1982年のル・マン24時間レースを戦ったザウバーSHS C6。ウォルター・ブルンとジークフリード・ミューラーJrがドライブした。 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1982年の世界耐久選手権を戦った『ザウバーSHS C6』です。
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2025年現在も『キック・ザウバー』としてその名がF1に残り続けているザウバー。1993年よりF1への参戦をスタートさせた彼らのおよそ30年にもおよぶ、その奮闘ぶりはよく知られるところである。
一方でザウバーはF1への挑戦直前まで、メルセデス・ベンツとタッグを組みル・マン24時間レース優勝などを遂げるなど、スポーツカーレースでの輝かしい成績が目立つチームでもあった。
そして、ル・マン制覇というその栄光までの第一歩となったスポーツカーが今回紹介する『ザウバーSHS C6』という一台である。
SHS C6は1982年、新たに燃費制限が要となった車両規定であるグループCに向けて製作されたマシンだった。デザインを担当したのは、チーム代表のペーター・ザウバー自身であり、風洞を使いつつ、ブーメランのようなリヤウイングや、エンジン部分の両サイドが大きくえぐられたリヤセクションを持つ特徴的なフォルムに仕上げていった。そうして造られたオリジナルカウルを被せたシャシーにフォード・コスワースDFLというDFVをベースに排気量を増やし、耐久性を向上させたエンジンを搭載していた。
1982年の世界耐久選手権(WEC)開幕戦モンツァでSHS C6はデビューを果たす。モンツァラウンドでは、同年の選手権を席巻することになるポルシェ956は、まだ不参戦であったものの、SHS C6は予選3番手というグループCカー勢としては最速タイムを記録。フロントロウを独占したのちにポルシェ956のライバルとなるグループ6カーのランチアLC1には及ばなかったものの、初戦から速さを見せた。
しかし、このモンツァラウンドを含め、決勝ではリタイアが続出。特にコスワースDFLの持病とされていた振動が起因するトラブルに見舞われることが多く、なかなか上位進出はできず、最終的に第6戦ムジェロ1000kmで記録した総合5位が最上位となり、グループC初年度を終えた。
このファーストステップである1982年から3年後、ザウバーはメルセデスとのプロジェクトをスタート。そして、1989年にはル・マン優勝を手にすることになるのであった。
[オートスポーツweb 2025年10月29日]