こども食堂に“幸”届ける お米寄贈、小林幸子が支援続ける理由は…「笑顔」のリレー

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2025年11月01日 08:27  日刊スポーツ

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「認定NPO法人カローレ」の子ども食堂で、おにぎりとちゃんこを振る舞う小林幸子(撮影・野上伸悟)

<情報最前線:ニュースの街から>



「子ども食堂」は2012年(平24)に東京で始まり、24年に初めて全国で1万カ所を超えた。当初は貧困対策が目的だったが、最近は「子どもの居場所」や「多世代交流の場」としての役割も担っている。歌手小林幸子(71)はボランティア活動や「子ども食堂」などの“食”にまつわる支援に長く携わってきた。その理由や支援に込めた思いを聞いた。【取材・構成=松本久】


    ◇    ◇    ◇


10月上旬。小林は埼玉県鶴ケ島市の認定NPO法人カローレが行う「子ども食堂」で地域の子どもや親たち約100人の輪の中にいた。「私の故郷、新潟のおいしいコシヒカリで作ったおにぎりをみんなでたくさん食べてね〜」。今年で61年となる歌手活動と並行して、さまざまなボランティア活動を行ってきた。その原点には故郷を襲った2度の震災や支援活動で感じた思いがある。


「ウソツキ鴎」でデビューしたのが1964年6月5日。11日後に新潟地震が起き、東京にいた小林は急いで実家に戻った。「自宅はつぶれていました。商売をやっていたけれど続けられなくて結局は手放した。あの時、多くの人が応援をしてくれてすごくありがたかった。地震がデビュー前だったら東京には行っていないし歌手にもなっていない」。人の優しさが10歳の少女の身に染みる。感謝の気持ちから「自分も困っている人を助けたい」との思いが自然と芽生えた。


40年後の2004年には中越地震が発生。68人が死亡し、4800人以上が重軽傷を負った。震災の記憶を風化させないため“復興のシンボル”として06年から長岡市山古志地域(旧山古志村)で地元の小学生や主婦らと米作りを始めた。「『もう土をいじれないかも』。そう言っていた山古志の人と復興への思いを1つにして米作りに取り組んだんです。気が付いたら20年がたっていました」。


22年5月には農業支援と過疎地対策のために「幸せプロジェクト」を立ち上げ、チャリティーイベントに出演し、田植えや稲刈りを実施してきた。「60年以上歌ってきて、歌うことは私の生業(なりわい)であり人生そのものですが、それとは別に何か支援をできないかと改めて考えました。元気のもとになるのは“食”。だからお米を支援することにしたんです」。これまでに計1000キロ以上の米を寄贈している。


支援を通じて、自身もエネルギーをもらっているという。「歌を聞いてもらって笑顔になってもらう。おいしい物を食べておなかがいっぱいになると自然と笑顔になるでしょ。どちらも共通なんです。その笑顔から私も笑顔をもらっている。決して一方通行ではなく“行って来い”です」。そして「最初は点だったものでも時間がたてば線になってつながっていく」と継続の大切さを強調した。


「幸せ−」はNPO法人の申請中で年内にも認定される見込みだ。「声が出る間は歌っていくつもりだし、ボランティア活動も体力が続く限りやっていく。それが応援をしてもらったことへのお礼でありお返しだから。もちろん、プロジェクトではない、今日のカローレが行ったような『子ども食堂』やNPOも応援をしていきます」。子どもには特に温かいまなざしを注ぐ。「私がこの世からいなくなっても子どもはいなくならない。みんなの宝ですから」。


その宝を守るためにも「子ども食堂」の役割は大きい。「食事はもちろんですが、学校では学べないことを知る場所でもあってほしい。独りぼっちにならずに、遊んだりしゃべったり、時には叱られたり。そういう人とのつながりも大切。多くの大人も集まって、ちょっとずつでも協力しあえたらいいと思う」。


07年に新潟県米親善大使、11年には農水省から「お米大使」に任命されるなど米PRの最前線に立ってきた。これからも歌と米、そして名前にもある“幸”を全国に届けていく。


◆小林幸子(こばやし・さちこ)1953年(昭28)12月5日、新潟市生まれ。64年、10歳で「ウソツキ鴎」でデビュー。79年「おもいで酒」が200万枚の大ヒットとなり、レコード大賞最優秀歌唱賞。NHK紅白歌合戦は34回出場。映画「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」(94年)など女優としても活躍。06年に紺綬褒章。血液型A。


■物価高騰が打撃も


「子ども食堂」は12年に東京都大田区で生まれ、24年には1万867カ所となって初めて1万を突破した。公立中学(9265校)の数を1000以上も上回っている。


調査をした「認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」によると、増加の大きな要因として、スタートから10年以上が経過し、認知度がアップしたことがある。支援をする地域ネットワーク団体も拡大して、24年には47都道府県の全てで活動を実施。食堂の運営者は個人やボランティアが多いが、企業や各種法人も増加している。


「こどもの居場所づくりに関する指針」が23年12月に閣議決定をして以降は、こども家庭庁や全国の自治体でも支援への機運が大幅にアップした。「子どもの居場所づくり」などに予算を計上している。


調査では、物価上昇が食堂の運営に打撃を与えていることも明らかになった。資金や人手の不足で「活動を続ける上で困難さが深刻味を増している」という。昨年のアンケートでも「物価上昇による影響を感じている」との回答が88・5%。寄付をしてもらう食材・物品で「もらうとうれしいもの」の第1位は米で80・1%だった。最近の米不足の影響がうかがえる。


米価高騰は“令和の米騒動”として社会問題になっている。石破茂前首相は9月、「子ども食堂」に政府備蓄米を無償提供する回数を増やすことを表明した。


■高齢者との接点に


認定NPO法人カローレの浅見要理事長(69) 「子ども食堂」は最初、貧困対策からできたのですが、今は「みんなの居場所」や「地域の居場所」として、地域コミュニティーを醸成していくように変わってきています。食事をするのではなく、学習支援に特化しているところもあるほど。イベント的なものをやったりとさまざまで、かなり進化をしています。


カローレは最近「駄菓子屋プロジェクト」という形でやっています。駄菓子屋とたい焼き屋を併設して食事提供もできる。こうすると子どもが気軽に立ち寄れるし、買い物は社会体験であり金融教育にもなる。お店番をする高齢者は雇用になっていて、生きがい作りになり、孤立化も防いでいます。核家族化が進み、子どもと高齢者のなじみが薄い中で、両者の接点となる場所にもなっています。

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