未唯mie ソウルフル!芸能史に残る軌跡 新曲発売、50周年もたっぷり歌い踊り続ける

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2025年11月23日 08:00  日刊スポーツ

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金色のゴージャスな衣装をまとい、笑顔を見せる未唯mie(撮影・増田悦実)

歌手の未唯mie(67)が今月12日、未唯mie with T−Groove&George Kano Experience名義で新曲「Never Did I Stop Loving You」をリリースした。1976年(昭51)に増田惠子(68)とピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。ヒットチャートで9曲連続1位、10曲連続ミリオンセラー、レコード大賞、紅白辞退、アメリカ進出、解散、ソロデビューと芸能史に残る軌跡も、年が明ければ50周年を迎える。その思いを聞いた。【小谷野俊哉】


★掘り出し物


新曲「Never Did I Stop Loving You」は伝説のアーティスト、アリス・クラークさんの楽曲のカバーだ。


「アリス・クラークは1972年にアルバム『アリス・クラーク』を出して、その中の1曲。アルバムは、その1枚しか出してないんですけど、その掘り出し物の曲を念願かなってカバーできました。すごくソウルフルな曲で、グルーブ感たっぷり。歌謡曲、ロックといろいろ歌ってきましたけど、デビューする前はソウルに憧れていました」


きっかけは、70年代初頭からテレビ東京系で放送されていた、アメリカのソウルミュージックの番組「ソウル・トレイン」だった。


「『ソウル・トレイン』を見た時に、こんなかっこいい世界があるんだと衝撃を受けました。その世界に、もう一瞬でとりこになった感じですね。でも、それまでは両親とも歌謡曲が好きで、普段は歌謡曲を聴いていました。歌の世界に入ってからも、ずっとソウルフルな曲をやりたいと願っていました。だから今回は本当に長い間の夢が実現できました」


リリースの名義は「未唯mie with T−Groove&George Kano Experience」というユニットだ。


「T−Grooveは、リミキサーって言ったらいいんでしょうか。ギタリストのYUMA HARAと一緒にやってリミックスした曲が、ビルボードジャパンのチャートで1位になったりしている。リミキサーとしては世界的な腕も持っている。彼の作るサウンドは結局、ディスコ、今はクラブで流すような感じ。George KanoはドラマーでT−Grooveのサウンドを具現化してくれる存在。人の頭の中にあるリズムを音にしてくれる。そういうミュージシャンが集まったユニットです」


★運命の出会い


ソウルフルな音楽への思いを抱く一方で、中学、高校ともに演劇部に所属。


「中学3年生の頃から、歌って踊るのがいいなと思うようになったんです。当時はヒップホップなんてものはないですから、モダンバレエに通い始めたんです。あと、ヤマハでボーカルレッスンを受けて、アマチュアとして活動もしました」


中学3年の時に運命的な出会いがあった。通っていた静岡市内の中学に増田が転校してきた。


「文化祭で姉妹の役を2人でやることになったんです。それから仲良くなって、将来の話をするようになりました。彼女は小さい頃から歌手になりたかったんです。それで2人でボーカルスクールでデュオを組みました」


高校生活ラストの1976年(昭51)3月「スター誕生!」決勝大会。芸能事務所、レコード会社の計8社からスカウトを受けた。


「その中でアクトエンタープライズの相馬一比古さんが『あなたたちを海外でも通用するアーティストにしたい』と言ってくださった。そしてT&Cミュージックという会社を作ってくれた。そこから作詞家の阿久悠先生と作曲家の都倉俊一先生にお願いすることが決まりました」


★名は白い風船


76年3月に「スター誕生!」決戦大会、4月に静岡から上京。そして8月25日に「ペッパー警部」でデビュー。ミニのドレスに激しいボディーアクションと軽快なメロディー。


「『スター誕生!』ではフォークっぽく歌っていたのに、あんな派手な振り付けさせられてかわいそうだねっていう声もあった。でも、私たちはそれがやりたかった。名前も最初は『白い風船』に決まりかかったけど、都倉先生がピンク・レディーという名前を出してくれました」


振り付けは土居甫氏。


「1カ月かけて『ペッパー警部』の振り付けをしてくれました。2人をディスコクイーンにしたいと、赤坂のディスコに連れて行ってくれました。踊っている外国人のそばに行って形じゃなくノリを盗んでこいと」


★紅白出場辞退


76年11月発売の「S・O・S」から78年12月の「カメレオン・アーミー」まで9曲連続ヒットチャート1位。「ペッパー警部」も入れて、10曲連続のミリオンセラーを達成。ピンク・レディー旋風が日本中を席巻。78年末にはNHK紅白歌合戦辞退。「裏」の日本テレビでチャリティー番組に出演した。


「その前の年から聴覚障害のある子供たちの学校に遊びに行ってたんです。その子たちにコンサートの約束を勝手にしてしまって、事務所にお願いしたら希望をかなえてあげるよ、と」


バッシングも受ける中、79年5月に「Kiss In The Dark」で全米デビュー。


「アメリカで活動できるのはすごくうれしかった。でも、まだデビュー3年足らずで、早過ぎるんじゃないかという懸念もありました。それでも、3大ネットワークの1つのNBCで冠のレギュラー番組も持てて、頑張りました」


81年3月に解散コンサート。同年7月に「ブラームスはロックがお好き」でソロデビュー。84年にTBS系ドラマ「不良少女と呼ばれて」の主題歌に起用された「NEVER」がヒットした。


「ソロになってから、世界を見据えるということでロックを歌いました。今が私がデビュー前に一番やりたいグルーブ感のある曲が実現したという感じです」


★1日1食実践


50年近く歌い続け、踊り続けてきた。衰えないパフォーマンスの陰で長年、1日1食を実践してきた。


「20歳の頃には、もう習慣づいてました。お仕事が全部終わった夜に食事。品目をたくさん取るということと、油の質と塩分の量は気にしています。あと、運動が全くできないので、今は『ボーンメソッド』という関節を骨の整理に合わせて動かすものをやっています。疲れにくくなるし、これは本にもしてみたいと思っています」


50周年もグルーブ感たっぷりに歌い、踊り続けている。


▼リミキサーT−GROOVE


未唯mieさんとは2年半前から「なんか一緒にやりたいね」と話していて、まずリミックスを2曲作ったんです。それでせっかくだから新曲を作ろうってなってアリス・クラークの曲をもって来たんです。作るのはすごく難しかった。原曲がすごくいい曲だからね。レコーディングでは、3時間歌いっぱなしで「大丈夫ですか」って心配したら「私はプロよ」と。ぜひ、またやりたい。次は“直球”のディスコをやりたいですね。超アップテンポな曲をね。


◆未唯mie(みい)


1958年(昭33)3月9日、静岡市生まれ。76年8月に増田惠子とのピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。78年日本レコード大賞、NHK紅白歌合戦辞退。79年5月「Kiss In The Dark」で米国デビュー。81年3月解散。同7月に「ブラームスはロックがお好き」でソロデビュー。同10月TBS系「茜さんのお弁当」で女優デビュー。82年映画「水のないプール」。84年「NEVER」がヒット。08年に絵本「モコちゃん」出版。163センチ。血液型A。

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