
Text by 家中美思
Text by 高橋智樹
<せめてでも 信じるもの 守れるんなら/嫌われたっていい>
1960〜1970年代のロックやカルチャーの影響を濃密に感じさせる独自のスタンスで、2014年のメジャーデビュー以降、唯一無二のロックを鳴らし続けるGLIM SPANKY。
テレビドラマ『スクープのたまご』の主題歌として書き下ろされた最新配信シングル“カメラ アイロニー”は、そんな切迫した言葉で締め括られている。希望に反して週刊誌編集部に配属された主人公・日向子が、葛藤しながらも自分の信念を貫こうとする姿を描いた物語にインスパイアされたという。
「それぞれの正義と正解がある中で自分をおろそかにしがちなとき、『誰かに嫌われたって、自分のことを大切にして!』というメッセージを込めました」
その言葉の通り、GLIM SPANKYは時代の変化や潮流に揺らぐことなく己の歌とロックを紡いできた。
“カメラ アイロニー”は、そんな2人の生き方をまっすぐに映し出す一曲だ。彼らにとって「ロック」とは何なのか――松尾レミと亀本寛貴とともに、いまこそ改めて考えてみた。
—ドラマ『スクープのたまご』の書き下ろし主題歌“カメラ アイロニー”は、疾走感のあるロックナンバーでありつつも、これまでの“ワイルド・サイドを行け”や“褒めろよ”、“怒りをくれよ”とは違ったテイストの楽曲ですね。
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この曲は、Aメロはマイナー音階なんですけど、Bメロ・サビはドレミファソラシドのメジャーキーになっていて。いままで、それは自分たちのなかでNGだったんです、ロックじゃないから。でもこの曲ではそこがうまくミックスできました。Bメロ・サビは、メロディもそんなにゴツゴツしてなくて、Aメロのゴリゴリ感との対比もうまくできたかなって。
松尾レミ(以下、松尾):「疾走感がある曲を」というリクエストは最初にいただいたんですけど、自分たちでも飽きないように、新しい隙間を狙っていく感じで作りました。亀(亀本)も言ったように、どっしり感もありつつ、サビになると開ける感じというか。
自分たちのデビュー当時の原点回帰という感触もあって。いろんな曲を試してきたけど、“ワイルド・サイドを行け”とか“褒めろよ”とか、そういうテイストに帰ってみよう、みたいな感じもありました。
GLIM SPANKY
長野県出身の男女二人組ロックユニット。ハスキーでオンリーワンな松尾レミの歌声と、ブルージーで情感深く鳴らす亀本寛貴のギターが特徴。特に60〜70年代の音楽やファッション、アート等のカルチャーをルーツに持ちながら唯一無二なサウンドを鳴らしている。2007年結成、2014年メジャーデビュー。2018年日本武道館ワンマンライブ開催。同年、『FUJI ROCK FESTIVAL』GREEN STAGE出演。2024年6月にメジャーデビュー10周年を迎え、自身初のベストアルバム『All the Greatest Dudes』発売。劇場版『ONE PIECE FILM GOLD』書き下ろし主題歌“怒りをくれよ”をはじめ、ドラマや映画、アニメなどの主題歌を多数手掛ける他、ももいろクローバーZや上白石萌音、DISH//、野宮真貴、バーチャル・シンガーの花譜など、幅広いジャンルでアーティストへの楽曲提供も精力的に行なっている。
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松尾:歌詞は特に難しいですよね。「ロックな歌詞で!」とか「前向きなメッセージで!」とか言われるんですけど、そんなに毎回「人生を変える一言」が浮かぶわけじゃないんですよ。デビューして10年経ちましたけど、本気で「これだ!」と思えるテーマなんて、人生のなかで数個あればいいほうだと思うんですよ。だからいかに同じテーマを掘り下げ、違う言葉で表現できるかをつねに考えています。
松尾:今回も、週刊誌の編集部で奮闘する女の子のドラマなので、「頑張るぞ」と思えるような歌詞を、というリクエストがあって。でもそれって、どこに焦点を当てるかによっていろいろ書けるなと思ったんですよね。週刊誌と私たちの日常って、結構乖離しているなと思っていて。
そこでつながるポイントは何かと考えたとき、「カメラ」だと思ったんです。スマホがあれば、友達の楽しい場面も撮れるし、嫌な場面だって撮れるし、SNSで拡散もできてしまう。
私たちはカメラで撮っているけど、日常的に撮られている側でもある、そういう時代になった、というところを面白く書けたかなと思いますね。カメラはいいものでもあるけど、皮肉でもある。現実を写すものでもあれば、歪ませるものでもあるわけで。そこを乗り越えていくっていうテーマだったら、「走る日常」を描けるし、現代にもドラマにも合ってるかなって。
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—そうやって共通項を見つけつつ、GLIM SPANKYは、「今回はこれでいいや」と妥協せずに、毎回いちばん上を狙いにいく印象があります。
松尾:それは大事だと思ってます。自分の作る曲は自分の作品だし、ドラマが終わったとしても、一生歌い続けていくのは自分だから。そこは覚悟を持って、自分の人生のひとつにできる曲を書きたいと思ってます。
—世の中から「求められるもの」に応えつつ、自分たちの核心部分をセルアウトせずに「GLIM SPANKYのロック」を貫いていく、そのバランスはいつも絶妙ですよね。
松尾:ありがとうございます。ただ、どうせ自分で曲を書くにしても、お題は決めるので、それが最初からあるかないかの違いなんですよね。
よく「タイアップって大変じゃない?」って聞かれるんですけど、自分のなかではあまり変わらないですね。純粋に曲を書けるし、好きかもしれないです。本質は変わらないというか。そういう気持ちでやってます……よね?
亀本:(笑)そうですね。自分たちの曲だったら、お題は自分で決めていいわけじゃないですか。それがタイアップだったら、まさか思ってもなかった、斜め上ぐらいの角度から来るわけじゃないですか。
僕らは音楽的には不器用というか、わりと限定的なイメージがあると思うんですけど、じつはぼちぼち器用なんだろうなって。大体僕たちと似たようなアーティストって、あんまり器用じゃないというか、逆にいい意味でも、器用にならないようにしてる人が多いと思うんです。
僕らは逆に、意外と器用なんだけど、そうじゃないように見えてるっていうところが、いい塩梅なのかもしれないですね。松尾さんとかも、すごい器用なんで。
亀本寛貴。GLIM SPANKYのギター、作曲、編曲、プログラミングを担当
松尾:ええ〜? 人生で初めて言われた。器用……?
亀本:いつも歌詞とか書いてるじゃん?
松尾:ああ、そうだね。でも、それも楽しくて。「斜め上からお題が飛んでくる」っていうのも、自分では絶対に選ばないような――恋愛バラエティの曲とか、まさか作るとは思わなかったし(笑)。それが面白いですね。「それは嫌!」ってなっちゃうと苦しいんでしょうけど、楽しめているのでよかったですね。
—<せめてでも 信じるもの 守れるんなら/嫌われたっていい>というフレーズは、GLIM SPANKYの根幹のような気がするし、心のなかの大事なカードを切ってきた感覚があるんですよね。
松尾:この歌詞は、なんかスッと出てきましたね。
亀本:そう思ってるからじゃない?
松尾:そう! ロックもそうだし。もちろん、幅広い表現をしていきたいし、「守るべきところは守りたい」って思ってるのもそうだし。
このドラマの原作漫画も読んだんですけど、週刊誌は人の人生を狂わせる記事を出すこともあり、その点では「悪」とも取れる。でも主人公はそれも全部わかった上で週刊誌の編集部で働いているわけで、「何が正義で何が悪か」っていうのもないというか。芸能人の恋愛じゃなくて、事件の真相を週刊誌の力で明かすことだってできる。 週刊誌で世の中を救えるんじゃないか? っていうところまで切り込んでいる内容だったんで。
SNS上では悪く言われることも多いですけど、そうじゃないところを信じて作っている人もいるんだなっていうのを知って。嫌われても、自分の正義を貫いてるんだなと思うと、みんな一緒なんだなって。そういうことを考えていたら、スッと出てきました。
GLIM SPANKY “カメラ アイロニー”
—「嫌われてでも自分を貫く」って、すごく強い覚悟ですよね。GLIM SPANKYの芯にも通ずるところがあるように思いますが、「絶対に揺らがない自分」というのは、どうやって見つけたのでしょうか。
松尾:私の場合は保育園に入る前から歌うことや服、メイクが好きだということは絶対的なものとして感じていて。譲りたくないところ以外は「諦める」ということを早くにしていたんです。学校の教科でも、「算数は0点でもいいから国語は絶対に100点を取りたい」みたいに決めちゃってたので。
それは自分の天井を決めてしまっていることかもしれないけれど、小学生のころから美大に行くって決めていたくらい進むべき道が明確だったので、まったく後悔していません。
亀本:僕は他の人に比べて決断が早いんです。
その瞬間のインスピレーションを大事にして「絶対にこうするべきだ」と思ったらすぐに決断します。不安に思う時間って無駄だと思うんですよね。その間に試せたことがあるのにって。ダメだったら戻ってくればいいわけだし。
だから、東京に行こうと言われたときも、迷わずにぱっと決めました。
—GLIM SPANKYの音楽が、これだけいろんなかたちで世に求められているのはやはり、時代の表舞台でロックを体現してくれる存在だからだと思うんです。ロックっていま、聴く人 / 作る人の数だけ定義がある状態だと思うし、サウンド、スタイル、マインドなどいろんな側面があるんですが――10周年を経たいまこそ「GLIM SPANKYにとってのロックとは?」というのを改めて聞いておきたいんです。
松尾:私は結構マインドかもしれない。
静かな歌にパンクを感じたり、逆にめちゃめちゃうるさくても「全然ロックじゃないな」って思ったりしてきたので。自分を信じているかとか、貫いているものが見えるときに、「ロックだな」って感じますね。そういう姿勢がカッコいいなと思うので。
それはでも、ファッションでもいいんですよ。「絶対このスーツを着続ける!」とか(笑)。何でもいいんですけど、たとえマイノリティーでも、それを信じ続ける――“カメラ アイロニー”の歌詞にも書きましたけど、嫌われたって、信じるものを貫き続けるのがロックじゃないかなって思いますね。
—そういう話を聞くと、やっぱり“カメラ アイロニー”では大事なカードを切ってたんですね。
松尾:ああ、そうですね。私も自分で言って思いました。ありがとうございます(笑)。
—亀本さんはいかがですか?
亀本:ロックねえ……。楽しいですよね、ロックの話するのって。でも僕は自分がロックミュージックをやってるとは全然思っていなくて、つねに自分の音楽をポップスって言ってるんです。
それはなぜかって言うと、僕の感覚ですけど、いまの時代はロックミュージックの形式が出来上がってる気がするんです。「ジャズ的な / クラシック的な / R&B的な何かを取り入れる」のと同じで、「ロック的な何か」を取り入れるのって、手法として確立されてしまっているので。
ある種、ロックっていう音楽自体は、もはやポップスではないのかもしれないですね。伝統音楽と同じで、ジャズ / カントリー / ブルースみたいな、ひとつの音楽として完成されたものだと思っているんです。で、自分も含め、現在進行形のアーティストたちが最新の曲を作って、それをたくさんの人が消費してお金をもらうものって、要するにポップス、ポピュラーミュージックだと思うんです。なので、僕らがやってるのは完全にポピュラーミュージックなんです。
—なるほど。
亀本:じゃあ、ポピュラーミュージックとして、ロックミュージックが持っているものって何か? って言ったら――たとえば始まった瞬間にひずんだギターが鳴って盛り上がる、それってすごくポピュラリティが高いし、いまでもロックが世の中に通用する部分ってたくさんあるんですよね。
そういうものを、自分たちは多く取り入れて使って、ちゃんと「いま」の音楽を作るっていう、それが自分たちのやりたいことだし。The Beatlesとか、Led Zeppelinとか、The Rolling Stonesとか、AC/DCとか好きなんですけど、かれらの音楽ってその時代はポップスだったでしょ? つまり、自分がやってるのもポップスだよね、っていうふうにとらえているので。ロックがどうとか、あんまり気にはしてないですね。ポップスを作ってるつもりなので。
—GLIM SPANKYがロックとして聴かれているのは「ロックを借りてロック的なことをやってる」からではない、というのがいまの話からもよくわかります。
松尾:「ロックを借りてるんじゃない」っていう言葉、いいですね。借りてちゃロックにならないもんね。
さっき私が言った、でかい音で激しい曲が鳴ってもロックじゃないって感じる、っていうのはそれかもしれないですね。いいことに気づけました。
—2016年のCINRAのインタビューで、松尾さんは9歳の頃からピーターパン症候群で「大人になりたくない」と思っていた、という話をしてくださっていましたね。
松尾:記憶に残っているのが、とにかく10代になるのが怖かったんです。「ゼロ代」のままいたかったんですよね。
—桁が上がるのが怖かった?
松尾:そうです。9歳がギリギリだったんで。
亀本:30代になったときなんて気絶しなかった? 大丈夫?
松尾:大丈夫、大丈夫(笑)。
でも、なんでだろう? 小学校でトイレ掃除しながら、「私はいまゼロ代、明日からは10代になる」って。マイナスのことというよりは、自分のなかの時代が変わる気がして。そこに恐怖を覚えたことがすごく記憶に残っていて。
中学校の帰り道でも、友達と「今日嫌なことがあったね」って話すけど、目の前の夕陽の景色は綺麗だと。これがたぶん、時間が経つにつれて、「嫌なことがあったね」がなくなって、思い出って美化されていくよねと。でも、このヒリヒリした「嫌なこと」の気持ちも忘れないでいたいよねって。そういうことの積み重ねで……。
ピーターパン症候群って言うと大袈裟かもしれないですけど、大人になるということに関していろいろ考えました 。
でも、「子供の頃がいい」とかじゃなくて、私が見ているこの景色を、全部インプットして残しておきたいと思ったんです。通学路から見える川が、夕陽にキラキラ輝いている、その一粒のキラキラさえも覚えておきたいと思うし。体育祭の日の青い空と、うろこ雲に飛行機雲とか、そういう景色でさえも、自分の大事な人生のワンシーンだなと感じていたので。それを全部覚えておきたいし、「大人になったら全部忘れていってしまうのではないか」という不安から、いつまでも吸収していく心でありたい、って思っていたのが大きいかもしれないです。
—青春時代の記憶を振り返った時のキラキラと、青春時代真っ只中から見る、正解の見えない苦さも伴ったキラキラって、質感が違いますからね。松尾さんはそれを残しておきたいっていう。
松尾:まさにそうです。思い出は美化されていくっていうけれど、美化できないこともあるじゃんって思ってました。
「美化するなかで忘れていいもの」も覚えておきたい。いまも歌詞を考えるときに、ふと思い出せる「感情の図書館」があって、そこに大事にしまってある感覚です。
変わっていい部分は、いっぱい変わりたいと思ってます。でもそれって、過去の自分を捨てるんじゃなくて、技を増やすというか、そういう感覚で捉えていて。大人になることに対して、「丸くなった」っていう言葉が本当に嫌いで。
亀本:丸くなったほうがいい人もいるけどね?
松尾:そう、丸くなったほうがいい人も確かにおる(笑)。「人の心がわかるようになった」というのを「丸くなった」と言う人もいるかもしれないし、それはいいことだと思うんですよ。
でも、感覚的に丸くなるとか、信念的に丸くなるとか、そういうのは私は嫌なんですよ。尖ったまま、何かを削るんじゃなくて、いろいろな武器を増やせばいいじゃんっていう感覚でいきたいなと思ってます。
—ロック的なことをすればロックになるわけじゃない、というのは、GLIM SPANKYのファッションにも表れていますよね。松尾さんのステージ衣装も、最先端のものではなくルーツを感じさせるものだし、ロックバンドの戦闘服としてのコスチュームとは一線を画したテイストがあります。他のアーティストにはない、独自のファンタジー感があります。
松尾:「独自のファンタジー感」、いいですね(笑)。確かに!
—1990年代の渋谷系への憧れがある、ということもおっしゃってました。その影響もあると思います?
松尾:かなりあると思いますね。1960〜1970年代のワンピースの形とかは、渋谷系のルーツにのっとってますね。
でも、GLIMのロックをやって似合うものを選んだりもしてきているし。音楽的だけでなく、ヨーロッパの妖精文化、マジックブームなど、そういう歴史的なカルチャーも好きなので、それも全部含めて服を着たいなっていうのがあります。
その一方で、強めの服も着たいし、ガーリーな服も着たいと思っています。私は結構、ガーリーさが好きなんですよ。
ライブハウスでライブをしていた頃に、「GLIM SPANKYって、ロックなのになんでワンピース着るの?」ってすごく言われたことがあって。2013年あたりにGLIMみたいな音楽性で、60年代っぽいガーリーなミニスカートのワンピースを着て、超レトロじゃなく普通に、純粋な日本語ロックをやってるバンドは少なかったんです。
「革ジャンとパンツの方がいいじゃん」とか「グレッチ持てよ」とか言ってくる人たちもいたんですが、「私はスカートで行きます」って言ってたんです。60年代のフランス映画の女優さんが着ているようなワンピースが好きだから、そういうのをあえて着て“怒りをくれよ”とかをずっとやってきたら、普通にいまの自分たちになった、っていう感じです。
—そういう唯一無二の要素を、自分たちにとって「普通のこと」として積み重ねてきたからこそ、いまのGLIM SPANKY独自の戦闘態勢がある、ということが改めてよくわかった気がします。松尾さんはライブでも、ファンに向けて「音楽が好きな仲間」と呼びかけていますね。仲間たちと、今後どんな景色を見たいですか?
松尾:もちろん、どんどん広いところにも行きたいですし……。でもやっぱり、自分が音楽を好きでライブに行くと、「めちゃめちゃカッコいい、このサウンド!」とか「このロックを浴びたかった!」というのが自分の栄養になるので。そういう音楽を共有していきたいですよね。
自分が作った曲を自分で鳴らして、みんなも同じ気持ちで楽しめたらなって思っているので。そこに値する曲を作っていきたいですね。ロックな曲ももちろんですけど、キュートな曲も作りたいし、アコースティックな曲も作りたいし。いろんな幅を増やして、自分の感情も、作家的な部分も、歌の表現力も、全部クオリティを上げていきたいなと思ってます。

