「ノーシェイクスピア」と神木隆之介。『もしがく』4話場面写真(C)フジテレビ1984年の渋谷を舞台にした群像劇『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(フジテレビ系、水曜夜10時)。潰れかけたストリップ劇場「WS劇場」を救おうと、素人集団がまさかのシェイクスピア演劇に挑む――。若い頃の三谷幸喜をモチーフにした脚本家を演じるのは、神木隆之介。さすが、2歳でデビューして芸歴30年の存在感を発揮しています(以下、ドラマ批評家・木俣冬さんの寄稿)。
◆突然の“ジョジョ立ち”に笑った
俺たちの神木隆之介がこんなポーズを。
「ノーシェイクスピア、ノーライフ」
「シェイクスピア」でペンを走らせる振りをして、「ライフ」でバッと両腕をあげてクロスする。まるでジョジョ立ちのような全身に緊張感漲るポーズだった。
『もしがく』こと水曜ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』第4話は『クベ版 夏の夜の夢』の初日が迫って来た。ゲネプロ(本番さながらの舞台稽古)を行うにあたりドタバタが巻き起こる。ある目的に向かって進むも紆余曲折あるという喜劇は三谷幸喜の自家薬籠中のものだろう。
アクシデントと感動の緩急は職人技。
だが、相変わらず、演出家・久部(菅田将暉)をはじめとして登場人物たちがうるさい。そしてみんな好き勝手やっている。あまりにみんな濃いので、第1話ではちょっと地味すぎやしないかと気になっていた蓬莱(神木隆之介)の控えめさにむしろホッとするようになった。そんな蓬莱がまさかあんなポーズを。
◆ひとりだけ控えめ。だからいい
キャラの濃い人達に囲まれて、彼なりに頑張った結果が「ノーシェイクスピア、ノーライフ」だったのだろう。発端は久部がラストのパック(久部が演じる妖精)のセリフに一工夫欲しいと頼まれたこと。改めて説明すると、蓬莱は放送作家で、お笑いコンビ・コントオブキングス(彗星フォルモン〈西村瑞樹〉、王子はるお〈大水洋介〉)の座付き作家である。それが『夏の夜の夢』では久部の演出助手をやることになった。
セリフに一工夫は作家としてはうれしい依頼にちがいない。勝手がわからないなりに考えてみた「ノーシェイクスピア、ノーライフ」。しかも振り付き。だが「こういうんじゃないんだよ」と久部にあっさり袖にされてしまう。そのときの蓬莱は「すみません」とすぐに取り下げる。この控えめさがいい。大げさにがっかりすることも反抗することもない。その静かさは、マッチョな用心棒トミー(市原隼人)の小声とはまた違う。
◆菅田将暉を励ます、印象的なシーン
神木隆之介は『もしがく』のなかで唯一、ナチュラルだ。そのせいで極めて控えめに見えてしまうが、芸歴30年、善人もちょっと悪魔的な役も自由自在に演じてきた天才俳優の誉も高い神木だからどんなに控えめでも決して埋没することはない。猥雑な八分坂でちょっと浮きながら、あらゆることにやさしく穏便に対応している好青年を的確に演じている。うる爺(井上順)が台本に穴をあけて紐を通していると「ホチキスで止めましょう バラバラになっちゃいます」と穏やかに接する。前にも注意したのに聞かない爺をほったらかしにすることなく、懇切丁寧に接する。
うる爺をはじめとして、誰ひとり言うことを聞かず好き勝手にやっているので、明日の公演は絶対に失敗すると久部は焦りはじめた。蓬莱を屋上に呼び、落ち着かない心境を語る。
このときの蓬莱も実に聞き上手。「久部さんのシェイクスピアは好きです。面白いと思います」と言って、久部を安心させる。それで「自信もっていい 君は立派な演出助手だ」と久部からのお墨付きをもらった。
演出家の気持ちを受け止めて肯定する。それが演出助手のお仕事らしい。そう、『もしがく』では他者の話に誰も耳を傾けないから、蓬莱の存在が貴重だ。
◆このまま染まらずに、癒やしの存在でいて
久部自体が、例えば、占い師のおばば(菊地凛子)が「昔、東宝ミュージカルに出たことがあるの」と言ってもスルー。そうなんだ?と話を発展させない。おばばが「おまえは人に甘い」「甘さで足元をすくわれ、甘さで人に救われる」と謎のダジャレめいた予言をすると「わかんないよ 言ってることが」と聞く耳をまったくもたない。わからなくていいと言いながら、自身はわからないものを否定する。困った人なのだ。
自分の芝居をよくするために「天上天下」(久部が追い出された劇団)のパーライトを盗み出すことも厭わない。怒った「天上天下」主宰者の黒崎(小澤雄太)はゲネに乗り込んで来て、芝居の最中に客席で大声を出す。
そこで俳優たちは芝居を止めることなく続けるところはグッと来る。さらにグッと来るのは、最後のパックのシーン。久部は「ノーシェイクスピア、ノーライフ」と振り付きで蓬莱のセリフを言う。ひたすら人の話を聞いてきた蓬莱が報われた瞬間だった。演助としていい仕事をしてくれた久部なりの礼だろうか。
そのときの蓬莱の嬉しそうな顔。これもまたナチュラルだった。神木隆之介はひとりで『桐島、部活やめるってよ』(12年)的な文化系男子の青春群像を担って見える。このまま染まらずに、癒やし的な存在でいてほしい。
◆実は「人を笑わせたい」神木くん
蓬莱は、若い頃の“三谷(幸喜)青年”をモチーフにしたキャラクターだという。生真面目なスーツ姿も三谷を彷彿とさせる。
三谷は神木について、「とにかく人を笑わせたい思いが常にあって、振ると何でもやってくれるし、物ボケとかでも瞬間に笑わせてくれる」と絶賛していた。(TVガイドWeb、9月28日より)
子役時代から演技の天才なので、笑いのシーンもパーフェクトなのだろう。だから「ノーシェイクスピア ノーライフ」をあんなふうなポージングで決めたのだと想像する。ただし決めの瞬間のSEの効果も大きく、音響スタッフの工夫も讃えたい。
蓬莱は日々の出来事を日記形式でつけている。これからも、八分坂の人たちをじっと見つめ続け、やがてそれが作品を生み出すのかもしれないし、このドラマ自体は彼の作品なのかもしれない、なんてことを考察してみた。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami