに知らしめようと画策する。だが、生徒たちは甘利田の給食時の行動を意に介さない。
そう、生徒たちは甘利田の行動に気づいていても、それを止めたり本人に確かめることはしない。それは甘利田が給食に没入している時間、自分たちも自分たちで楽しむのだという姿勢であり、さらには「先生の好きなようにさせてあげよう」という、生徒たちの甘利田へのやさしさも垣間見えるのだ。
それは他の教員たちも同様で、影で見守る人物として校長先生の存在も重要だ。酒向芳、酒井敏也、小堺一機と個性派に演じられてきた各シーズンの校長先生は、よき理解者として甘利田の給食愛を影から見守ってきた。
『劇場版 おいしい給食 Final Battle』で給食がなくなることが決まった際、校長先生(酒向)が真っ先に知らせたのが甘利田であった。「なぜ私にだけ」と問う甘利田に、校長が柔和な表情を浮かべ答える。「そりゃそうでしょ。うちで一番給食を愛してるのは甘利田先生じゃないですか」。校長は甘利田の給食偏愛がどれだけ行動にはみ出ようとも、注意せずにただ見守ってきたのだ。ヒロインの先生や給食のおばさん、生徒たちも、甘利田の行動に困惑することはあっても、彼にとっての生きる源である給食の時間だけは邪魔することなく、そっと見守ってきた。
子どもが大人に見守られるように、大人もまた誰かに見守られている――。『おいしい給食』は、そのことを静かに教えてくれるドラマでもある。
■最重要人物(5)ヒロインたち――御園ひとみ先生がファンにとって特別な理由
season1で甘利田のクラスの副担任を務めた新人教師の御園ひとみ(武田玲奈)、season2で教育委員会から甘利田の監視を頼まれた学年主任の宗方早苗(土村芳)、season3の副担任を務めた帰国子女の比留川愛(大原優乃)をヒロインとし、まるで寅さんのように、時にほろ苦い恋模様も演じてきた甘利田。
中でも、かなりいい感じに距離を縮めていったseason1の御園ひとみ先生が、最新劇場版『おいしい給食 炎の修学旅行』で6年ぶりに登場する。
season2以降がドラマとしての進化がテーマだったとすれば、season1は『おいしい給食』の面白さの真髄を純粋に示した作品だった。そんな中、season1の武田玲奈演じる御園先生が視聴者にとって特別な存在であり続けるのは、初代ヒロインという理由だけでなく、甘利田幸男という存在との“未知との遭遇”を視聴者と共に体験していった、いわば視聴者にとっての“同志”だったからだと思う。
だからこそ、“教師に向いていない”と自信を無くしていた彼女が、甘利田という未知に触れ、自身と向き合い、成長していく姿に心から共感できた。武田玲奈の等身大の魅力がそのまま御園先生の可憐さと調和していたからこそ、忘れがたいヒロインとなったのではないだろうか。
御園先生最後の出演となった『劇場版 おいしい給食 Final Battle』で、彼女は甘利田に対してこう言っている。「先生のこと、ずっと応援してていいですか。そしたら私、少しだけ勇気が持てます」。この言葉の意味を、私は今でもときどき考える。
シリーズを重ねるほどに、私たち視聴者もまた甘利田の姿に何度も励まされてきた。不格好でも一生懸命な人の姿に背中を押され、自分も今日をまっとうしようと思える――。一生懸命な人の前では、自分も一生懸命でなければならない。それこそが、『おいしい給食』の真髄なのだと、改めて実感する。
(文:『おいしい給食』を愛する編集部員)
映画『おいしい給食 炎の修学旅行』は公開中。
