【今週はこれを読め! ミステリー編】自縄自縛の謎解き小説〜B・スティーヴンソン『真犯人はこの列車のなかにいる』

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2025年10月29日 15:40  BOOK STAND

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『真犯人はこの列車のなかにいる (ハーパーBOOKS)』ベンジャミン スティーヴンソン
 自分を縛る縄は大リーグボール養成ギプスになることもある。
 古い喩えで申し訳ない。本年を代表する謎解き小説としてベンジャミン・スティーヴンソン『真犯人はこの列車のなかにいる』(ハーパーBOOKS)をご紹介したい。
 スティーヴンソンはオーストラリアの作家で、デビュー前からスタンダップコメディアンとして活躍していた人でもある。長篇第三作にあたる『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(ハーパーBOOKS)が初の邦訳書となった。同作の視点人物である〈ぼく〉ことアーネスト・カニンガムは物語の冒頭で、自分は「信頼できる語り手」になると宣言した。小説の叙述における基本原則に、会話ではない地の文では嘘を書かないというものがある。絶対ではなく、叙述の信頼性に対するゆらぎが存在する作品はいくらでもある。ことに一人称叙述の場合は、語り手が隠している思惑や認識の誤りなどによって、いくらでも事実に反する記述が成立しうる。それをやらない、と宣言したのだ。ゆえに読者は、文章として書かれたことはすべて事実であるという前提に立脚して推理を進められる。〈ぼく〉が言い出した驚くべきことはそれだけではない。なんと彼は自分の家族は全員人を殺したことがあると言い出し、物語の終わりまでに事実は詳らかにされるだろうと保証したのである。
 その言葉が本当だったか嘘で終わったかは『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』を実際に読んで確かめてもらいたい。おもしろいけどずいぶん大変なことをするな、と思っていたら、なんと続篇が出た。語り手は前作と同じ〈ぼく〉で、アーネスト・カニンガムはなんと、自分の身に起きた出来事を元に『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』という作品を書いてデビューを果たし、現在は小説家としての第二作を準備中であるという。オーストラリア推理作家協会が50周年を記念したブックフェスティバルを主催し、アーネストも恋人のジュリエット・ヘンダースンと共に大陸を縦断する豪華寝台列車、ザ・ガンに乗り込むことになった。この列車が物語の主舞台となるのである。アーネストは、あわよくばジュリエットにプロポーズもしたいという思惑を抱いている。
 フェスティバルにはアーネストを含めて六人の作家が参加する。中でも最も知名度が高いのは、モーバンド刑事シリーズというベストセラーのあるヘンリー・マクタヴィッシュという大家だ。駆け出し作家であるアーネストはヘンリーを出世の足掛かりにしたい気持ちを持っている。できれば次作への推薦文を頼めないだろうか。だが、そのヘンリーがとんでもなく嫌な男だということが早々に判明する。閉ざされた空間内に一人誰からも憎まれる理由のある人物を配置する。アガサ・クリスティー型探偵小説の定石通りである。そして案の定、事件が起きる。
 以降の展開については読者の興趣を削ぐといけないので、書かない。というか、アーネストが自ら書いていることを要約したほうが早い。
 本作は現在進行形で語られていく。書いたものがあるということは、語り手の見聞そのままではなく、後から回想するなどして文章にまとめたものである。だから実況中継そのものではないが、極めて近い。アーネストは言う。「作中に一人称で登場する作家は、必ず生き延びるのだ」と。ゆえに「二十八章でぼくが危うく死にかけるシーンの危機感を損なってしまうことを、先に謝罪しておく」。なるほど、生か死かのスリルを味わわせることと叙述のフェアプレイさを天秤にかけて後者を取ったということだ。しかしまだ信用はならない。私は「語り手が麻薬でラリってしまったせいで、途中の章ではその友人が代役を務める」一人称探偵小説を読んだことがある。この程度の保証だとまだまだ裏をかかれるかもしれない。
 しかしアーネストはどんどん自分に掛かった縄を増やしていく。

----今回の事件と前回の事件に関しては、ひとつだけ似ている点がある。句読点が解決の糸口になるという奇妙な偶然である。去年の事件ではピリオドだった。今回はカンマが大きな手がかりとなる。



----ついでに言うと、少なくともアナグラム(言葉遊び)、暗号、謎かけ、のどれかひとつは登場する。それがまったく登場しない推理小説などありえないからね。

 さらにさらに。

----そろそろ信頼できる語り手として誠意を見せるとしよう。本書で描かれる犯罪は、殺人、殺人未遂、レイプ、盗み、不法侵入、証拠の隠滅、陰謀、脅迫、公共の乗り物内での喫煙、頭突き(法律用語では"暴行"だと思う)、侵入窃盗(そう、これはたんなる盗みとは異なる)、そして副詞の不適切な使用である。

 副詞の不適切な使用とは。こうやって小説の先で何が起きるのかをあらかじめ見せてしまうのがスティーヴンソンのやり方だ。どんなに注意力散漫な読者でも、これなら間違いなく予断を持つ。その予断をてこの支点に用いて、思いがけないところに作用点を設け、物語をえいやっと引っくり返してみせるわけである。
 冒頭のこの宣言だけで結構おなか一杯だったのだが、これでも読者を満足させるには至らないと思ったのか、物語の途中でアーネストはもっととんでもない趣向を口にする。小説の少し先で彼は、結末までに犯人の名前をさまざまな形で135回書くと約束する。176ページには事件に関係している可能性がある人々が一覧化されており、それぞれの名前の下には数字が記されている。もちろん、それまでにアーネストが言及した回数だ。これが135に到達した時点でその人物が犯人だと決定するわけである。何その「百日後に死ぬ〇〇」みたいなシステム。このカウンターが入ったことで、小説はさらに制約条件が増える。
 こんな感じで自分を縛り上げているわけである。この縄からどうやればアーネストは、というか作者は脱出できるのか。興味津々で読者はページをめくり続けることになるだろう。ちょっとだけ書いておけば、最後に明かされる真相は驚きに満ちたもので、しかも申し分なくフェアであった。気になったのは前作に比べてアーネストのおっちょこちょい度が増している点で、このままだと大変なことになる気がする。そのうち作者に騙されて、本当は無実なのに真犯人の汚名を着せられたまま小説が終わってしまうとか、とんでもない目に遭うのではないか。いや、その作者というのもアーネスト・カニンガムその人なのだが。
(杉江松恋)


『真犯人はこの列車のなかにいる (ハーパーBOOKS)』
著者:ベンジャミン スティーヴンソン,富永 和子
出版社:ハーパーコリンズ・ジャパン
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